//プロローグ //1 2007年12月1日、韓国・ソウルの大通り。 真昼の12:00。 獣人たちが、モニターの下の道路を行き交っていた。毛でモフモフや、ウロコでゴツゴツとした頭の揺れ動く波である。 突然――。 そんな彼らの頭上に『0』という文字の表示が、それぞれ、パッ、と現れた。 白い無機質な、斜線つきのゼロである。 頭の数だけ、あった。 なにもない空中に浮かんでいる様は、あたかも、ここソウルにおいては異教だが、キリスト教絵画の天使のわっかのよう。その場にいた多くは、馴染んだ文化があるために「あれ、これはMMORPGか?」などと考えたのだった。 よく見ると、フォントも味気ない。まるで、アマチュアの制作中ゲームの進捗報告ブログに上がるスクリーンショットのようである。『これから選びます』と続きそうな。 あたりは『0』まみれだった。 頭上のモニターに『速報』を表す韓国語が現れた。 見ればソウル国営放送である。画面の中では、前日の夜に寝てなさそうなキャスターが喋っている。 世界中、あらゆる都市でこの現象が発生した――という。 ニューヨーク。新宿。パリ。ベルリン。たちまち10分のうちに、世界の都市が混乱に陥った。映像では各国の現地記者たちも、光景を伝えていた。 ここソウルに戻れば――人々は冷静になっていった。犬科のみで固められた若者グループがお互いに頭上を指指して笑いあっている。 サラリーマンのトカゲはSAMSUNGの折りたたみの水色携帯電話を取り出して電話している。会社へ、だろうか? また、あるニワトリの老婆は前屈みで杖をついて歩いており、未だに騒ぎに気づいていなかった。 さらにまた他では、逆に、上ばかり見ていた馬の若者が転んでしまった。彼は膝を抱えて座りこんで、手で擦りながら忌々しそうに膝を見つめている。 そんな騒ぎも10分経つと、人々は事態を理解しようとつとめた。 ある二人は「なんでしょう、これ」とささやきあった。親しみと敬意をもって、目と目が合わさった。超自然の現象への疑問は、他人同士をつなげた。 流れはさざ波のように広がった。 疑問:この数字はなんだろう? ごく一部の利口な人々は、折りたたみ携帯を開いて、ニュースサイトやら掲示板にアクセスする。この時代、ろくなSNSはない。 そんなたいていのメディアでサーバー負荷は増大した。アクセス不可能が相次いだ。 奇跡的にアクセスできた者もいた。そんな幸運な者には周りの人々が群がり、情報を求めて携帯のモニターを見つめた。携帯を所持する者も、それらを拒むことはとくにない。画面、掲示板サイト内のスレッドには「まわりを見れば斜線つき『0』ばかりである」と報告がある。 いわゆる「祭り」の状態。 この時代にそれは、しょうもないことでも日夜騒ぎ立てている――騒ぎ立てなければ生き延びられない――テレビよりも、異常のしるしとして雄弁だ。 他の書き込みを見てみると、まれに『1』に出会ったという旨もあった。どれが真でどれが偽なのか、わからない。たとえば『200510』に会ったなどと書く者もいたし、『11』に会ったという者もいる。 同時刻、政府やマスメディア、学術機関などの調査も動きだした。 街頭ニュースにて、韓国政府や日本政府、EUの合同発表などが現れる。世界に向け「数字の正体について、調査を進めている」と発表する。 テレビの映像はいつまでもこの件の放送が続いた。オオカミの大臣が出てきて、マスコミの放つ白いフラッシュを浴びる。映像は生中継だったが、ニコニコ動画やYoutubeといった動画サイトにも転載されはじめた。 また、大事なことに――。 その映像で、大臣が粛々と下げる頭の上には「8」と書かれている。 映像を見た人々は噂した。 ――8? なんでだろう? あの大臣だけ、なんで? 人々はああだこうだと仮説を述べたてた。 マスコミはその日のうち、さまざまな「0」でない人々を取材しはじめた。 視聴者からの情報提供を集めた。「あの人は3と書いてある」だの「あの人は1」だのと、テレビ局に情報が舞い込んでは、下っ端の新人記者がそんな彼らに一人でも多く会おうとする。 一方、テレビ局の社内でも「1」が何名か、スタッフの中に存在していた。これについては、彼らの手で、ひた隠しにされた。なんとなく気味の悪いものを感じたからだった。 なにせ、何を表しているかわからない。 事態から3時間ほど経って、ある新人カメラマンが、街に繰り出した時のこと。斜線つき「0」ばかりである事を映像に収め(当然、この映像に価値はない)テレビ局に戻る。1階の社内カフェでコーヒーの紙コップを買う。ラウンジの椅子で一息ついていると、あたりにちらほら「1」とか「2」が目に付く……。 ――これはどういうことだろう――? 夜の24:00になったことで、2007年の12月1日は過ぎた。世界レベルの混乱の初日が終わった。 翌日、12月2日の13:00。 国際連盟により、調査の結果が世界に向けて発表された。世界への生中継映像である。 日本・秋葉原の電気店では多くがモニターの前に集まった。目黒区のある会社では「1」を頭上に持っている上司と「0」の部下がテレビモニターを囲んだ。業務は当然、中断である。 また、遠く離れたニューヨークの税務局では、職員は散らかった書類の山をかきわけ、メガネを拭いて、さも机は綺麗に片付けてますというテイを作った上で、部下も上司も招き、マクドナルドのコーラやスターバックスのコーヒーの入った紙コップを片手に、7人がラジオの前に座りこんだ。 とある千葉県沖の離島、美浜島(みはまじま)第二中学校の3-1教室においても同様。 授業が中断され、クラスの教師も27名の生徒もテレビを見る事になった。ペリカンの女性教師は「歴史が変わる瞬間かもしれないよ」という。その教師の頭の上には「1」の数字があった。 テレビ映像が進む――スーツのライオンが映像に登場した。 カナダ人国連事務総長、クラレンス・エイクロイド、54歳。 彼が紙を両手でかかげ、マイクに向かって発表をした。 はじめは生徒も興味深そうに聞いていた。が、うつらうつらとする生徒もちらほら現れ、放送は空虚に流れていく……。話が終わりに近づいていく。 『各国、政府機関において調査を継続している最中であるが――結論として――』 一部の生徒がゆっくりと起きはじめた。 『これら頭上の数字は――』 彼らは目をこすりながら、ペリカンの教師の頭上の「1」の数字を見て、次にテレビに目を向ける。 『「他人を殺した数」である――』 //2 まず、警察が大ナタをふるった。 殺人罪に問われている逃亡中の犯罪者が、世界中から消滅した。 頭上に「1」や「2」がある者を見つければ、すぐに警察が手錠を持って「署まで」と言う。それで殺人者はたいてい捕まる。 だが、警察ら体制側にとって次の作業は、その者が「故意に」「時効でなく」殺人をしたのかといった事を確かめる段階である。だから、警察やら検察、弁護士、そして裁判所は、深刻な人手不足に陥った。 未曾有の事態である。 市民による私刑も起こった。 雪の降るカナダの町中にて、人々は「1」のシカの獣人を見つける。寄ってたかり、石を投げ棒で叩き、警察も駆けつけないうちから、彼は路上で殺されている。雪が、開ききった目の上に降って瞳孔を凍てつかせる。砕け散った敷石との隙間に流れこんだ血もまた凍る。 路地の裏ではシカの少女がその死体に近づくこともできず、ビルの外壁に手をついて泣いている。かと思えば、雪の上にうずくまり、しゃくりあげて泣きはじめる。 彼女は他人を装えと教えられてきた、子供なのだった。 取り巻きに見ていた者は、救急車を呼ぶべきかを迷って、ポケットの携帯電話に手を入れてつま先で触れたり離したりしているだけ――「もう死んでいる者のため、救急車を呼んでいいものだろうか?」と迷っているのだった。 一方、危害を加えた者たちは、現場からいち早く離れている。コソコソと散らばっていく獣人たちがいて、その一人の数字が「0」から「1」に変わった。おそらくは、とどめの一撃を加えた者であろう。 そんな彼もまた、未来では、どこかの路上で殴られるかもしれない。自宅にて待っていた妻が頭上の数字に気づき、彼が洗面所の鏡の前に走り、おののき震えるのは後の話である。 臆病な群衆は、数に頼る。 アメリカなら日本人が殺される。日本ならアメリカ人が殺される。カナダなら……インドネシアなら……犠牲になるのはその土地にとっての少数者だ。 1年ほど経った。 頭上に「1」や「2」がある者たちを中心に、市民が権利回復を求めて声を上げるようになった。彼らが集まるのはインターネットにおいてである。 彼らはBBSにて身の上を語ったり、巨大匿名掲示板で『数字が「1」だけど質問ある?』とスレを立てる。 ある時、たとえばそれは――火事になった老人ホームにて、寝たきりの老人を諦めて脱出した消防隊員。「8」。 また一人は――貧困家庭で育ち、河川の洪水によって広まった疫病により片腕をなくした少年。彼は麻薬取引に手を染めて逮捕されたという。彼の頭上には「2」とあるらしい。売った薬のためだろう。 またある所では恋人を振った男性。「1」。線路に転落した酔っ払いを撥ねた鉄道運転士は「1」。社運をかけたプロジェクトに失敗、多数のレイオフ者を出したIT大企業の元社長は「3」。 また、ただ海外旅行に訪れただけの少年が「584」だった事もある。彼の体を調べてみると、ウィルスを持ちこんだ事が判明した。 だがこの流れにあっても、数字が現れた理由そのものは分からなかった。 2012年3月26日。 新たな現象が発見された。 それは「ステータス・オープン」と叫ぶことにより、頭上の数字が消え――ステータス画面が表示されるという現象だった。 今のところ、よく知られていない。 舞台である――2026年9月11日の金曜日までは、まだ。 //一章 //3 ------------------------------------------------------------- ステータス ピコリア・ヴァムヴァキアス 0 吸収 ------------------------------------------------------------- 夜の公園である。 闇の中で、街灯が点滅していた。 ここは、東京から離れた、千葉と茨城の東の海に位置する人口島、美浜島の南部である――広大な土地を有しているため人口の密度も高くない。 だからだろうか? その異様な存在が、周囲の住民に見つかることはなかった。 幽霊のよう。 なにやら、誰かが黒いぐしょぐしょのビニールシートに身を包み、公園を横切って歩いていくのだった。 幽霊でないなら? まるでファンタジーの、黒ローブの魔術師のよう。……だがそれよりはずっと着ぶくれしている。 彼女は、ピコリア・ヴァムヴァキアス。 頭上には、あの斜線つきの「0」があった。 「はあっ、はあ……」 彼女の目的は、公園の隅にある水道である。 そこにたどり着くと、彼女は黒いビニールシートを脱いだ。 とたん、蒸れた悪臭が広がる。彼女自身がにおいに耐えるように息を止めた。 「……っ」 ビニールシートがぱさりと硬い音を立ててすべて落ちる。 現れた姿は裸だった。ピンク色のうろこに、白いおなかの竜人の少女だ。体系は痩せている。 胸の膨らみ始める時期だというのに胸もほとんど膨らんでいない――ドラゴンではあるが、乳の出る生き物たる証である、ちっちゃい、かわいらしい乳首が左右それぞれに、連なるようについていた。 全身が、血で赤く汚れている。ただし彼女の血ではない。 頭から被せられていた豚の血なのだった。 「あいつらっ、覚えてろお……!」 そんな言葉を息巻いて吐く彼女だが、心が深く傷ついているのは明白であった。左の目の下には泣きはらした痕がある。右の目は殴られた痕があり、潰れていた。黒いビニールを取り去った今、寒さにがちがちと震えはじめている。 彼女はまとっていた黒いビニールの膨らみから、スクールバッグを取り出した。それは切り刻まれてズタボロだった。 彼女はそのチャックに手をかけようとして――切り刻まれて空いた穴から、ぽたりぽたりと何かがが垂れていることに気がつく。 「うっ!」 口を押さえた。キッと後ろを振り向いて、ぱちぱちと左目をこらす。辿ってきた道を見ると、スクールバッグから漏れ出たなにかが、ぽつぽつと痕を残しているのがわかった。 牛糞だった。 ボロボロのスクールバッグの中に詰め込まれていた、中身である。 「うううっ、ううっ……ぐすっ」 彼女は嗚咽をこらえながら、水道でスクールバッグの中に水を注いだ。 水で薄まった牛糞がどぱどぱと溢れて跳ねて、彼女は歯を食いしばって、何かに耐えるようにうつむいている。 洗い続けるあいだ、彼女は微動だにしなかった。 3分。 そうした後、彼女は汚れてぐしゃぐしゃのバッグの中に腕を突っ込んで、その表情を歪めつつ、丸まった制服を取り出す。 牛糞に浸かっていた汚れのほどなど、言うまでもない。悪臭に顔を背けながら、手で洗いはじめる。 着込んでいた黒いビニールを風が吹きとばし、茂みにひっかかった。 裸の彼女があとに残った。その姿は公園の街灯にものさびしく、照らされている。背中が震え、そこには小さな両の翼があった。片方は折れていて、ほとんど壊死している。この折れた翼の腐食が進めば、体にも影響があると思われた。 医者に行く金がないことは明白。 彼女は、体に鞭打ち、ただ服を洗いつづけた。 体を冷水で洗った。 それから、例の黒いビニールとボロボロのバッグを抱えて持ち、歩き出した。 公園の出口あたりに来たとき、ふと立ち止まる。 少し悩んだあと、あのびしょびしょの制服を取り出して、ごそごそと着はじめて……再び歩きだした。 濡れた制服姿を見られればすぐに警察に見つかるだろう……だから、街灯のない道を選んでいく。人の気配があれば立ち止まり、引き返して違う道を選びながら、歩いた。 やがて河川敷の、橋の下にたどり着いた。 ――しかし、なぜ人口島なのに川なんてあるのだろう……。 実際、これは『川』と名付けられているが、流れているのは海水であるという。川魚は釣れないが、たまに海の魚が迷い込んでくるので、よく彼女、ピコリアは枝でモリを作って獲っていた。 そんな橋の下の影になったところに入る。 彼女は黒いビニールシートを広げて、寝る準備にとりかかろうとした。 「おうい、ぴこちゃん」 と声があった。 見ると、ホームレスである。 ピコリアは彼を知っていた。 リスの老人で、ミチカツさんという。 ピコリアの167cmの身長の半分以下である。人のよい笑いを絶やさない人だった。 いや、笑いだけじゃなくて、性格も、笑いの通りの人だ。 「今日は遅かったね」 「うん」 「またいじめられたのかね」 「うん……」 ミチカツさんは、まだほのかな悪臭のするピコリアの体を抱きしめてくれた。 豚の血をかけられ、牛糞を詰められ、そして女と男であるが、この際、関係はない。 誰かが抱きしめてくれないと、ピコリアはもう壊れそうだった。 「わたし……もうだめ……」 「ダメだよ、ぴこちゃん。強く心を持つんだ。人生はひどいもんだよ。だけど今はね、『俺』って言ってたほうがいいんじゃないかなあ。せめて強い男になったつもりで、よ」 「お……おれ」 「そう。そうだよ。んがんが」 「慣れないよお……」 「ふがふが」 彼は顎をケガしてから、ふがふが言うクセがある。 そんな彼が言っている『俺』という言葉の意味は、きっと『強い存在になれ』あたりの意味合いだろう。 ピコリアだって――この世の、男と女という違いを知っている。 女の言葉と男の言葉が世の中にあり、「俺」が男っぽい言葉に属していることは、知っている。男女差別的で、男が強いものであるとみなし、「わたし」に対して矯正的。 2026年になった今でもポリティカル・コレクトネスは無力だった。 衒学をもてあそび、時間も金もある人間たちが――現場に足を運ぶことなく――学術の場やSNSで論争をする程度のものだ。差別に苦しむ人々を救うことはない。 女が場にそぐわない服装をしているというだけで殺される土地に、研究のために足を踏み入れた者は、一週間経てば飛行機に乗ってコンソメスープをすすりながら帰ってくる。 日本にて出版された、外交官の仕事について書かれた本がある。 読むと「世界の貧困地域のために活動している」と書いたのと同じ者が「アメリカの大統領夫人と一緒に食事を囲むことがあった」旨を書いている世である。団体のネーミングをするにあたり、その名前のうち一文字にこめた意図について「『モーニング娘。』の『。』と同じく大事なんですよ」と外交官の仕事についての本に書けるような世である。 だから、違う者同士の溝は埋まらない。 男と女の溝は埋まらない。 不平等については、諦めるしかない。 だが、彼の言葉の根っこには励ましの意図があるので、彼女も強く言い返しはしなかった。 「ミチカツさん……わたしは、女なんだよ」 「それがどうしたあ、心の話だ。心の話」 「心が折れたら、どうすればいいの。体も心も使いものにならないんだよ……」 「……」 「ねえ、どうしたらいいの」 「夢を」 ミチカツさんは言いにくそうに言った。 「夢を見るしかねえ」 「夢を?」 「良いことがあったら、まわりのカネモチどもより喜ぶ。悪いことがあったら、まわりのカネモチどもよりよく耐える。カネモチどもよりも、身の回りのちっちゃい事の中にある美しさを見つけ出して、人生の質で勝っていくしかねえーんだ」 「画家みたいなこと言うね」 「受け売りだ。ふがふが。もう忘れた」 「幸せ……」 ピコリアにとって、幸せの形は明確だった。 金の優位は欲しい。体の優位も欲しい。 だがそれ以上に……。 ピコリアはすでに父とも母とも実質上の絶縁をされている。おそらくは、戸籍の上では残っているかもしれない。 だが、もしもピコリアが、同じピンク色の竜たるヴァムヴァキアスの一族と出会いたいと言っても、許されない。 豪華絢爛たる高層の屋敷(そう。高層マンションではない)すべてを所有する、一族の家には入れてくれないだろう。遠い、東京の一等地にある、遙かなるその土地へは……。 ヴァムヴァキアス家には、ピコリアの姉と兄が一人ずつ、いる。 両親に溺愛されているその二人について、ピコリアとの関係など言うまでもない。姉と兄はピコリアを見下していたし、一方ピコリアも「一人じゃ生きていけないやつら」と見下した。そうして自らを保った。 だが、そのピコリアにとっても、このミチカツさんだけは親のような役割をしてくれている。 親よりもずっと優しかった。 彼は胸を貸して泣かせてくれた。逆に、彼にヒザを貸して泣かせてやることもあった。 もうなんなら、齢16歳の彼女にさえも、彼のような優しい人をつなぎ止めておくためなら、その秘密のところさえもさらけ出し、差し出してしまおうとさえも考えている。 「ぴこちゃん。今日は寝ろ。たくさん泣いて寝たら多少忘れちまうもんさ」 「いや、それよりも」 「?」 「……えっとね。……練炭ってのを盗み出してきたいんだけど……」 「バカッ、そもそも今この時代、そんなものはどこにあるっていうのだね。早まるんじゃない」 「じゃあこの川に飛び込む!」 「魚におっぱいを喰われるぞ! ふがふが」 「! それは……嫌」 「だろうが」 たしかに、この川で生活していると、他のホームレスの、ペニスを魚に喰われた死体が打ち上がっていたこともある。二度や三度ではない。 「私に『1』を背負わせる気かね?」 「それは……それも嫌ぁ!」 ミチカツさんの頭上には、栄えある斜線付きの「0」があるのだった。 落ちぶれてまで保ち続けたもの。 自分ごときのために、それを汚したくもなかった。 結局、ピコリアは何もできない。 どこにも行けず、明日も学校があるのだ――いや、休んでしまえばいいとは、わかっている。 が、教育の機会を逃せば、いよいよもって今後の人生も置いていかれる気がする。それに、食堂裏の残飯にありつくことができない。普通の家族なら夕食を用意してくれるものらしい。 「まあ、なんだね。私は元々ある企業の社長だったんだよ。ぴこちゃん」 「うん」 「それはそれは綺麗な家具を作っててね。アラブの王族だって、私たちのソファを買ってくれたものだったんだよ。それが、この数字が出るようになった時、品質管理のリーダーに『5803』が出てね……今では私はこの通りだ」 「希望がないよお……」 「でもね、ここまで落ちることがあるんなら、逆に、上がることだってあるのかもしれないよ」 ミチカツさんは、薄汚れたチケットを差し出してきた。 金色のチケットで、見たこともない、赤い色でフチ部分に曲線が三重にうねり、直線が走り、装飾がなされている。どうにも荘厳な様子である。 「これは……なに?」 「昔のお客さんからね。今でも送られてくるんだ。でも覚えておいてくれ。これはフェイクなのさ」 「??」 「本当に綺麗なものはね、こういう形をしていないんだよ」 学校から帰ってくると、ミチカツさんが殺されていた。 ホームレス狩りであろう。 ピコリアはとくに驚くことはなかった。 昨今の「1」や「2」ならともかく、「3」以上になってしまった者は、たいていがドロップアウトして、より殺人の数を重ねることが知られている。 襲ったのも、そういう輩だろう。 ミチカツさんは、橋の下で、支柱に背中を預け、胸を押さえて死んでいた。そこらじゅうに血が散っていた。頭上の「0」は消えている。死ぬと、消えるらしい。 夕方の焼け付くような光も、橋の下の影を照らすことはなかった。 ピコリアはため息を一つついた。 ――シャベルを用意しないと。 きっとこのあたりに遊びに来る子供が、どこかに落としているはずだ。 と。 橋の東へ歩いていった。脚取りはゆっくりしたものだった。 犬のいない犬小屋の中から、ギターの残骸を取り出した。それは、ヘッドからネックまでにかけての部分のみであり、ボディが存在しない。当然、音は鳴らない。弦も外れている。だがこれは、ホームレスたちが仲間を弔うための立派な道具だ。 「ああ。ある」 おもちゃのシャベルもその犬小屋の中にあった。 右手に持つと、彼女は左手で野の綺麗な花を一輪、二輪と摘みはじめた。備えるための花である。 時間は、夜になりかけていた。 川は、月の光を受けて、きらきらと揺らめいている。 「人口島なのに、なんで川を作るのさ……」 それらを持って、彼の遺体に戻っていった。 ふと、彼の右手がなにかを指すように、自分のいるこっちに向いて倒れていることに気がついた。 指先の血で、なにかを描いたかのような痕が石の床に残っている。が、途中で事切れたようで、引っ張ったような線が書いてあるのみだ。 「……」 ピコリアは振り向いてみる。 指の方向は、あの犬小屋を指している。 「??」 ピコリアは指と犬小屋との間を何回も見た。 ……何にもない。 ひとまず、彼を弔うべきだ。 手近な土の地面を掘りはじめる。 そのまわりに4輪の花を、四方に均等に離し、囲んで置いた。 穴ができた。まだ使わないが、すべてが終わったら、彼を埋めるのだ。 ミチカツさんの遺体に向かって立つと、土まみれの手で、ピコリアはボディもないギターに指を這わせ、歌いはじめた。 誰も周りにはいない。 ホームレスのいいところは、誰にも、何にも縛られず、騒音を出していいことだった。 「美しいこころの持ち主よ」 目を閉じて、偽物の演奏を合わせ、歌い上げていく。 「川の流れが あなたとともに ありますように」 つらく険しい人生は、続く。 それに寄り添ってくれたただ一人の親のため、ピコリアは、伏せた左のまつげから――右の潰れた目は動かなかった――ひとしずくの涙を流した。 (泣くことができた) ピコリアは哀しみをなんとか奮い立たせていく。 自分の事ながら、泣くことができたという、そのことに驚いた。 (わたしが。……ダメな私が。泣くことができた……) //4 ------------------------------------------------------------- ステータス ピコリア・ヴァムヴァキアス 0 吸収 ------------------------------------------------------------- 朝の光の中で、ピコリアは犬小屋を調べてみた。 ガラクタまみれである。 たいていは、このあたりのホームレスが、価値あると思ったものだ。好き勝手に持ち込んでくる。 中に、比較的綺麗なものが、一つだけあった。 古びた任天堂のゲームボーイである。グレーの色をしていた。 「……???」 同じくガラクタの中から見つけ出した懐中電灯を点けてみる。幸いにして電池も生きているようだ。 光がぱっ、と点いたが、朝の光の中で意味はなかった。 ……その無駄な行為をとってしまったという、その事は、いつもの自分らしくない。電池の無駄だ。 理性ではなく、直感がそうさせたのだと思った。 「なにか、あるの? このゲームボーイ」。 無駄なのに――そのゲームボーイを周囲から照らして、くるりと回してみたり、電池カバーを外してみたりした。ゲームカセットは紛失しているようで、何も入っていない。犬小屋の中にもなにもない。 「テトリス、やってたよね……ミチカツさん」 ピコリアは考えたが、とくになにも分からなかった。ゲームボーイを犬小屋に再び放りこむ。 歩きはじめて、遺体に戻ってくる。彼の遺体については、儀式はしたものの、まだ土に埋める作業が残っている。 ……。別れを告げていいのか? ……彼はなにか、意味のあることをしたんじゃないかという気がして、埋めるのを躊躇する。 彼女は、魔法の言葉を唱えてみた。 「ステータス・オープン。ミチカツさん」 なにもおこらない。 「ステータス・オープン。園田 通勝(みちかつ)」 そう言い直すと、目の前にステータス画面が現れた。 ------------------------------------------------------------- ステータス 園田 通勝 死亡 <好感度 20以上のため ステータス閲覧を許可 対象:ピコリア・ヴァムヴァキアス> 0 不幸Lv1 罠解体Lv1 窃盗Lv2 潜在能力:触手 ------------------------------------------------------------- ピコリアは、首をかしげた。 (結局、これはなんなの? どうにも、ゲームっぽい) 彼女だって学校に行って、ゲームについての話を聞くことはある。 少しの時間、考えを巡らせてみた。だがやっぱり、ここに重要な情報はない気がする。 (この「死亡」が状態を表しているのかな……その下が、例の殺害人数?) となると、彼は誰も殺さないまま、逝ったことになる。 それはいい事だと思った。 「……。こんな事してる場合じゃないや」 ともかく、彼を埋めてやらなければならない。 ピコリアは彼を抱え上げた。 身長は自分が167cmで彼が79cm。抱えることは、いともたやすい。 と。 ひらり、と昨日の紙が落ちた。それはホームレス狩りのせいか、破かれて3つに破かれている。 (……) 金色のチケット。赤い色でフチ装飾。どうにも荘厳。 彼を土の穴の中にそうっと埋め終える。 ピコリアはそのチケットが気になって仕方がなかった。手に取って、まじまじと眺めた。 (数字が書いてある……これ本当に『フェイク』?) 数字は小さい。金字である。 うち分かたれた二枚には「3852」「490237050」とが書かれていて、破れ目に合わせて紙をくっつけると「4902370503852」になった。 「あっ……!?」 ピコリアは声を上げた。 そうして、なんとか乾きはじめた制服を確かめる。 今は朝だ。 市の図書館がもう少しで開く。 今日は9月13日・日曜日。 パソコンを使わないといけない。 図書館に入り、パソコンを用いて検索をする。 検索に、例の数字を打ちこんでみる。 確信があったわけではない。が、こうした時は検索に頼るのだと、相場が決まっている。 検索が示しだしたのは――。 ――『ゼルダの伝説 夢をみる島DX』のJANコードである。 という結果だった。 すぐに、あのグレーのゲームボーイを思い出した。 これはそのゲームボーイに対応する、ソフトである。 「これだ」 急にピコリアは、宝探しをしているような気分になってきた。 「やっぱり、意味がある」 街の古びたゲーム屋に入る。 ヒツジの主人は、奥の和室で上半身裸でカップ麺を食べていたが、ピコリアを見るなり、驚いて出てきた。 「客!? 何ヶ月ぶりだ!?」 と叫んだ。 当然、その頭上にはあの斜線付き「0」がある。 「は、はあ……」 「いったい何の用なんだい? レトロゲームしか置いてないよ。うちは。みんな中古も新品もダウンロード販売ばっかりになっちゃってえ」 「この美浜島、8年かそこらで、最近作られたはずですけど……」 「いやあ、東京の西、府中からの引っ越しなんだよ。在庫を捨てるに捨てられなくてさあ」 「あの、こういうゲームソフトってありますか?」 ピコリアが差しだしたのはコピー用紙。 例の『ゼルダの伝説 夢をみる島DX』の情報が印刷されている。 「あるよ。1000円だ。これコレクターには人気もあったんだけどねえ」 「!」 「今は、お金あるのかい」 「ないです! でも……」 ピコリアは表に出ると、バケツを運んできた。 「取ってきました。枝を削った槍で。ちょっと遠くまで泳いだんですけど」 中では新鮮な魚がびちゃびちゃと跳ねている。 大きかった。 「えええ? これ、海の魚じゃ……」 「密漁じゃないので大丈夫です」 ピコリアはそう言ってみたが、確信はない。 電池も売ってもらい、ゲームソフトを持って、犬小屋の前まで戻ってくる。 「……」 ごくり。 唾を呑んだ。 意を決してカセットをゲームボーイに挿入する――。 と。 ゲームボーイが音を立ててバラバラにはじけた。 「わああ!?」 パーツが散らばり、草むらにぼとぼと落ちていく。 故障だろうか? いや。こんな爆発みたいな故障もあるまい。 草むらに落ちた部品の中に、この機械のどこに隠されていたのだろうか、一枚のカードが落ちていた。 クレジットカードのように、裏にICチップが搭載されている。 「これは……」 表の右側には、白地に、銀色で地図が書いてある。 左側には氏名。 『ピコリア・ヴァムヴァキアス』 と、あった。 「!! ……わ、私――!?」 ミチカツさんは遺産を残していた。