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本編補足-「桐島紘一という軍人」

一、陸軍士官学校校長、南野中将

昭和二十年八月十五日正午

相武台 陸軍士官学校

「朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク…」

ラジオから流れる重大放送を、桐島大尉は直立不動の姿勢で聞いた。

今にも溢れんとする涙を必死に堪えた目は夏の日差しにキラリと輝いている。

その桐島を見つめるのは、士官学校校長の南野中将だった。

この日、桐島が区隊長として受け持つ生徒隊は西富士にいた。士官学校の候補生達は各兵種別に第二次野外演習と称して長期間地方へ疎開させ演習中だったのである。本来であれば桐島は生徒と共にいるべきであったが、数日前より終戦へ向けての情報を得ていた桐島は、本土決戦を主張する徹底抗戦派、いわゆる主戦派将校として終戦を阻止しようと極秘裏に行動していた。本土決戦すべしという動きは当然他の士官学校将校、生徒らの中にもあった。

桐島は士官学校の主戦派将校の中でも特に影響力が大きく注目を集めすぎていた為、事前に電話連絡で校長より呼び出されていたのである。南野校長も各地に点在する生徒隊を廻っている最中であったが、事態が急を要したので相武台に駆けつけた。

「桐島大尉、わかってくれ。この期に及んでは」

その無念さたるや、校長の言葉が詰まった。

「誠に無念なことではあるが、大御心に添い、生徒達には陸軍士官学校の最後を汚すことなく、誇りを胸に…」

再び校長の言葉は詰まった。

平和な世であれば士官学校は出世の道でもあり、軍国少年の憧れであったが、五十八期〜六十一期生らはその志願の年が戦況悪化の最中であったため、少尉任官即戦場と言われていた。

彼らは自分の身命を国家に捧げようと士官学校を志願し、即戦力となるべく教育期間を圧縮した強烈な毎日にひたすら耐え鍛えられてきたのである。

それゆえに桐島の担当した五十九期生もまた覚悟は別格であったとも言える。

卒業を間近にした生徒達を我が子のように思えばこそ、南野校長の胸中は察するに余りある。

「桐島大尉、どうか軽挙妄動は厳に謹んでもらいたいのだ」

南野校長の言葉に、桐島は予想に反して涼しい表情だった。

「閣下、ご心配には及びません。この放送があったということは宮城の方は失敗したということでしょう。今頃は西富士の矢野生徒隊長も生徒達に同じ事を言っているはずです。今生徒隊地上兵科が結集して東京に進撃したとして、途中に待ち構える東部軍四ヶ師団が賊軍として我らを攻撃する、全滅するは火を見るより明らかなりと」

桐島の目は、もはや終戦に対する悲観はなく、どこか遠くを見つめているように感じられた。その澄んだ眼を見た南野校長は、僅か数ヶ月前に区隊長となった桐島の勇士を思い出していた。

 五十九期歩兵科の士官候補生は、約三〇〜四〇名ほどの区隊に分けられ、四ヶ区隊で中隊とし、三ヶ中隊が編制されていた。

三ヶ中隊にはそれぞれ一名の中隊長、四名の区隊長がおり、それも実戦経験を積んだものが多く、中国大陸やニューギニア帰りと様々であった。これは生徒達に即戦力を求めるがゆえの配置だった。

そんな中で桐島は近衛歩兵連隊、連隊騎手を勤めた華々しい経歴はあるが実戦経験はないに等しい。如何にして反抗期真っ盛りの血気盛んな青年達をまとめ上げるか、南野校長をはじめ生徒隊長、各中隊長、区隊長達は固唾を飲んで見守っていた。

 特に桐島の受け持つ区隊の生徒達は予科士官学校時代に名を馳せた問題児ばかりであり、まとめ上げるにはかなりの労力がいるだろうと噂されていたのだった。

その当の問題児達は新しい区隊長は実践経験が無いのだから、なんとも頼りないものだと不満を漏らしていた。

彼らはその年の二月に隊付分遣を一ヶ月体験し軍隊の現状を見て幻滅した者も多く、遂に区隊長もなり手がいないのだと悲観的になっていたのだった。

隊付分遣とは、簡潔に言えば士官候補生達が内地の部隊に派遣され、現役兵達と共に生活して軍隊の実質的な勤務について学習するというものである。本来であれば本科入校前に各兵科にわかれ自分の原隊に約六ヶ月派遣され、本科卒業後にその原隊へ戻り任官するのが伝統だった。

しかしこの時国内にあった殆どの部隊は本土決戦の為に動員、編成された補充隊であり、その補充隊も将校は士官学校出身者が一名いるかどうか、兵は30代の老兵か若年と中間層がいないという寂しい状況だった。

この為に五十九期生達は原隊へ派遣することが叶わず、まとまった数で区隊長、下士官一名の付き添い付きで各部隊に派遣されていったのである。期間は約一ヶ月に短縮されていた。

そこには食料や物資の貧しい厳しい現状と、本来招集されることのなかった虚弱な兵や、家族を心配する老兵ばかりの暗い空気に包まれた軍隊があり、それまで抱いていた幻想は虚しく打ち砕かれたのだった。

 桐島が生徒達と初めて会ったその日のことを南野校長は昨日のことのように思い出していた。

薄暗い空気と緊張感に包まれた生徒達を見るや否や、桐島は一喝し、非常呼集をかけて営庭へ集合させた。それも服装は褌一丁という指示だった。

そこからは一人ずつ生徒の名前を呼び、一対一で相撲の勝負をかけ、全員を投げ飛ばしてしまったのである。それも呼ばれた順番も小柄な者からで、最後に呼んだのは最も大男の滝生徒だった。

桐島は最初から大将に当たるのはフェアではないという心遣いばかりではなく、初日から生徒の名前、性格、特徴、全てを把握した上でぶつかっていった。

「貴様らの覚悟はその程度か! まだ戦えるものはかかってこい!」

桐島の怒号に、生徒達は今ここに軍人として、いずれ部下達の命を背負い立つ将校になる者としてはっきりと覚醒した。

その日、夕日に照らされた青年達の汗は切ないほど強く光り輝いた。

 南野校長の脳裏に焼き付く桐島の姿はそれだけに終わらない。あれは西富士で野外演習中のことだった。兵器を扱う以上、訓練は事故の危険もはらむもので、それは士官学校生徒達も例外はない。一期上の五十八期生達が訓練に向かう途中不幸な交通事故により十六名の死者を出す痛ましい事件も起きている。

 一層の緊張を持って訓練に当たるべし、そう言われて西富士へやってきた生徒達を待っていたのは、自分達の食料問題だった。物資の不足から十分な配食が叶わず、士官学校の生徒達でさえ自給自足に近い生活をすることになっていたのである。

この状況を「自活」と呼んで戦場でのサバイバル生活に向けた訓練かのように過ごしたが、空腹は少しずつ全員の思考力を蝕んでいた。

 そしてある時、事件は起こった。この日は南野校長も参加しての射撃訓練だった。歩兵が扱う兵器の中でも最も大きな部類になる四一式山砲、通称「聯隊砲」を撃った途端、撃ち出された榴弾があらぬところへ落下して転がり廻り爆発、積んであった枯れ草に引火して炎上し、燃え広がったのである。この時撃った榴弾は最近作られた品質低下した粗悪品だったと思われるが、原因は定かではない。

直ちに訓練は中止され全員で消化作業に当たったが、何名かの候補生が運悪く煙にまかれ、火に囲まれてしまった。

桐島はいち早くこれに気がつくと、颯爽と軍馬に跨り渦中へ駆けて行った。

「桐島大尉!」

南野校長の止める声も聞いてか聞かずか、桐島の乗る軍馬は火の粉を纏いながら飛び上がり、火の中へ飛び込んだ。それを目撃した全員が熱風に耐えながら無事を祈った。

すると一瞬強く風が吹き、煙を吹き飛ばして青空が広がった。その煙の切れ目から、桐島の軍馬が飛び出した。桐島は左腕に煤だらけになった守屋候補生を抱え、他の生徒達を先導して戻ってきたのである。

その神々しさたるや、陸軍士官学校始まって以来の名区隊長として語られるには十分すぎる姿だった。



二、東京憲兵隊、市原憲兵中尉

昭和十八年 八月某日

東京都内某所

 憲兵というものは陸軍の中にあって、特に異質な存在である。

勅令憲兵、軍令憲兵などでまたその性質は異なるが、治安維持のために国民を監視し、あるいは敵と諜報戦を行い、そして軍内部での犯罪を取り締まり穢れなき神の軍隊を維持しなければならない。

何者にも染まらぬ「黒」を兵科色とし、時には非情な手段を用いて任務に当たった。あらゆるところで嫌われ者の憲兵だが、無くてはならない存在でもあり、戦時下にあってはその活動範囲が広がり常に人手不足で多忙な組織であった。

東京憲兵隊の市原中尉はこの日、思想犯の犯罪捜査で都内をうろついていた。朝から雲一つない晴天で、強い日差しが突き刺さるようであった。

「暑いな」

市原は移動中の自動車の中で軍服の襟ホックを外した。乗馬長靴の中は既に汗でびっしょりだ。

「こんなことなら私服で来るのだったな。いや、いっそ大陸で浮浪者にでも変装して、敵の密偵どもと真っ昼間から拳銃で撃ち合っていた方が性に合っていたか」

「よしてくださいよ、中尉殿」

運転手の長浜憲兵軍曹が四角い顔を硬らせた。

「冗談ではないぞ」

市原は意地悪そうに笑った。直後、小休止中の陸軍部隊の隊列に道を塞がれたので車をゆっくりと路肩に寄せた。

「どこの部隊か」

「近歩第一聯隊であります。今日は野外訓練で習志野ヶ原演習場まで行軍の予定であります」

「この暑さの中、誠にご苦労なことだ。どれ、降りて歩くか」

二人は車から降り、まるで見物でもするかのように道端に座り込んだ兵士達の顔を覗いた。汗をかき、疲れ果てた兵士達は背嚢を枕に寝ているか、項垂れるように座り込んでいた。二人に気づいた者が慌てて敬礼をする。その目は皆ギラギラと光っていた。少ない休憩時間を邪魔されたのだから当然だ。

「ご苦労、ご苦労、そのまま休んでいてくれ」

他人の流す汗ほど美しいものはない。そう思いながら嫌がらせのように練り歩いてゆくと、老若男女の人集りが目についた。その中心には、神々しく輝く菊の御紋章が旗竿の頭に輝いていた。

近衛歩兵第一聯隊の誇る象徴、軍旗である。その軍旗を持つのは軍旗手、その後ろに軍旗護衛下士官が整然と並ぶ。流石は近衛というべきか、全身から汗を流しながら、彼らは微動だにしない。その誇りにかけて休憩時間に腰を下ろすこともないのである。

その神々しさに女学生達は目を輝かせ、ある者は涙さえ流し、手を合わせる老婆さえいた。

「あれが噂に聞く桐島少尉か」

軍旗と共に輝く絶世の美青年、近衛歩兵第一連隊の桐島少尉といえば、今や東京憲兵隊にも知られた存在だった。

しかし果たして、この暑さの中習志野ヶ原までもつかな?

市原が邪悪な笑みを浮かべたその瞬間、大衆の中から叫び声が響いた。

「皇軍は神の軍隊にあらず! 天皇は即刻戦争を終了せよ!」

古びたハンチング帽を目深に被り、無精髭だらけの男が瓶底眼鏡をギラリと光らせた。彼の小脇には風呂敷包が大事そうに抱えられていた。

しまった!

市原は一瞬の間にそれが爆破物と見抜いて考えるより先に体が動いた。しかし見物人に遮られてしまう。

風呂敷包は軍旗に向けて投げられ、放物線を描いた。

ボン! という小さな爆発音がすると、至る所で怒号と叫び声が響いた。

「軍旗は!」

大衆を押しのけて市原が飛び出すと、そこには体を張って軍旗の盾となった護衛下士官二名が倒れており、後の二人は銃剣のついた九九式短小銃を構えていた。

驚いたことに、桐島少尉はその中にあって直立不動の姿勢を保っていた。

「長浜! 逮捕しろ!」

「はい!」

既に見物人に捕らえられ殴られている犯人を確保するため、長浜軍曹は走った。犯人は正にこの日追っていた左翼系過激派の青年、青野清一だった。

「青野、観念しろ!」

長浜軍曹が素早く捕縄をだし、犯人を後手に縛った。

犯人が投げた爆破物は、花火をほぐして作った黒色火薬の瓶詰めに過ぎず、大した威力もなかった。倒れた護衛下士官もかすり傷程度で済み、任務を続行できたのである。

「青野君、最後にとんだヘマを打ったな」

市原が血まみれの犯人の髪の毛を掴んで顔を上げさせた。青野は号泣しながら絞り出すような声で言った。

「こ、こんなつもりではなかったんだ。しかしあいつは」

青野は怯えたような目で桐島を見た。

「お、俺と年も近いだろうに、あいつは何者なんだ。俺は恐ろしい。あれは早くなんとかしなければならない。あれは危険すぎる!」

青野はブルブルと震え出した。

「危ないのはどっちだ馬鹿野郎!」

市原は容赦無く青野の顔面を強く殴った。見物人の中からは拍手が起こった。

辺りは一時騒然となったが、偶然市原達が居たため犯人逮捕が素早く、また被害も軽微だったので演習は続行された。

市原は去り際に襟を正し軍旗に敬礼すると、桐島に話しかけた。

「少尉、一つ聞いていいか」

「はい! 中尉殿!」

「爆弾が投げられた時、どうして下がらなかった? 軍旗が燃えてもよかったのか?」

「はい! 自分は護衛下士官全員を信じております! また中尉殿もご存知の通り、どんなことがあっても軍旗は決して下がることは出来ないのであります!」

観衆から拍手が起こる。

「何より、神通力に護られし、我らが軍旗はあの程度の攻撃では傷一つつけることも絶対に不可能であります!」

再び拍手が起こる。桐島の曇りなき眼には、一瞬何か火のように輝くものが見えた。

「よし! よくわかった! 引き続きよろしく頼む!」

市原は大衆の注目を集めながらその場を後にした。

「桐島紘一か、面白い男もいたものだな」

市原は帰りの車中、窓の外に流れる景色を眺めながら、血に染まった白手袋を脱ぎ捨てた。



三、桐島紘一という軍人

 昭和二十年八月十五日

突然の終戦の知らせに、陸軍士官学校は騒然となっていた。南野校長は混乱を沈めるのに精一杯だった。徹底抗戦を叫ぶ者も多く、特に寄居演習隊に不穏な動きがあるということだった。自決しようという者もいるだろう。桐島大尉は候補生を束ねて決起に参加するものと思われたが、それはなかった。

 一方、東京憲兵隊の市原大尉は、数日前から一睡もすることなく走り回っていた。終戦を阻止せんとする者、混乱に乗じて犯罪に手を染める者、治安を乱す者、あらゆる事態に当たらなければならなかった。

何より、憲兵隊内部でも軍隊内の復讐や戦犯となることを恐れ逃亡、自決する者もおり、混乱の極みにあった。市原も本土決戦を支持する抗戦派だったが、上官の自決により指揮権が委ねられ、この上は事態の収拾にあたるしかないと諦めていた。また監視対象であった桐島大尉も結局宮城で発生したクーデターには参加しなかったことも一層諦めを強くした。だが、しかし…。

二人の将校の胸の内は偶然にも一致していた。

「桐島紘一なら、あるいは」

                            終






(今回は協力してくださっている方に執筆していただいたものです。

 本編更新、調子を崩し続けていて全くできておらず大変申し訳ございません…)

本編補足-「桐島紘一という軍人」

Comments

ありがとうございます、素敵に書いていただきました…!桐島の経歴や彼の性質を注視してくださってとても嬉しいです…!

肉バキューム

桐島、実戦経験豊かな人物として描写してもいいところ、そこは実戦経験「は」乏しい、しかし彼のカリスマが明らかエピソードが高濃度で詰まった物語でした。これは極上...

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