※本作は過去に投稿したテキストを作品部分のみ分離したものです
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「ダウン、ニュートラルコーナーへ!」
呆然と足元に倒れ伏したフォレストを見ていた璃緒は、レフェリーの声で我にかえる。
指示通りコーナーへ向かうが、一瞬ふらつき、咄嗟にロープを掴んで身体を支える。
それまでに受けたダメージは計り知れない。
(倒せたのか……? 本当に?)
コーナーに背を預け、大きく呼吸を整えながらリングの中央を見る。レフェリーのカウントの声にしばし膝をついたままだったフォレストはにこと微笑み、悠然と立ち上がる。
(この程度では駄目か……。)
そんなに簡単に倒せるとは思ってはいない。それ以上に今まで一度たりともフォレストに膝をつかせたこともなかった。
「く……」
酷く重く感じる両腕を持ち上げ、構える。あの様子ならフォレストは大したダメージもないだろう。
「続けるか?」
レフェリーがそうフォレストに尋ねた時だ。彼は不意に自身の戻るべきコーナーを一瞥する。
その直後、闇の中からフワリと白いものが舞う。それはフォレストの足元にぱさり、と落ちた。
「……な……」
璃緒が困惑した表情でその白いものとフォレストの顔を代わる代わるに見る。それは、試合の中止を表すタオルに他ならなかった。
「おや、僕の負けのようだ」
フォレストはタオルを拾い上げクスクスと笑う。
「フォレスト……お前……!?」
先程の目配せはこれだったのだろう。一体何の企みなのか。璃緒は困惑と得体の知れない企みを警戒する表情でフォレストに問い詰めようとする。しかし、気持ちとは裏腹に足元がおぼつかないようにも見える。
「この仕様も飽きてきてね、一度君たちを開放してあげようと思う」
「どういう魂胆だ」
リングサイドについていた天色が上がり、よろめく璃緒の身体を支えつつフォレストに問う。
「君たちを開放しよう、そう言ったんだ」
「それが目的じゃないだろう? 次は……何を企んでいる?」
元来猫科の鋭い目を更に細め、フォレストの意図を探ろうと問いかける。フォレストはやれやれと言った表情で肩をすくめると。
「全く、猫くんは疑い深くて困るね。僕が負けた。今のこの空間のルールに従って君たちは外に出ることができる。外に出る君たちを闇討ちしようなどとも思っちゃいない」
……そうだなあ、とフォレストは流暢に自らの考えを展開する。
「君たちは出て行ってもここが消えることはない。勝利の報酬には含まれていないからね。
しかし、今のルールではつまらないとも思ってね。
こうしてはどうだろうと思ったのさ。
ここへの入退場は僕たち【monster】と、君たち「機関」の人間だけ。一般市民にはこの場所は認知できない。
か弱い一般を嬲った所でつまらない。最初に言ったように、ここは【monster】たちのフラストレーション発散の場だ。ここが無くなれば行き場を失った【monster】たちはまた街に害を及ぼすことになるだろうからね。
そう考えれば此処の存在は君たちにとっても有益だろう?」
「…………」
「かと言って【monster】同士だけでも面白くないんだよね。君たちみたいなものがいるとほら、観客も盛り上がる。
だから、此処に棲む【monster】たちが外に害をなさないよう取り計らおう。一般人を此処に引き入れ餌にすることもしない。
だが、君たち機関の人間が定期的にここにきて戦う。此処を維持するためのコストみたいなものだ。
誰を連れてくるかは君たちが好きに決めれば良い。
……決して悪い話ではないと思うんだけどね?」
「…………」
璃緒と天色は押し黙る。自分達の任務は元々此処を取り除くためであったはずだ。
しかし……、今の自分達では此処に住み着いた【monster】どころか、目の前のたった1人すら倒せずにいる。果たして、自分達に選択肢は与えられているのだろうか?
「…………」
天色は璃緒を見る。試合の最中は気を張り詰めていたのだろう。一度糸が途切れてしまったがためか、大きく肩で息をし、足元もおぼつかないように見えた。いつ膝をついてもおかしくない。
これまでも果たして何度彼は目の前の化物に挑んでは倒れただろう?
負ければゲームのリセットの如く部屋に戻されるが、記憶まで巻き戻る訳ではない。
身体の傷は癒えても終わりの見えない繰り返しは心にも傷を残していく。そしてその傷は容易に癒せるものでもない。
いつもなんて事はないと笑っているがその本心は如何であろうか……?
「……俺たちはその条件を機関に交渉させるために逃す……というわけか」
「ご名答。察しが良くて助かるよ、猫くん」
「天色……?」
「やむを得まい? 現状、俺達に決定権はないと言われているようなものだ」
お前の身体も早く真っ当な所に見せないと、いつ【monster】化するか分からない。
それは……。そこまで言い、天色は口をつぐむ。
璃緒の【monster】化を出来るだけ阻止する。それは口に出せない、彼ともう一人との約束なのだ。
「……ごめん」
璃緒は小さく項垂れる。自分にフォレストに勝てる力量があればこんなことにならなかった、と続ける。
天色は慰めるわけでも、励ます訳でもなくこくと頷くだけ。現状は璃緒自身が自分より分かっている。
安易な言葉をかけるのは無粋でしかないと思った。
「交渉は可能な限り手を尽くそう。1週間……いや、此処を出て3日、猶予をくれ」
「いいだろう。3日だね。いい返事を待っているよ、猫くん」
深紅の眼を嬉しそうに細め、フォレストは軽く前方を指し示す。
それまで闇だけがあった場所に白く、明るい門が口を開ける。
「ゆめゆめ忘れぬように。約束を反故にするようなら……。分かっているよね?」
「言われるまでもない」
璃緒に肩を貸したまま、門の方へと歩く。真っ白な門は次第にコンクリートのビル群を遠くに臨む、元々この場所に踏み入れた港湾地区の景色へと変わる。
天色は戻ってきたことを確認し、大きく一息つく。
「機関へ連絡を入れる。お前をメディカルに放り込んで、それから……カタラへ報告と相談だな」
天色はようやく通信が復旧した端末を開き、機関への連絡回線を開いた……。