先日SNSでも書きましたが、2025年9月24日、飼い猫の「ダージリン(♀)」が急逝しました。5歳という若さで、劇症型急性膵炎による発症から1日足らずでの急死でした。
あまりにも、あまりにも唐突なことで私もなにも考えられない状態になっており、自身の精神的な自己防衛のためにも一度言葉で状況や彼女との記憶を整理し、見つめ直すための文章を書いています。自分のために書き残しています。
とても悲しい話題となるので見たくない方は見ないでください。
まとまりのない文章となります。
まずこの子と一緒に暮らすことを決めたのは、2020年6月20日に実家で一緒だったコーギー犬の「ハウザー(♂)」という子と死別したことがきっかけでした。
私がまだまだ幼い子供の頃に一緒に暮らし始め、途中離れた土地に1年ほど住んでいた期間を除けば毎日同じ実家の屋根の下で寝食を共にしたパートナーでした。
私はあまり親子仲が良い方ではなく、兄弟もみな早くから家を出ていたので、実家にいた頃に会話をするのはいつもこの犬だけでした。しかし老齢となってすでに全身転移していた甲状腺がんが発覚し、治療を諦めて家の中で最後を看取りました。
この子ともう一匹別の犬がいたのですが、その子と私も特別仲が良かったわけではなく、彼がこの世を去ってからというもの私は実家で誰とも話さず何週間も塞ぎ込み、覚悟はしていたものの自分だけが取り残されたような孤独感に耐えきれませんでした。
その頃には私も自立できるほど作家としての仕事もあったので、私を気にかけてくれた友人が「いま両親が貸出中のマンションがあるから、よかったら気分転換に越してくる?」と提案してくれて、なにかをする目的を見失っていた私は呆然としながらも友人らの助けを借りて今も住んでいるマンションへ引っ越してきました。
新しい環境になれば孤独感も薄れるだろうと思い、引っ越してから数週間は一人で過ごしていました。
しかしなれない生活環境というのを差し引いても毎晩のように耐え難い寂しさに襲われてしまい、その頃は外出する気力もアテもなかったため、自室で一人こもっての生活に命の危機を感じ始めました。その短期間で何度か具体的な自決の方法を想像してしまい、そのときに「私はひとりぼっちだと生きていけない人間なのだ」と強く自覚しました。
しかし一人暮らしで犬を飼うのは留守番させる場合や散歩等のリソースを背負い切るのが難しいため、自分の環境と照らし合わせた上で、ある程度ひとりで自由気ままに過ごしてくれる気質の猫と一緒に暮らしてもらおうと考えました。ハウザーと死別してからまだ数週間程度しか経っていませんでしたが、本当にこのままでは精神が崩れかねないと思い、マンションを貸してくれた友人の車を借りて、別のもう一人の友人と3人で遠方のブリーダーさんのところまで子猫を迎えに行きました。
それがこの↓名も無き子猫(2ヶ月)でした。
会って間もない時からとても猫らしくいろんなものに興味を示す猫で、自宅に帰った頃にはゴロゴロと喉を鳴らしながらミャーと鳴いて私に懐いていてくれました。
車の中で友人たちと「名前どうすんの?」などと話をしており、この子がブリティッシュショートヘアーというイギリス生まれの猫種だったこともあり、なにか紅茶の名前をつけようとあれやこれや議論を重ねた結果、一番有名どころの「ダージリン」という名前をつけられて無事我が家に迎え入れることができました。
初日にもかかわらず、もうすでに安心し切った顔で我が家の雰囲気に馴染んでくれました。夜間などはさすがにケージに入れていましたが、寝室の電気コードや糸屑の出るような危険な小物、割れ物等を取り除いた後は一週間もしないうちに同じベッドで寝るようになり、あっというまに私と24時間生活を共にする存在になりました。
いもむし
へそ天
飼い主の寝床で眠る猫は飼い主を誰より信頼してくれているそうです
仕事場にもいつもついてまわっていました
この頃から「もし私が一人で急死してしまった場合の緊急措置として、友人たちのLINEグループに毎日ダージリンの画像を送る。それがしばらく音信不通になったら私に何かあったということなので、猫の様子を見に行ってほしい」というルールを設け、毎日ダージリンの写真記録を撮り続け共有する習慣ができました。
ここではとても紹介しきれないほど膨大な数の写真記録が残っています。
いまとなってはそれがとても大事な思い出の保管庫になっていますが。
初めは少し濁った色だった瞳も少しづつ綺麗な琥珀色になっていき
生後三、四ヶ月頃にはもう成猫らしい顔つきになっていました。
ブリショー特有の、もっちりした頬がとても可愛い子でした。
ただこの頃から活動範囲も広がってイタズラの可動域も増えてゆき、キッチンに登って輪ゴムを誤飲したり食べ物のカスを漁る行動が起き始めました。
当然やめさせなければならないので厳しく叱り続けたのですが、猫という生物は都合の悪い感情はすぐに忘れられてしまう質なので、何度注意しても本を齧るわコンセントを齧るわ……目の届かない間はケージに閉じ込めるという手もありますが流石に可哀想なので、コンセントカバーやキッチンへの侵入防止柵の設置など、半年も経たないうちに家の中が猫の存在を前提にカスタマイズされていきました。飼い主としては大変な苦労です。
だというのにこのふてぶてしい顔
でも可愛いから許してしまう
足の上で寝たり、手のひらを枕にして寝てくれることもありました。
私以外に頼れる存在がいないから当たり前と言えばそうなんですが、1年も経たないうちにダージリンは私の人生の一部として自然にそこにいました。
彼女の生活は私の生活でした。
正直にいうと、仕事がうまくいかず八つ当たりしてしまうこともありました。
そのあとはお詫びのようにチュールを差し上げて何度も謝罪しました。
それでも彼女は翌朝から変わらず接してくれて、喉を鳴らしてくれました。
いまでも申し訳ないことをした記憶がたくさんあります。
そのたびにこの子にもっと誠実に向き合わなくてはいけないと自分を戒めました。
ダージリンはいつも私を信頼しようとしてくれました。
猫は犬と違って、懇願し縋ろうとするというよりは、仲間として信頼し頼ろうとする感じでこちらの目を見てきます。甘えるという点では同じなのですが、温度感というか、距離感が少し違う気がします。
「私もお前も勝手に過ごしてるけど、撫でたいなら撫でにきたら?」という感じで見上げてくるのです。彼女はそういう非常に猫らしい甘え方をする猫だったので、仕事中はいつも作業が途切れ途切れになってしまいました。そしてしばらく撫でると、飽きてまたどこかへ行ってしまうのです。幸せな厄介ごとでした。
そして彼女は割と猫にしては社交的で、ゲストが来ると必ず自分から匂いを嗅ぎに近寄っていきました。もちろんそこで思いっきり撫でまくるような無礼者であればすぐに逃げてしまうのですが、じっとしていればむしろ勝手に近寄ってきて仲良くなろうとするタイプでした。
おかげで実家に預けた時や特別仲の良い友人たちが遊びにきてくれた時は、みんなと仲良く遊んでくれました。引っ掻いたり噛みついたりしたことなど一度もありませんでした。とにかく好奇心旺盛で心優しく、いろんな人に愛される猫でした。
自らエアロバイクにチャレンジしようとしたことも。
いつものんびりマイペースな子でした。
見ていて飽きない、誰にでもいろんな表情を見せる子でした。
避妊手術の後だけは術後服が気に入らないのか大暴れしていましたが……。
その後は猫カビに感染して足の一部がハゲたり、ペット保険に入る直前に慢性胃腸炎が発覚して毎月の治療費がどえらいことになったりしましたが、それでも概ね元気に過ごしてくれて、我が家には私がいてダージリンがいて、という状態が日常であり、本当に毎日毎日お互いを常に意識して何年もずっと生きていました。
朝起きれば寝床に彼女がいて
一緒にごはんを食べて
お昼寝して
遊んで
お仕事の邪魔されて
たまに見下されて
起きて
一緒に食べて
遊んで
お昼寝して
なんかしらんけど最近耳が垂れてきて
でも結局いつも私の隣でお昼寝してて。
家に一緒にいる時はもちろんのこと、家を離れて遊びに出掛けている時ですら片時もダージリンのことが頭から離れることはありませんでした。6時間以上家を離れる必要がある時はおやつをあげたり嫌がられるまでナデナデしてから家を出たり、見守りカメラで数時間に一度は寝室の様子をチェックする過保護ぶりでした。
ハウザーとの生活でもそうでしたが、彼女がきてからの生活には本当に全ての場面で彼女が関わっていました。家に帰ればいの一番にダージリンの様子をみて異常がなかったか確認し、玄関に飛び出さないよう扉は常に閉めているかチェック、部屋に異物は落ちていないか、夜中にウンチをする猫砂の音が聞こえるとすぐさま体が目覚め、目の届かないところに行った時は危ない場所へ侵入していないか探し回るなど、向こうからすれば少し鬱陶しかったであろうレベルで、冗談ではなく24時間彼女と生の全てを共有していました。
人がご飯を食べている時は、誰がいようとお構いなしに向こうから必ず食卓に登ってきて、食べている様子を眺めているのが好きな猫でした。
ハウザーとの死別の後で、私はダージリンと暮らし始めてから肝に銘じていたことがあります。
「この子とだっていつ突然また死別することになるかわからないのだから、毎日が一緒にいられる最期の日だと思って1日の最後は必ず目一杯可愛がろう」という約束です。
とはいえ本当に毎日100%そんな気持ちで向き合っていると疲弊してしまいますから、あくまで意識として頭の片隅でそう理解しながらですが。
猫はお風呂上がりの温かい人肌が大好きなので、そのタイミングになると呼んでなくてもニャ〜と鳴きながら毎日お風呂上がりの私に近づいてきます。そこから向こうが飽きるか私が寒さに耐えられなくなるかするまでの30分ほど、ずっと↑の寝てる写真のような体制でじゃれつくダージリンを思いっきり愛で撫でる習慣がありました。彼女と暮らし始めてからの五年間、出張などで実家の親に預けた時以外は毎日必ず絶対にそうしていました。単に私が気持ちいいからというのもありますが、やっぱり心のどこかで「いつ何が起きるかわからないから」という心構えがあったからです。
今思うと、この心構えをもって彼女と接し続けられていたことを本当に幸福に思います。この毎日のなでなでタイムのおかげで、ダージリンとの最後の時間に大きな後悔が残らずに済んだのです。
9月23日、昨日少しだけご飯を残していたので朝の調子を確認すると、妙に元気がありませんでした。いつもなら朝食をねだるためにベッドに乗って鳴いて催促するのですが、一向にその声が聞こえませんでした。
猫は体調が変化しやすく、食欲にもムラのある生き物なのでさほど気にせずおはようと言ったのですが、様子を見ているうちに昨日のフードを未消化で吐出しました。
それ自体も別段珍しいことではなかったのですが、どうも体の凹み具合や動きの鈍さが気になり、さらに続けて胃液を全て吐き出したために緊急性を感じて病院へすぐ連れていきました。
エコーやレントゲンや詳細な血液検査を全て行ってもらったものの明確な病巣は即日では発見できず、取り急ぎ薬剤の点滴処置をして明日もう一度詳しい診察をすることとなりました。
実は数ヶ月前にももっとひどい嘔吐を繰り返したことがあり、そこでも検査にはなにも引っかからず、同じような点滴処置をした後には数日で体調も戻っていました。
おそらく治療中の慢性胃腸炎による影響だろうとのことでその時はことなきを得たので、それ以降はより注意深く体調を見守っていたのですが、しばらくは悪化どころか胃腸の炎症も改善している経過途中での出来事でした。
診察後の夜、おそらく点滴も効いて食欲も以前のようにまた戻ってくるだろうと思っていたのに、まるでフードを食べる様子もなく、むしろ部屋の隅に行って横たわっているばかりでした。あまりにも急激に衰弱していくのを見ていてもたってもいられなくなったのですが、その時点で救急病院も受付が終わっており、翌朝までなんとか脱水にならないよう猫の液状おやつを舐めさせてあげることくらいしかできませんでした。
それでもその時点では自力で舐めることができ、ゴロゴロと嬉しそうにいつものような食いつきでおやつを2本も完食してくれました。
思えば私もその姿をみて安心したかったのかもしれません。
しかしその数時間後に、部屋の隅でダージリンがおしっこを漏らしていました。
子猫の頃からいままで一度だって粗相をしたことがなかったのに、ニャアとも鳴かず耐えきれず失禁していたのです。
その瞬間に背筋が凍りました。
以前、ハウザーと最後の夜を過ごしていたまさに深夜の同じような時間帯に、一度も粗相をしたことのない彼が寝床で何度も失禁と排便をしました。必死に耐えようと頑張ったのか、ほんの少しずつ垂れ流れでるように。
ダージリンも同じように、漏れ出るような形で床を濡らしていました。食事を取れていなかったので排便こそなかったものの、お腹も足もびしょ濡れで、それを舐めて拭き取る元気さえありませんでした。即座にこれは本当に危険な状態だと直感しました。
その時点ではまだなんとか自力で歩行したり水場に行ったりはできたのですが、水を飲もうとしてもビチャビチャとなるだけでうまく飲み込めておらず、いつの間にかお腹周りが尿と飲み水で水浸しになっていました。
なんとか指で水を舐めさせてあげたものの、彼女はぐったりと水場の器に頭を預けたままの体勢でお互い眠れないまま朝を迎えました。
病院の開く時間よりも前に急いで連れていき病状を伝えると、担当の獣医さんにすぐに入院の必要があると言われ、治療中での死亡に関する同意書にサインを求められました。この時点でもう気が気でなく、背筋の悪寒が止まりませんでした。
手続きと検査結果の説明のあと、「もうすでに命の危険があると言わざるを得ない」と宣告されました。昨晩から頭ではその可能性を見ていましたが、滅多にネガティブな言葉を使わない信頼できる獣医師の口からその言葉を聞いた時に、完全に頭が凍りつきました。
その後すぐ酸素室に入れられ点滴を打っていたダージリンと面会をしました。
声をかけても鳴き声も上げられないほど衰弱しており、もぞもぞとうごく気力はあるものの、私が触ろうとすると「ほうっておいて」といわんばかりにそっぽを向いてしまいました。猫は自分の体調がすぐれない時は誰にも触られたくない性質の生き物なので、その時はむしろ体が動くだけの余力があることに少し安心しました。
安心できる理由がほしかった、というのが正しいかもしれません。
しかしその後さらに詳しい検査結果を聞いて、もはや安心材料など存在しないという事実を突きつけられました。
血液の総量が半分以上に減っており、輸液で栄養を補充しようにもなんらかのダメージで腸管が萎縮して蠕動運動が機能しておらず、もう血液が新しく作り出せないDIC(播種性血管内凝固症候群)という極めて重篤な状態になっていると。
そのせいで昨日の輸液も、私が食べさせた液体おやつも飲み水も、何一つ吸収されない状態で胃に滞留していると。
原因は極めて劇症型の急性膵炎でした。
膵臓には脂肪を溶かす酵素を出す役割があり、そのシステムが何らかの異常で溶解液を過剰に分泌してしまい、膵臓自身および周辺の内蔵器官を溶かしてしまう病気です。
これは重症度には個体差はあれど、5・6歳以降の猫であればどんな基礎疾患のない健康な猫でも発生しうる地雷のような病気だそうです。
それも初期症状が多少の食欲不振や吐き気、活力の減退などのほんのわずかな兆候しかなく、たとえその時点で精密なエコー、レントゲン、CT検査を徹底しても初期の確定診断はほぼ不可能という、獣医師からしても最も治療が困難な病気の一つ。
完治こそ望むのは難しいけれど、なんとか担当の獣医師さんが飼っていらっしゃる猫さんの血液を輸血して生命力をつないで炎症を抑え、少しでも延命しようという唯一ののぞみに賭けるしかありませんでした。
ダージリンは慢性的な腸炎の治療を続けていましたがむしろ経過は良好で、9月22日に時点では私も何一つ違和感なく、先に書いたように一緒にご飯を食べ、遊んでお腹を撫でて、穏やかな生活を続けていました。ほかに気になるような疾患もなく、本当に、本当に何も変わらない様子で生きていました。
それが、たった1日で病態が急激に悪化し、夕方に輸血の結果をお知らせしますと言われ一度帰宅した直後のことでした。
病院から電話があり、いつもはビジネスライクで淡々とお話する看護師さんの声が明らかに焦ったトーンで動揺していました。すぐに戻ってきてくださいと言われ、もうその瞬間に、頭の中で希望が消えたことを理解しました。
車で行くのは危険だという妙に冷静な判断をして、自転車に飛び乗って病院まで全力で漕ぎました。せめてまだ意識があるならもう一度触れてあげたいと思って、徹夜明けで血の巡らない足をフル稼働させて、1秒でも早くと思って漕ぎました。このときほど自分の運動不足と衰えた脚の力を恨んだことはありませんでした。
病院前につくなり自転車を放り投げるように飛び降りて、すぐに手術室に案内されました。しかしその前の事務室を通る際に他の看護師さんの方々が俯いたままで手を組んでこちらを見守っておられるのが見えて、もうスタッフの人たちは答えを知っているのがわかってしまいました。
手術室では獣医師の方々が総出で救命措置にあたってくれており、心肺停止からすでに十数分が経過していると説明されました。
私が最後にダージリンと面会をして病院をでた、本当にその直後に容体が急変し、静かに心臓が止まったそうです。
その後もしばらく心臓マッサージを続けましたが、25分が経過し、これ以上の措置は蘇生したとしても予後が保たないと判断し、蘇生中断の意思をお伝えしました。
一連の出来事全てが、ダージリンの様子がおかしいと思って病院に連れていってから、30時間も経たない間の出来事でした。なにもかもがあっという間で、おそらく当のダージリンですらほとんど苦しむ暇がなかったと思います。
劇症型急性膵炎というのはそれほど恐ろしい、どれだけ日常的に注意深く健康に気を遣っていても、どんな猫にとっても突然起こりうる病気だと。発覚前からできうる全ての治療を施していたがダメだったと、ダージリンの遺体を持ってきてくれた担当の獣医さんが教えてくれました。
その獣医さんは私が生後2ヶ月のダージリンを連れてきた頃から彼女を診てくれており、本当に心から悔しいと、声をあげて私と一緒に泣いてくださいました。
享年5歳4ヶ月という若さでした。
ダージリンという猫が私と生を共に歩んでくれ、つい先日急逝したことの顛末はこれが全てです。
前兆もなく、悩む暇すらなく、覚悟を決められたのは彼女が息を引き取った後でした。
ここから先は私の現状についてもっとまとまりのない文章になります。ごめんなさい。
まずこんなことを言葉で書いてまとめているのは私自身のためです。
いま頭の中がぐしゃぐしゃで、何について考えればいいのか、なにをするために生きればいいのか、思考のフォーカスがまったく定まりません。
たった1日の間で生活の基盤だったものが全て壊れました。いまは彼女の骨壷を抱えながら文字を捻り出しています。そうでもしないと時間の過ごし方がわかりません。なにもしないでこの家でただ一人過ごす時間が辛くて辛くて耐えられません。
ただ幸いなことに私は住居のすぐ近くに複数人友人がおり、ダージリンとも小さな頃から頻繁に遊んでくれた方々もいたので、訃報を聞いてみなさますぐに駆けつけてくれました。もちろん私の両親もダージリンを可愛がってくれていたので来てくれました。おかげさまで彼女の死後、日中は常に誰かがそばにいてくださり気を紛らわせてくれたり、食事に付き添ってくれたりしました。一人ではとてもなにかを飲み込む気力が湧きませんでした。こういうとき、なにか別の方向へ意識が向いていると茫然自失になる時間が減って助かります。やはり、私は孤独に耐えられる人間ではないようです。
ただ不思議とダージリンの死について、なにか理不尽に対する怒りや自分への怒り、後悔などに囚われることは現状あまりありません。とはいえ、いうまでもなく絶望のどん底に叩き落とされているのは、ハウザーと死別した時と同じです。生きる理由の80%を失っています。
しかし先述した通り、ハウザーとの死別が教えてくれた「毎日が最後だと思って出来うる限りの愛情を毎日伝えよう」という約束を守り続けたからでしょうか。
「もっとああしてあげればよかった」という後悔はそれほど多くはないのです。
もちろん全くないわけではありませんが、私が自分の人生を自分なりに悩んで生きる中で、それでもダージリンが生きている間に伝えられる愛情は全て伝えたいと思って五年間毎日一緒に過ごしてきました。関係がうまくいかない日もありましたが、どんな日でも1日の最後は必ず撫でて愛情を伝えておやすみを言いました。
私とダージリンのいつもの挨拶に、彼女の頬から鼻先に私が指をそっと触れてぺろっと舐めてもらったり、指をちょこっと握って彼女に握り返してもらうという習慣がありました。すれ違いざま、ご飯を食べた後、寝る前、どんなときでもお互いに繋がっていたいと確かめ合うルーティンのようなものでした。
彼女との最後の面会の時(実際にはその後もう一度面会させてもらう予定でしたが、それは叶いませんでした)、私はいつもどおり、「これが最後の挨拶になるかもしれない」と思ってダージリンの頭や背中を撫でました。さきほども書いた通り、酸素室の中で休んでいた彼女は「ほうっておいて」とばかりに私の手をゲシっと両足で払いのけました。機嫌が悪い時のいつもの仕草です。私がその時涙をボロボロ流していたので変だと思ったのかもしれません。
そのとき私は一度、まぁいまは気分じゃないのかと思って、獣医師さんとの治療相談へ戻りました。しかし虫の知らせなのかなんなのか、どうしてももう一度顔を見ておきたくなり、ダージリンにもう一度だけ会わせてくださいとお願いしました。
さきほどはそっぽを向いていた彼女は、私がもう一度来るなり姿勢を変えてこちらの方を向いてくれました。エリザベスカラーとチューブだらけで相当動きにくかったであろう体をくねらせて私の方へ顔を向けてくれました。
私は酸素室に手を入れて、いつもそうしていたように彼女の名前を呼びながら頬と鼻先をちょんちょんと撫で触り、指を握りました。鼻先を舐める元気こそ残っていなかったものの、指先のほうにほんの少し爪が引っ掛かるような力を感じました。
くっくっ、とこちらもダージリンの指先を引いて、いつもどおり一緒にいるよという意思を伝えました。そしていつも外出する時と同じように手を振って「バイバイ、またあとでね」とお別れを言いました。
本当に、そうして私が帰ったまさにすぐ直後に眠るようにして意識がなくなり、心肺停止に至ったそうです。それを聞いて、最後の最後にいつもどおりの私たちの一緒にいる安心感を伝えられたのかなと思いました。安心して、最後に張っていた緊張感が抜けたのかなと。
急性膵炎というのは長引くほどに激痛を伴う病気なのですが、症状が出て以降はずっと鎮痛剤の点滴をしていたこと、最後に私に会えたこともあっておおきな苦痛はないまま息を引き取ることができたと、すくなくともそう信じたいと獣医さんも言ってくれました。
病院の方々も私自身も、あまりに不運な出来事だったとはいえ、できることをすべてやり尽くした上での結果であるならば、どれだけ悲しみが深くても悲しいだけで済みます。
ダージリンの寿命が10歳だったであれ15歳だったであれ、少なくとも私がそれまでに日常的にしてあげられることに変わりはなかっただろうし、大好きなカツオ味のおやつを最後の夜に2本も食べてもらえたし、たくさん撫でてあげられたし。してあげられることを全てしてあげられて最後のお別れもすることができて。
後悔の残らない死別なんてありませんが、私は恵まれている方だと思います。
私がそう思い込みたいだけかもしれませんが、ダージリンはウチに来てから幸せに生きてくれてたと思います。私が一緒にいられてずっと幸せだったのと同じように。
先述の通り、今回直接的な死因となった急性膵炎はどんなに健康に生きている猫でも(10%程度の確率ではありますが)運が悪ければ突然前触れなく発症しうる病気だといいます。そんな避けようののない病気があるのは人間でも同じです。私だって今この瞬間に心臓が止まったり脳血管が出血して明日までに死ぬ可能性があります。どれだけ健康に気を遣っていても、生物である以上いきなり病に倒れるという不運を避けることはできません。
もし交通事故や飼い主の管理不足による事故などが原因であれば悔やんでも悔やみけれませんが、全く予測不能なだれにでも起こりうる病気というのは、私は天命というか、その生き物の寿命なのだと捉えるようにしています。もちろん医学が進歩すれば治せるようになるかもしれませんが、今この瞬間にそんなことを考えても、それは生命が不死でないことを嘆くのと同じくらい不毛なことです。私がこの辛い病気に向き合ってできることがあるとすれば、ダージリンの体を蝕んだ病気の原因を少しでも解明して、ダージリンのような子を少しでも減らすために協力することだけです。
彼女の死後、病巣であった膵臓および炎症を起こした各臓器と慢性疾患のあった腸管は解剖摘出し、病理検査の検体として役立てていただくことにしました。
猫は犬と比べて病理解明があまり進んでおらず、病気の治療法や原因究明もまだ途上であると言われてます。
ダージリンの遺体は5歳で亡くなった検体ということもあり、きっと少なからず将来の猫の病理解明に役立ってくれると思います。
それでも、5歳の若さでお別れすることになるとはとても思っていなかったですし、こうして言葉を出し切った後でも寂しさと悲しさは一生消えないと思います。
すくなくともしばらくは洒落にならないレベルで落ち込んでいると思います。
5年経ったいまでもハウザーとの思い出が色濃く残っているように。
もしかしたらその寂しさに耐えきれなくなって、また別の子と暮らす選択をしているかもしれません。それほどにダージリンとの生活は体と意識の隅々にまで浸透しきっていて、あまりにも唐突すぎるお別れでした。
朝起きたその瞬間から、おはようを言うとニャアと言われる。
言わなかったらニャオンと催促される。
扉を開けると隙間から入ってくる。
顔を洗ってるといつのまにか隣に座って待ってる。
食事を準備して食べてると必ず食卓に来て、ペットボトルの蓋を奪おうとする。
仕事をしてると横に座って「構えよ」って目で見上げてくる。
掃除をしてるとうるさそうにイカ耳になる。
「いってきます」っていうと必ず目を合わせて見送ってくれる。
「ただいま」っていうと必ず尻尾をあげてニャンと迎えてくれる。
誰かと話してると必ず近くに来て混ざろうとする。
ゲームに熱中してると嫉妬してコントローラーの上に乗ろうとする。
トイレに行くと必ずドアの前で座って待ってる。
お風呂上がりには必ずニャーンと鳴いて甘えてくる。
寒い時は布団に入ってくるくせに暑い時は床で寝
おやすみを言うとニャーの口と聞こえないくらい高い声で返事をしてくれる。
生きるという日常動作すべてにダージリンという存在がいつも絶対そばにいました。
それがこんなにも唐突にいなくなったダメージはそう簡単には乗り越えられないと自分でわかってます。
どうしたらいいのか今もまだわかりません。
いつか新しい別の子と一緒に暮らすかどうかもわかりません。
あれから三日三晩泣き続けていますが、とにかくいまはあの子との幸せな記憶と離別の寂しさに押しつぶされそうで呆然としています。
彼女が一番幸せだった時の様子を遺しておきます。
私が生きていて一番幸せだった時でもあります。
もしみなさんの愛した動物との思い出話があれば、なんでもいいので教えてください。
普段コメントしない人でもいいです。
XのDM宛でもいいです。
どんなに長文になってもいいです。
自分語りをしてくれてもいいです。
いまは他の人の話が聞きたいです。
ただただ彼女がいないことが寂しくてたまりません。
初めは指先を触られるのも嫌がっていましたが、いつしか全身くまなく触れられないと足りないよという顔をするくらい私と触れ合うのが好きな子でした
【追記】
葬儀について
遺体の病巣を摘出し病理解剖へ回していただき、亡くなった翌日にダージリンの体を受け取ってから二日間、いつもの我が家で可愛がってくれた方々に囲まれていました。
そうしてつい昨日、出張火葬車による野外での火葬、拾骨を行いました。
川沿いの、普通に犬の散歩をしている人なんかが通りかかるような、なんでもない閑静な住宅付近での見送りでした。
ハウザーの火葬儀を依頼した実家近くの施設では、人間の火葬施設に併設される形でペット用の火葬場やセレモニー室が用意されており、いかにも「特別なお別れを演出します」という人間的なサービス広告に溢れた場所でした。
そのペットの火葬場は建物の最奥に設置されており、まるでゴミ処理場に引き渡すかのような雰囲気と「危険ですのでもう戻ってください」というスタッフの指示、そして頼んでもいない壮大なセレモニーBGMと焼香まで用意された拾骨環境と、最後まで人間の都合に付き合わせたような手順が私はとても嫌でした。もちろんあくまで個人の感想です。
そうした経緯もあって、私は動物、特に猫のような神経質で半分野生本能が残っている生き物を見送るのはごくごく自然なやり方でいいと思いました。
音楽も流れず、ただ火葬車に設置された火葬部屋に送る前の最後の挨拶をして、すぐ横で当たり前のように日常生活を営む人たちが通り過ぎていく青空の下で、鳥の声を聞きながら当たり前のように彼女の肉体とお別れをすることができました。
それでいいと私は思いました。
死はなにも特別なイベントではないです。
我々の生のいつもそばに死があります。元気に生きるためにボケ忘れながら過ごしているだけです。生きていることと同じくらい当たり前に死ぬものです。それが生命です。きっと我々よりも動物たちの方がそのことをよく理解しています。
ダージリンの死は私が思っていたよりもずっと早すぎましたが、それを誰にもどうしようもできなかったのなら、それが彼女の寿命だったのだと思います。
でもそのことを受け入れず、抗い、死の病魔と戦おうとするのも生命の性なのだと思います。
ダージリンは私と最後の挨拶をしてくれる瞬間まで頑張ってくれていました。
骨壷に入ってしまった彼女のそばにいるともちろん悲しみに囚われますが、「これはどうしようもなく自然なことだ」と教わっているような気もします。
その自然のまま存在してくれたという意義の重さに、生きた時間の長さはおそらく関係ないのだと思います。ダージリンが生命としての役割を終えてしまったさびしさは当然拭えませんが、葬儀をし肉体と離別するというのは、残った者が自然の摂理に一歩融和するために必要なステップなのかもしれません。
的場りょう
2025-09-29 14:22:07 +0000 UTC果傘
2025-09-29 13:20:13 +0000 UTC的場りょう
2025-09-29 11:02:18 +0000 UTCT.M
2025-09-29 09:37:17 +0000 UTC的場りょう
2025-09-28 12:16:04 +0000 UTCかにたま。
2025-09-28 08:46:05 +0000 UTC的場りょう
2025-09-28 03:17:51 +0000 UTC背
2025-09-28 02:54:38 +0000 UTC