藤沢視点のおまけのはなし / アプリシリーズ7話のあと
Added 2024-01-20 15:00:00 +0000 UTC「うわ、やば」 放課後。 部室棟の曲がり角で、前を歩く岩井が突然立ち止まった。 「……なに」 「しっ」 振り返り、ちょいちょいと道の先を指さす。促されるまま覗くと、向こうに陸人と、だれか、制服姿の女子生徒が立っていた。 「告られてる」 ひそめた声で、しかし大げさな表情で言って、すぐに身を引いた藤沢とは反対に岩井は首を伸ばしてのぞき込む。 「あれさ、男バスのマネじゃね」 「おい」 「そこバスケ部いかないんだ」 前のめりの男の首ねっこをひっ掴んで引き戻す。 「いいじゃん、別に。こんなとこで告んのはもうさ、見てくださいってことだろ」 「ちがうだろ」 逆側から回るしかない。 前傾姿勢の男を制しながら踵を返そうとしたとき、曲がり角からひょいと陸人が顔をだした。部室棟の前で突っ立つ後輩二人をみて「なにしてんだ」と目を丸くする。 藤沢が口を開く前に、 「付き合うんすか」 岩井の馬鹿が先んじた。 「は? なに、あ、さっきの?」 陸人は呆れた表情を隠さずに、 「ばか、そういうんじゃないって。クラスメイト。文化祭の買いだしの話」 「なんだ」 「なんだじゃねーよ」 さっさと部室行け、と陸人は岩井の尻を軽く蹴った。 陸人の背と、俯く女子生徒の姿。裸眼視力2.0の藤沢の瞳は彼女の表情を捉えていた。 「なんで振ったんすか」 部活終わり。 駅のホームに降りる途中、前を歩く背中に問いかけた。 「……おまえな」 振り向きざまに睨まれる。ちょうど前の電車が行ったところで、二人してホームの先頭に立ち並んだ。藤沢の表情は変わらない。そこに好奇の色は伺えず、陸人はついと視線を前方の広告に向けた。 「なんかなぁ、そういうの、あんまりわかんないっつーか」 藤沢も同じ広告をみていた。二週間ほど前に貼り替えられた、駅前マンションの広告。 「ガキみたいだっておもった?」 「べつに、思わないっすけど」 言い換えれば、興味ないんじゃないかとは思った。 「これ言うとあんま印象よくないみたいで、だから好きな人がいるっつってる」 「へえ」 「同じ部内に」 渋い目を向けると、陸人は嘘々と軽く笑った。 曖味にもおもえる返答が、藤沢の胸にはすとんと落ちた。ぴんと背筋を伸ばして立つ、隣の男を俯瞰する。そうした色恋沙が、似合わないというか、想像できないというか.……想像しがたい。部室で上級生たちが下世話な話題で盛りあがる輪の中、冷めた態度を隠そうともせず、愛想笑いでボールを手遊んでいた陸人をおもいだす。ついでふと、今日彼のスマホから響いたユニークな通知音を思いだした。 「あれ、ソシャゲ。結局なんてやつなんですか」 電車がホームに滑りこむ。陸人の乗る電車だった。 返事がない。 黙りこくった陸人に視線を向けるも、おもむろに顔を逸らされた。 「……あれは、ちがう」 「はい?」 「忘れろって。もう、べつに、なんでもないから」 要領を得ない。なにが、と踏み込む前に、陸人は電車へ乗りこんで、また明日な、と振り向きもせずに言った。 藤沢は後悔と謝罪の念で満たされていた。 『────っア、ぁ、あ、あ、い……ッく、ぅ……っ♡♡』 開発中のアプリの試験者がようやく決まったと兄が嬉々として報告してきたのと、陸人の様子がおかしくなり始めたのが同タイミングであったことに、気がついたのは昨日だった。陸人に問いかけようとしたが振り払われ、兄に詰めようとしたが部屋には鍵がかけられ、何度ドアを叩いても反応がない。しかし懸念は解けず、翌日ガレージから持ちだした工具で鍵を壊した。扉をひらいた瞬間、耳をつんざくあられもない声。 聞き覚えのない見知った声に、さーっと血の気が引いていく。 「あれ、いつの間に」 兄が振り向く。 『あっ、あんっ、あ゛あ゛あッ♡♡』 「どうした?」 『これだめっ、だめ゙ぇえっ……♡』 声が、たまたま似ているだけの可能性もあったが、 「あ、これ? 前に言っただろ。アプリの試験。おまえの先輩に協力してもらってるんだよ」 飄々と言ってのける。そこには弁明の影もない。 「今日でもう終わりだけどな〜。いやー助かった。適度に失敗してくれるおかげでいろんなデータが取れたし。改善点も浮いてきたなぁ」 「……合意?」 絞りだした問いに、うん。いいって言った!と兄は即答するが、 『いくっ、っも、やだ、イきたくな゙い゛ッ……!!』 目の前に掲げられた複数のモニター。サイドのそれにはリアルタイムで書きだされる謎の波形が表示され、中心のもっとも大きいモニターには、伏せた頭が映る。それがゆっくりと持ちあがり、酩酊したような表情があらわになった。さらけ出された肩がびくりと持ち上がるのに合わせて、眉根がゆがみ、細んだ瞳からぽろりと雫がこぼれおちる。苦しげな表情。吐息。しかし唇から漏れでる声は、聞いたことのない甘さを孕んでいた。 『もうゆるして、たすけて……っ』 目の前の兄と、画面のなかの彼と、どちらを信じるかは明白だった。 「そういえばさ、おまえの先輩。お前の顔と声がすきだって」 よかったな、とほがらかに頬を緩めた男の笑顔は、電源ケーブルを引っこ抜いた藤沢の一手により掻き消えた。 頭がいいのか馬鹿なのか、甲乙つけがたがった兄の頭脳に一生消えない馬鹿の印が下された瞬間だった。 「すみません、まじで」 ある意味で藤沢は冷静だった。 心中は謝罪の念でいっぱいで、他に思考を割く余裕もなかった。はずが、 「……見た?」 恥じ入りながら訊ねる姿。 そうして彼が態度で認めた瞬間に、さっきまで頭上でふわふわと浮いていただけの痴態が、たしかな生々しさをもって脳裏にべたりと焼きついた。部室で冷めた目をして笑う彼と、グラウンドで自分を追い越していく背中と、目の前でしおらしくいる姿が重なって、そこでようやくさっきみた映像が、声が、だれでもない彼のもので、彼の声であったと気づいてしまった。 「……」 無に帰したような表情とは裏腹に、心拍は轟音を立てている。 つながるべきじゃなかった回路が繋がって、急激に、目の前のからだを意識した。次に事態の元凶となった兄を恨んでもみたが、突き詰めれば関係ない。この感情は、もともと自分のなかにあったものだった。 ……他の、だれも。 二年の教室に立ち寄ったからって、つい、その姿を探してしまうようなことはない。 部活終わり、偶然みたいな顔をして帰りの時間をあわせたりなんてしない。彼を部室に待たせる顔も知らないだれかに嫉妬したりなんてしない。長く一緒にいられたあとの、充足感だとか、一抹の寂しさだとか、そうした自分のなかにある特別な感情を自覚していないわけじゃなかった。 それでもまだ、とっ散らかったような希薄なものだったから。その内に揮発してしまえばいいと、心地よい距離にかまけてのんきに構えていた代償が、今になってきた。 淡い想いに欲が絡んで名を成した。 一度形造られたそれのほどき方なんて知らない。 「わかったよ。行くから」 気づいてしまえばもう後には返せない。捨てるか受け入れられるか、その二択しかない。 けれど今日、口にすることはない。 明日もない。その次の日も、きっとその次の日もない。自然とそう思われたが、それもまた自分の感情を軽んじているだけで、この先、我慢できずにこの気持ちが口を突いてでることがあるんだろうか。 「だから、そんな寂しそうな顔すんなって」 よくわからない。そう答えた彼の台詞が、今になって頭のなかに強く響いていた。