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『とおぼえアフターリード!』 ep-02

 本当に、夢みたいだ。夢としか思えなかった。  こんな月並みな表現、心情描写の巧みな野口先生には笑われてしまうかもしれない。でも、それ以上の言い表し方を俺は知らなかった。 「じゃあ自分は、カツレツとジャーマンポテト、あとジンジャーエールを。桜吉くんは決まった?」 「あ、えっと、同じものを!」  緊張でメニューの内容が全く頭に入らず、そう答えるのが精一杯だった。  野口先生が向かい側に座っている。野口先生が俺の名前を呼んだ。俺を見て、注文を確認してくれた。その行動の一つ一つが、ディスプレイ越しのように非現実的と思えてならなかった。憧れの小説家が俺と会って食事をしてくれる事実。それを未だに飲み込めていない。  実は代理人が本人のふりをしているのでは、などと一瞬疑ったりもしたが、福澤さんはそういう悪趣味なことをする人じゃない。 「初々しいねぇ、サッキー。この眺めだけでおれ的にはもうお腹一杯だわ」  福澤さんは頬杖をつきながらにやにやと笑っている。俺の様子を冷やかしているのは分かるが、この場をセッティングしてくれた人だから怒るに怒れない。 「からかわないでください……昨晩は全然寝れなかったし、今日の授業もほとんど上の空だったんですから」 「こんなにも敬愛してくれる子がいるとは、のぐっちゃんも作家冥利に尽きるやね」 「うん、本当に嬉しいです。基本的に一人で机に向かって暮らしてるし、こうやって面と向かって感想を言ってくれる人ってなかなかいないから、励みになります」  そう言って野口先生は穏やかに笑った。インタビュアーが口を揃えたように「内気で物静か」と表現する通りの人物像らしい。  野口唯志先生は七年前『笹の花が開くまで』で新人賞を受賞して以来、その穏やかかつ活き活きした生活の匂い漂う筆致でいくつもの作品を上梓し、文学通を唸らせてきた。今は初の時代小説を構想しているらしい。そんな忙しい時期に会う約束を取り付けてくれた福澤さんは、野口先生のかつてのバイト仲間だという。 「最近は取材で色々回ってるんでしょ? どこのへんが舞台なんだっけ」 「駿府藩……今で言う静岡を中心とした地域です。当初は岡山も候補にあったんですが、現地取材の時間とかを考えて静岡に」 「うーん、岡山ねぇ。題材にするには好都合だろうだけど、そう気軽にはね~」  野口先生が福澤さんと笑い合う。本当に気心の知れた間柄なんだ。 「岡山にご親戚とかがいるんですか?」 「その、知り合いが住んでるんです。自分も一度行ったことがあって、色々面白い体験をしたからいつか小説に組み込めたらなって思ってる。ちょっと普通じゃない体験だし、かえって難しいところもあるんだけどね」  体験を組み込む。格好いい響きだ。フィクション色の強い漫画ばかり読んで育ってきた俺にとって、実体験を元に書かれる文章というのは想像がつきにくく、それだけに強い関心をそそられた。  今日はそういったことについても野口先生に尋ねるつもりだった。しかし、いざ本人を前にするとどんなに他愛もない質問も口に出すのが憚られた。  情けない。中学では主将として肩で風を切っていた俺だというのに。  飲み物がテーブルに置かれ、俺たちは小さく乾杯した。直後にテーブルに置かれた野口さんのスマホが振動する。 「電話の着信? 出なくていいの?」 「実家からなので後でかけ直します。箪笥に入れてある自分の服を親戚にお下がりであげていいかって話を前からしてたので、そのことかと」 「ああ、大学進学で上京したけど金がないっていう子ね」 「そうです。桜吉くんはこの春から高校生なんだっけ?」 「はいっ。福澤さんのおかげです。進学したい高校はあっても俺の学力じゃ無理だって思っていたので」  福澤さんがキザな仕草でタテガミを搔き上げる。最近短めにタテガミをカットしたが、以前の方が女性にはモテそうだったと思う。実際、女子塾生に一番人気の講師は福澤さんだ。 「福澤さんが最初に塾講師として就職したって聞いたときは驚きましたよ。てっきり株とか不動産投資で食べていくつもりかと思ってたので」 「のぐっちゃんの中でのおれ像どうなってんの……そこまで冒険できないよ、十年前は近いこと考えてた時期あったけどさ」  高校受験を控えて先輩に勧められた駅前の塾。そこで社会科を受け持っていたのが福澤さんだった。「先生」と呼ばれるのは嫌だから「さん」付けにして欲しい、という砕けた講師。  授業の合間に雑談をするうち野口先生と旧知の仲であることを知り、福澤さんの方も俺の従兄弟と面識があることを明かした。 「世間は狭いもんだねぇ。桃井師範にそっくりな従兄弟がおれの塾に来て、しかものぐっちゃんのファンだとは」 「……そんなに似てますか? 前はそうでもなかったけど、中学上がったあたりから藤おじに似てるってしきりに言われるようになって」 「顔形全体がだけど、眉が特に似てますよね。同じく空手をやってるからか体格も近いし」  野口先生に見つめられてドギマギした。だいぶ年上の親戚に似ていると言われるのは複雑だが、野口先生が親しみを感じてくれているなら嬉しい。  藤おじ――藤夫おじさんは俺の従兄弟だ。俺の父親の一番上の姉が藤おじの母親にあたる。関東圏住まいの従兄弟が藤おじとその兄・桐夫おじさんだけだったため、幼い頃は「イトコ」とは親より歳上の親戚を指す言葉だと思っていた。  藤おじは空手の師範で、野口先生はかつて門下生だった。その繋がりを知ったときの衝撃は忘れられない。俺も藤おじの影響で空手部に入部していたので、運命めいたものを勝手に感じてしまったりもした。  野口先生が藤おじの道場にいたと知れば同じ場所で修練したかった、福澤さんがバイト仲間だったと知れば同じ店で働きたかったと、今更どうにもならないことを悔やんだりした。 「師範は元気にしてるかな? 最近は年賀状くらいでしかやりとりしなくなっちゃって」 「関節を軽く痛めることはあるけど元気です。三人目の子がもうじき生まれるからって、何かと張り切ってます」  長いこと独身だった藤おじだが、桐おじの営むラーメン屋へ食材を卸しに来た業者の女性に一目惚れ。正拳突きのような熱烈アタックの結果八年前に結婚し、子宝にも恵まれた。 「初めてサッキーに会ったときは師範の子かと思ってたんよね。『隠し子?』とか『クローン体?』とか、色々邪推しちゃったよ」 「実際親子でも通じるくらいの年齢差ですしね」 「桐おじを知ってる人にも同じこと言われます。そっちもつい四年前に結婚したばかりですけど」  ふうむ、とハンバーガーを齧りながら福澤さんが物憂げな息を吐いた。野口先生もどこか遠くを見るような目をしている。 「? どうかしたんですか?」 「いやね、結婚するとみんな付き合いが悪くなるよなーと思って。おれの身の回りが今まさに結婚ラッシュってやつでさ。家庭内で忙しいことが増えるからしょうがないんだけど、寂しいよな」 「でも、福澤さんもいつかは結婚するんですよね? 今付き合ってる人と結婚して同じように忙しくなったら、寂しいって思う暇もないんじゃ?」  福澤さんは恋人がいることを塾で公言している。慰めのつもりでそう言うと、「んん」と肯定でも否定でもない反応を返された。  もしかして、今の彼女とは結婚を考えていないんだろうか。だとしたら悪いことを言ってしまったかもしれない。 「野口先生は結婚を考えることってありますか?」  なさそうだ、と思いつつ尋ねてみる。野口先生の作品には恋愛要素がほとんどなく、男女が結ばれはしても淡々とその事実が語られるだけ。同性間の堅い絆を描く方がずっと多い。  そんな硬派な作風だから、きっと交際や結婚のような俗っぽい風習には関心が薄いと思っていた。 「できればしてみたい、かな」  意外な返答だった。もしかして付き合っている人がいたりするのだろうか。 「誰かと正式に認められた関係になってみたい。好きな人との馴れ初めをみんなに語ってみたい、とは思う。その前にそんな相手と巡り合えれば、の話だけどね」 「それが案外高望みなんだけどね。おれらはそういう……世代だから」  難しいものですよね、と呟きながら、野口先生はカツレツを頬張った。  俺も自分の前に置かれたカツレツをフォークで刺した。変なことを聞いちゃったかな。俺はしばしばストレートに物を言いすぎるところがあると周囲から注意される。今日は緊張で口が回らずにいたが、緊張が解けたら解けたでこれだ。  それに加え、話しているうちに野口先生も福澤さんも俺とは何かが違う気がする、と思えてきた。年齢や社会経験が違うのだから当然ではあるが、その他にももっと違う価値観を二人だけは共有しているような素振りがあった。 「サッキーは誰かと付き合ったことある?」 「あ、はい……中二の頃に、同じクラスの女子と。三年に上がる前に自然消滅しちゃいましたけど」  修学旅行で告白された勢いで付き合い、数回デートをしたらハイおしまい、という呆気ない幕切れだった。多分、お互いに手頃な相手だったから付き合っていたというだけだ。 「結婚しちゃったら相性が合わなくても自然消滅、とはいかないからね。面倒くさい手続きを踏まないと別れられない。いわば生活を共に運営していく労働契約よ、結婚って。事前に条件が合致してるかしっかり見極めるためにも、恋愛の場数を踏んで経験積まないとね」  福澤さんがピクルスをポリポリと齧りつつ言う。 「夢のカケラもないですね福澤さんは……確かに双方の要求が噛み合うことは大事ですけど、場数を踏まずとも運命の声に耳を澄ませば自然と引かれ合うものだと思います。そうして出会うのが、本当に一生を添い遂げるに相応しい相手なんです」  作中で「結婚するくらいなら過労死したい」と登場人物に言わせた野口先生らしからぬ発言が出た。 「のぐっちゃんは案外ロマンチストよね……もっと気楽に付き合ったり別れたりしてもいいと思うよ、その中から当たりを見つければいいんだし」 「そうは言いますけど、福澤さんにもそういうところあると思いますよ? 前の人と付き合いたてのとき言ってたじゃないですか、『今までの相手とは違う。一緒に寝た夜、大地がおれらを祝福してるのを感じた』って。三ヶ月持ちませんでしたけど」  野口先生の喋りが若干舌足らずになっている。その手にはビールのジョッキが握られている。いつの間にかアルコールを注文していたらしい。 「ちょいちょい、それサッキーの前では言わんといてくれない?」 「そもそも福澤さんは軽いんです。軽い関係を求めるのは自由ですけど、相手も同じように軽い気持ちであるって前提を疑った方がいいです」 「それだって付き合ってみなきゃ分かんないとこあるじゃん。話して気が合ってもベッドで気が合うかは分かんないんだしさ」 「高校生の前でそういうことは言わないでください!」 「のぐっちゃんも同じようなこと言ってたけどなぁ!?」  酔った野口先生を福澤さんが宥めている。  かなり大人な会話が繰り広げられている。俺だってそれなりにアダルトな知識はあるものの、目の前でそんなやりとりをされると、ただジンジャーエールをすすりながら視線を泳がせるしかなかった。  話を聞く限り、福澤さんは相当経験豊富であることが分かる。一体何人と枕を交わしたのだろう。本人の目の前でそんなことを考えるのはマズい気がしたが、想像が止められなかった。  そう考えると、野口先生は女性経験がまだないんだろうか。俺も付き合っている間にキスすらできなかったので、勝手ながら親近感を抱いた。 「ゴメンねぇサッキー、のぐっちゃん酔うと時々暴走するから……」 「い、いえ。むしろ親近感を感じます。今こうしてても、雲の上の人みたいな感じがずっとしてたので」 「雲の上なんて、そんなこと言われたの初めてだなぁ……」  野口先生が恥ずかしげに頬を掻いている。憧れの作家の感情が俺の言葉で動く様を目の当たりにして、俺の頭も酔ったようにクラクラと揺らいだ。 「でもなんていうか、そういう経験が実際にはなくても、想像を広げて重厚感のある物語に組み込むことができるってさすがだなって思います」  言った後で「失礼な言い方をしてしまった」と青くなった。が、野口先生はグラスを傾けながら「うーん」と何かを思い出すように唸っただけだった。 「創作への想像力はある方かなとは思う……けど、全く経験したことないものはどうしても上滑りした描写にしかならないから、一見創作には関係なくても新しい何かに挑戦する姿勢は忘れずにいきたいな」 「挑戦、ですか」 「そうだね。前の彼とも色々と――」  ん? 彼? 野口先生がそう口にして、ぴたりと動きを止めた。 「彼っていうと、誰ですか?」 「えーとアレよ、担当さん担当さん。文学やってると代名詞に『彼』『彼女』って使う癖がつくんよね? ね?」  なぜか福澤さんが慌てて補足をした。 「あ、えっと、はい、前の担当さんは一緒にその……よく行楽に行きまして! そこで色んなものを見てとても勉強になったりもしました!」 「そそそ、レジャーも話作りのタネになったりするもんね!」 「桜吉くん、短編の『蜜柑の中の銀河』は読んでくれたことある? あの話に出て来る温泉旅館のエピソードは昔行った旅行が元になっててね」 「そうだったんですか、宴会のシーンの賑やかさとか描写が細かいなぁって思ってました」  なんだか違和感がある。何かを誤魔化そうとしてるような感じを受ける。  けど、何を誤魔化すというんだろう? たとえそうだとしても野口先生のことだ、俺に話すには取るに足らないことを取捨選択してくれただけに違いない。  俺はいつもストレートに物を言ってしまう。今日みたいな日はさすがに委縮して言いたいことの十分の一も伝えられていないが、あえて口に出さない大人の礼儀というものを見習わなければ。 「俺、その話だと星空を観察するシーンが印象に残ってます。男二人でのシーンなのにお互いの体付きを褒めあったり布団の中ではしゃいだり、まるで恋人同士の会話みたいなとこがあって、なんだか新鮮に思いました」 「……そうだね、あの二人は友達、なんだけどね」  野口先生は俯き気味に額へ手をやっている。お酒がかなり回ってきたんだろうか。だがようやく作品への感想をちゃんと言えそうだ、ここではっきり伝えなければ。 「ネットでもそこを評価してるレビューを見たことあります。『荒井×十倉描写に滾りました』って、確かに二人の友情の描写熱かったですもんね。ファンの人がイメージイラストを描いたりもしてましたよ、少女漫画っぽい絵で」 「……それ、どこで見たの?」 「どこだったかな……ちょっと今検索してみま」 「あーっっと! そ、そろそろ遅くなってきたし出よっか! お兄さんお会計お願いしやーっす!!」  福澤さんが今日一番の大声で店員を呼んだ。

『とおぼえアフターリード!』 ep-02

Comments

すごくよかったです(;ω;)


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