彗翔は家のベッドで寝転び、ぼんやりと天井を見上げていた。
MMA部とディザイアの団体戦から既に3週間が経った。試合で負った怪我の回復に専念するため、MMA部は活動を休止している。もっとも、頑丈な彗翔の体はとっくに全快し、涼冴に散々蹴られた腹にも、強烈な膝蹴りを貰った顎にも、傷一つ残っていない。部活がないだけで、学校には毎日登校しているし、バイトにも出ている。まるでディザイアで戦ってきた日々が夢のことだったかのように、いつもどおりの日常が戻ってきていた──わけではなかった。
剴「ガアアアァッ!!!ゴオオオォッ!!!!」
彗翔「あーもうッ!!うるせええええッ!!」
その理由が、この新たな同居人、稲叢剴だ。団体戦では蒼惟と一回戦目を戦った相手であり、彗翔も一度やり合ったことがある。本来敵対関係にあるはずの男だが、団体戦中のMMA部の裏工作に無自覚ながらも協力してしまった剴は、徠から謹慎処分を言い渡され、行くあてを失ってしまったのだ。成り行き上仕方がなかったとはいえ、体のいい言葉で剴を釣った結果こうなってしまったことに、蒼惟も多少なりとも責任を感じたのだろう。とはいえ剴を自分の家に連れていくわけにもいかず、一人暮らしの彗翔の家に押し付けられた……というわけだった。
彗翔(なんでコイツは起きてても寝ててもうっせーんだよ!)
夕食を食べ終えた剴は床へ大の字に寝転び、爆音のイビキを響かせている。起きている間はさらにひどい。。大声で叫び、無駄に動き回り、時には無意味に受身を取り始める始末。隣人や階下の住人からいつ怒鳴り込んで来るのではないかと、彗翔は戦々恐々としていた。
だが、彗翔が日常に戻れていない理由はまだあった。耳を塞ぎながら寝返りをうつと、枕元に置いていたスマホの画面が目に入る。
彗翔(…徠のヤツ、メッセ送ってんのにガン無視かよ…)
ディザイアの試合は月に1度程の頻度で開催されている。普段であれば徠から次の試合の情報や集合場所が送られている頃合だ。だが、メッセージは一向に送られて来ず、逆にメッセージを送ってみても既読マークもつかないのだ。
彗翔(裏工作があったから今月は開催されねーのか?それかやっぱ日向先輩のとこにだけ連絡いってんのかな…?)
気がかりなのは、日向のことだった。ディザイアとの団体戦は無効試合となり、ディザイアと彗翔の契約は継続している。しかし、その契約内容には2つの変更が加わっている。
一つは、ディザイアでの試合に彗翔が出場する時、代わりに他の部員が出ることが可能になったこと。
もう一つ、そして最大の問題点は、その選出の権限が日向に委ねられたことだ。
彗翔(日向先輩、絶対自分で出るんだろうなぁー…)
MMA部の主将である彼に出場者を選出する権限が一任されるのは当然と言えば当然だ。だが、日向が部員を危険な地下格闘の場に送り出すわけがない。当然自分が全ての試合に出場するという選択肢を取るだろう。全ての負担を一人で背負いこもうとする性格であることは、彗翔もわかっていた。
彗翔(オレに出させてくださいって送りまくってんのに、日向先輩もガン無視だし…)
部活が休止している今、他学年の日向とは3週間近く顔を合わせていない。ディザイアに出場させてもらえるように、彗翔は日向に何度もメッセージを送っていたが、こちらも既読マークが付く気配は一向に無かった。何度か電話もかけたが、出てもらえることは無かった。
彗翔(てか気づいてない説ある?日向先輩スマホ得意なイメージねえし。もう直接会って話した方が早くね?)
思い立ったらすぐに動かずにいられない。彗翔はベッドから起き上がり、床に脱ぎ散らかしていた上着を羽織る。
ついでに毛布を引っ掴み、いびきを響かせる剴に被せておく。これで騒音被害を少しはマシにできる…だろうか?
彗翔(…一応もう1回電話しとくかー)
外に出た彗翔は時折爪先で地面をノックするように靴を整えながら、スマホで通話画面を開く。
そうしてスマホに気を取られながら歩いていると、突然声を掛けられた。
日向「こんな時間からどこに行く?」
彗翔「うおぅッ!?日向先輩ッ!?」
驚いた拍子に取り落としそうになったスマホを何とかキャッチして振り向くと、アパートの入り口に日向が座っていた。
彗翔「先輩こそ何してんスか!?でもラッキー!ちょうど話したかったトコなんスよ!」
日向「俺もだ。場所を変えてもいいか」
日向も手に持っていたスマホをポケットにしまいながら立ち上がる。
彗翔「へ?どこ行くんスか?」
日向「部室だ。お前とスパーがしたい」
警備の目を盗んで夜の学校にこっそりと忍び込むのは、ディザイアで試合に出るのとはまた別の緊張感があった。万が一守衛に見付かるようなことがあれば、最悪停学処分になるかもしれない。ただでさえMMA部は評判が良くないのだから。
部室に辿り着いても電気など付けるわけにはいかなかった。だが、幸いにも窓から差し込む月明かりがちょうどよくリングを照らしていた。
彗翔「先輩も意外とロックすね!夜の学校忍び込むとかガチ青春じゃないスか~!」
日向「しばらく部活が無かったんだ。お前も身体動かしたかっただろ」
彗翔「そうなんスよー!剴のプロレスごっこには付き合わされてたけど家だと狭くって!」
久々の部活、それも夜の部室という非日常のシチュエーションに彗翔はすっかりハイテンションになっていた。ディザイアの話題もこのスパーが終わってから話せればいいと、頭の片隅にへと追いやられていた。
ウォーミングアップと着替えを済ませた二人はリングに立ち、向かい合う。
彗翔「タイマーもセットOKす!あとはブザーが鳴るだけスね!」
日向「天ヶ瀬」
彗翔「ん?なんスか?」
日向「徠から試合の知らせが来た。来週だ」
彗翔「え!」
まさか日向の方からディザイアの話が出るとは思いもしていなかった彗翔は驚く。
彗翔(やっぱ日向先輩の方に連絡いってんだ…!)
日向「もしこのスパーでお前が勝ったら、その試合に出てもいい」
彗翔「えッ!?マジすかッ!?もちろんオレ出ますよッ!!」
日向「だが、お前が負けたら、二度とディザイアに出るな」
彗翔「…え?」
鋼のように硬く、斬り捨てるように鋭い声音だった。
ブーッ!!
突然の言葉に虚を突かれた彗翔。それをよそにセットしてあった試合開始のブザーが鳴る。
その瞬間、彗翔の目の前に日向が飛び込んでいた。
躊躇いなく突き出された拳を、彗翔はすんでの所で防ぐ。
彗翔「いって…ッ!」
痺れるような感覚が骨の芯まで響き渡る。
彗翔(日向先輩…これガチなヤツじゃん…!)
彗翔はジャブを打ち返すものの、日向は既に射程の外だった。
動揺はすぐには拭えず、それが彗翔を鈍らせていた。だが、そうでなくとも当たりはしなかっただろう。涼冴との試合でもそのスピードとテクニックに翻弄されていたように、彗翔は技巧派の相手との戦いを不得手としている。加えて、日向の練度は相当なもの。勢いや力任せに仕掛けて打撃が通るような相手ではない。
彗翔(速ェ…ッ!)
日向は彗翔のリーチをしっかりと見極め、軽快なフットワークで射程外の距離を保ちつつ攻撃を仕掛けてくる。
特筆すべきはやはり八剱との試合でも見せていたあの踏み込みだろう。前進の動作に打撃を組み込んで、且つその威力を損なわないような的確で素早い踏み込み。見えないわけではない。だが、合わせて反撃するのは彗翔にとっては至難の業だ。
とんっ、とリングマットを軽く踏む音と共に、日向が彗翔に再び迫る。カウンターを狙って打ち出したジャブは、首を軽く傾ける程度の最小の動きで避けられてしまう。そして、正確なストレートが顔面に叩き込まれる。骨に響く音と鈍痛。少し遅れて鼻っ柱が熱くなる。
彗翔「ぶッ!くっそ…ッ!」
一方的に責められ続けている状況に焦った彗翔はつい得意な右フックを打ち返してしまう。だが、そんな大振りが当たるわけもない。ダッキングで躱した日向には髪の毛先に掠ることさえなく、逆にカウンターのボディフックを貰う羽目になった。
彗翔「ぐふッッ!?」
鋭い拳が脇腹に突き刺さり、腹斜筋の内まで衝撃が響く。
彗翔は痛みに顔を歪めながら確信する。
これは部活で行われるスパーリングなどという生易しいものではない。
日向は全力で彗翔を倒そうとしている。
もう二度と、ディザイアなどという危険な場所に後輩を関わらせないために。
SS作成協力:はばねろ様(https://www.pixiv.net/users/20449949)
いつもありがとうございます🙏

【Prev】 【3】 その後も彗翔は攻勢に出ようとしては出鼻を挫かれ、ほとんど一方的に打撃を喰らわされ続けた。結局、一度たりとも攻めきれない内に1ラウンド終了のブザーが響き渡った。 コーナーポストに背を預けた彗翔は、ずり落ちるようにどすんと座り込んだ。その対角線上にあるコーナー付近で、日向は立ったま...
剴を見つけた蒼惟が彗翔の家に運んできた時の話
早くから彗翔の家の前で待ち構えすぎて近所のおばさんに心配される日向
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