SakeTami
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不老不死について呟いたら絶望だらけだった話

やっと元気になったぜ。

一ヶ月近くの食の楽しみを取り戻すためか知らんけど、いまやたらと食欲が爆発してる。昨日は倍ビッグマックとポテナゲを一人で食べたんだけど、後からカロリーとか糖質とか計算してみたら本当に健康に悪い食べ方だなって思うなどしている。

まぁ年末年始潰れたし少しはいいよね!

人生であと何回しあわせな年末年始を迎えられるかわかんないし!



だが不老不死になれば人類の歴史が続く限り生を実感し続けることが可能なのだ。あ〜死にたくない。



そんなことを本当になんとなく考えながら先日ふと不老不死に対する願望を呟いてみたところ、個人的には驚くべき反応が返ってきた。

というのもリプを返してくれた人全員が不老不死に対して明確に拒絶反応を示したのね。

細かい理由は各々あれど、不死否定派の意見を要約すると

「今のつまらない人生が永遠に続くなんてただの地獄でしかない。そんな苦痛を味わうのはごめんだ」

ということらしく。


まず私が思ったのは

「いや不老不死になった瞬間に全ての価値観・生き方が変わっちゃうわけだし、そもそも周りの環境が確実に変化していくわけだから、むしろ今の人生から脱却することにならない?」

って。


ところが反応してくれた人たちが言うには

「人生自体が苦しみであり、不死になったとてそれは変わらない。人類の社会の中では自分は永遠に働き続ける奴隷のような存在だし、人類がいなくなって完全に孤独になってもすることがなくなって辛いだけ」

という価値観が拭いきれないらしく。


私としては生命有限派の主張はもっと哲学的というか、諸行無常的な人生美学を根拠にしてるものだと思ってたの。

よく漫画とかで出てくる死にたがってる不死キャラみたいな考え方。


「どんなものでも短い時間だけ輝くから価値があるんだぜ!」的なやつ。


私の場合こういう理論自体にそもそも異論があるんだけどね。

終わりの概念なんて人間が勝手に考えてる一つの区切りなんだから、不死になったところで人生の区切りを自分で好きに決めてしばらく死んだように寝て、もう一回再スタートすればいいじゃんって思っちゃう。


……まぁそれは私の個人的価値観だからいいとして。


単純な話、いま生きてる時点で人生に希望が持ててたら「こんなくだらない人生さっさと終えて死にたい」なんて思わないはずじゃん。むしろもっと長くいろんな楽しみを味わいたくなるじゃん。

歴史的にも権力者が最終的に辿り着くのは往々にして不死への探究だったわけだし。


なにが言いたいかというと、どうも不老不死に対する反応ってその人の人生観の指標になるらしい。

現状の人生がとても苦痛で無為なものだと考えてる人は、死ぬまでの余生を「なんとなくやり過ごす」っていう捉え方をしていて、不老不死なんかそれを破壊するだけのエラーでしかないわけで。

無限の時間を与えられたところで「疲れる・苦しむ」っていう発想にしかならない。

なぜなら根本的に生きるのが辛いから。

そう考えてる人が意外にも多いのがちょっとショッキングだった。


もちろん人によって生き方の温度感は違うし、「不老不死になりたくないやつは弱者の負け組!」とか押し付けるつもりは当然ながらないです。

地球が生まれてから延々と続いてきた生命の摂理に殉ずる尊さも、辛い人生を早く終わらせたい苦しさも理解できる。


でもどれだけ敬虔に自分の死を受け入れられる人でも、数%は「やっぱりもうちょっと生きたい、死にたくない」って気持ちは混ざってると思うんだよ。

死にたいと思えるのは希望通りに生きられない辛さがあるからで、本当はもっと楽しく生きたいって気持ちはどんな人もどこかに絶対に持ってるはずだから。

私はその気持ちこそ人生に期待をもってる証拠だと思うし、わがままで図々しい生きたがりの端くれとしてこれからも言い続けると思う。


このオレを不老不死にしろーーーーっ!!!


    


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Comments

正直いうと私も夢物語だから雑に「不死最高!」とか言ってるけど、本当の本当に不老不死が叶うとなれば絶対躊躇はすると思います。 その時の精神状態にもよるけど、究極的に孤独になるのは間違いないはずなので。おっしゃる通り他の全生命から逸脱した存在になるのは確定だし。 とはいえ私がものすごく場当たり的な人間なのも事実だから、将来への不安を忘れていられる方法が当面の間あるときは深く考えずに進んじゃいそう。

的場りょう

逆にもしも一人で不老不死になったなら。 飽きたら寝て、何世紀か後に起きて、周りがニーアのような世界観になってもその先までずっと辿り、新しい知的生命体と遭遇したりしなかったりでまた観測する。 それも悪くはない気もします。 ただ、私は映画を見たら誰かと共有して感想を言い合いたいので、やはりきっと一人では生きていけない気がします。 でも終わることは出来ないので、結果最後には寝たまま起きないか、カーズ様のようになってしまうのか...w そう考えると死なないならいつか地球を出ているかもしれませんね。 宇宙空間において、物理法則は変わらないと思うので宇宙服はどこかで調達する必要はありますが、飲まず食わずで生きていけるなら可能かもしれません。 ただ着地で体が欠損したとき、体はどうなるのだろう。 映画「永久に美しく」のようになるのか...。 体の欠損は永く生きれば避けられないので、出来ればそこは何とかなってほしいところ...。 (首だけになっても、各パーツとして朽ちずで永遠に生きるのは流石に耐えられないでしょうしねw いや、首だけになったら死んでしまうのかな?こういうことを考えて検証したい人も居るでしょうから、やはり不老不死である事がバレることは避けたいですね...。) と、誰かとディスカッションするのは非常に楽しいです。 しかし収集がつかなくなるのでここまでにいたしますw 本当に長文・乱文・駄文失礼いたしました...。

瑞穂 仁

人の考え、性格はそれまで生きてきた人生や環境を基に構築されるので、そのうち性格も考え方も変わってしまうと思います。 膨大な時間の中で、いつまで”自分”でいられるのか、これも興味深いです。 あるいは悠久の時を旅して気ままにさすらう、人によってはそういう楽しみもあると思います。 ただ永く生きていれば、周りからの不信感が次第に集まります。 結果コミュニティーには長く属することは出来ないので、環境を転々とせざるを得ないかもしれません。 逆にコミュニティーに属さないで生きることも出来ると思いますが、そうなると受ける刺激は代り映えのないものになるかもしれません。 そうするとひっそり生きて、且つ小さな幸せを探すとなると、森でゆっくり過ごす過ごし方になるかもしれない。 段々突き詰めていくと、これも影響を受けているからとは思うのですが、ファンタジーのエルフのような生き方に寄って行っていますね。 でもあの種族の考え方は、ある意味でありうるカタチとは思います。 ここから文頭の考えの内容になりますが、私がもし不老不死になるのであれば、願わくば1人ではなく種族として確立されたいですね。 今の環境には不満はあるけど、良くはしていきたい。 ただ一人で変わっても、寿命がある生物から、寿命が無くなるという生命体に変わる事に対し、今のままの精神ではきっと、永い時を生きることには順応しきれず、将来的にきっと生きているのか死んでいるのか分からない状態になりそうです。 (恐らく、ゆっくりと世代を重ねて不老不死になるなら、そういうこともないかもしれませんが。) あと、一人だけでなると。 将来的にはUMAのような区分けになって、捕獲されれば間違いなく研究対象でしょうね。 何せ望む人が必ずいる結果がそこにあるのです、調べない方がおかしいというもの...。 (この先はあまり想像したくないですね。) あとは出来れば、周りと共に感性を共有しつつ、同じ時間を過ごしていきたいです。 (これも生命が有限であるが故の考えなんでしょうかね。)

瑞穂 仁

飢餓状態から体が栄養を求める勢いって凄いですよね。 生きてるって強く感じます。 不老不死については、根本から全てが変わるので、是とも非とも言い難いですね。 ただ一人で不老不死には、あまりなりたくないかもしれません。 ただロマンは感じます。 もしも不老不死になれば、現時点で抱く不安や希望は全く別のモノに変わるでしょうね。 我々の環境を取り巻く様々な内容は、生命のサイクルが大前提になって、そのうえで成り立つ感性や環境だからです。 次に3代欲求がどうなるか、不死であっても欲は保たれるのか否か。 また人間は、どうしても生きる意味や目的がないと自身を保てない弱い生物です、そのうえで最初は時間という枠から外れた事により出来る可能性は無限大になるわけですが、果たしてそれを保ち続けられるのか。 中には周りは周りだと、自分を強く持って突き進んでいる方もいますが、それにも永遠はないので時間差はあるでしょうが、いつかやりたいことも尽きてきます。 また周りの環境は恐らく有限なので、それによって受ける影響や今感じてる楽しい事、辛いことも変わるでしょう。それにも無限ということはないので、環境に影響される側としては生きる意味をどう保ち続けることが出来るだろう。 これもきっと色々な事が変わっていくと思います。

瑞穂 仁


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