「お、なんだよ、いいもん貰ってんじゃん」
後ろから伸びてきた手が、ひょい、と俺の手の中のチョコをつまみ上げる。
俺は慌ててごしごしと目をこすり、後ろを振り向いた。
「何すんだよ」
そこに立っていたのは、予想通りの男。声ですぐにわかった。ああ、もう、最悪だ。こいつは。
「別にいいだろ。減るもんじゃなし」
しれっとそんなことを言うのは〇〇。俺と同期で入社した腐れ縁だ。
入社当初から何かと俺に絡んでくる男だ。ずけずけと無遠慮に俺の気にしていることを指摘してくる無神経男だが、かといって俺が嫌いというわけではないらしく、喧嘩をしたその日の夕方には飲みに行こうぜ、なんて俺を誘いに来たりもする。
面の皮が厚い…というより、こいつの場合はもっとこう、悪ガキくさい。小学生男子がそのまま大人になったような感じだ。趣味で格闘技をやっているとかで、しょっちゅう体のあちこちに絆創膏を貼りつけているから猶更そう思うのかもしれない。今日だって、鼻っ柱にぺたりとひとつ。
「貰いもんじゃねぇよ。いいから返せ」
「なんだよ、貰ったんじゃねぇって、お前これ自分用?」
「……お前に関係ないだろ」
そのチョコは、俺が部長に買ったものだ。
憧れの部長。大好きなひと。
好きになっては、いけなかったひと。
わかってた。既婚者なんだから、ハッピーエンドなんてないって最初からわかってたんだ。ダメ元でセフレになってくれって頼んだら承諾してくれた時は嬉しくて嬉しくて舞い上がるような気持だったのに。やっぱり、満足できなくなってしまった。こうなるってわかってたのに、バカな俺。
買ったはいいけど、渡せるわけがない。義理チョコ、なんてへらへら笑いながら渡せるほどの器用さは俺にはない。貰った部長の方はたぶん、特に気にもせずに「おう、ありがとな」なんて言って、にかっと笑うだろう。けど、家に帰ったらきっと奥さんには「職場の同僚から義理チョコ貰った」なんて報告して、ぽいっとリビングの机に放り出されるんだ。
悔しい。
そんな扱いをされるぐらいなら。
そんな扱いをされるしかないのなら。
渡さない方がずっとましだ。
それでも、どうしても未練が断ち切れなくて。そんなことを考えていたら、胸がいっぱいになってしまった。
ああ、くそ。こいつ、俺がさっきまで泣いてたこと、気づいてないよな?目、赤くないよな?
「ふーん。好きなやつ相手に買ったけど、渡せなかった、とか?」
どきん、と心臓が大きくひとつ脈打つ。
ばっと〇〇の顔を見上げると、にやりと意地の悪い笑顔ひとつ。
「お、図星か?」
「………」
俺は無言で睨みつける。ああ、ああ。本当に、本当に。こいつは――――
「ならさ。俺にくれよ。」
ぽん、と放り出された言葉に俺は呆気にとられた。
「……はあ?」
「だってさ。そんなチョコなら、持って帰って自分で食うの嫌だろ?」
「それは―――」
思わず言葉に詰まる。こいつのペースに乗せられているってわかっているのに、うまく立ち回れない。
「だったらさ、親友の俺の口に入るならなんぼかましだろ?」
「ちょ!?誰が親友だ?」
「親友だろ?ウマは合うし、よく気も付くし、傷心を癒す真心もあるし。なんて麗しき友情!!たまに自分のやさしさがこわいわー」
臆面もなく言い放つその言葉に、俺は呆れて首を振った。
「お前と俺がいつ親友になったよ……」
「入社した時から」
「俺はそんな風に思ったこと一度もねえぞ」
「なんだよー。冷てえな。」
けらけらと笑いながら〇〇は言う。その屈託のない笑い声に、俺の心のどこかが少しだけ、ほんの少しだけあたたかくなる。
「………なら、チョコの代金がわりに今夜奢れよ」
ため息交じりに俺が言うと、〇〇はなんだそれ、ひでえ、なんてぶーぶーと文句を垂れる。
でも、行くのはやだともいわないし、奢らないとも言わない。
―――もしかしたら、俺が泣いていたのに気づいていたんだろうか。
(もし、そうだとしても、感謝なんか絶対しねぇけど)
でも。それでも。
「あ、じゃあさ。あそこ行こうぜ。四丁目の肉バル。お前、このまえ行きたがってたじゃん。」
そう言う『自称、親友』の言葉はなんだかやけにまぶしくて。
(本当に、本当に―――)
俺はなんだか胸がくすぐったくて、むずむずして。ティッシュをひったくると思いっきりひとつ、鼻をかんだ。
(了)