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桐島という男②(キリシマ→アメリアの執着)

桐島がアメリアに抱いている気持ちは、酷く矛盾したものになる。

元はといえ、敵対国の軍人同士という関係なので、当初の桐島の気持ちは、アメリアへの憎悪や敵愾心が大半を占めていた。しかし、激情からアメリアに手を出すことになる桐島は、その後幾度にも及ぶ性交の中で、その身を汚されてなお失われることのないアメリアの気高さに、桐島はある種の“聖性”を見出すようになった。それは、桐島が統治者たる神君に向ける畏敬にも似た感情であり、どれだけ辱めても失われない意思や信念に対する感嘆でもある。

「なんとしてでもアメリアを屈服させたい気持ち」がある一方で、「アメリアの気高さを神聖視する気持ち」という矛盾した感情が、桐島の中には同時に存在している。

その自己矛盾が桐島の感情を歪ませて、アメリアに対する狂気的な『執着』を抱くことに繋がっていく。


また、“聖性”の萌芽については以下の通りとなる。


桐島の祖国への忠義・忠誠心は、愛国心に溢れる御楯乃会の面々と比しても頭ひとつ抜き出ており、その愛国の信念は確固として揺るぎないものである。桐島がアメリアに対して行った数々の仕打ちは、一定の私的感情の介在はあったものの、すべて彼の信念(大義)に基づいて取られた行動だった。すなわち桐島とアメリアは、互いの信念を掛けて衝突していることになる。したがって、アメリアが屈服しないということは、彼女が信念を貫き通したということであり、桐島の信念が彼女の信念に敗北したことを意味するようになる。逆を言うならば、桐島がアメリアを屈服させることは、桐島の信念の勝利を意味する。勝利とは正義である。言い換えればアメリアの屈服は、桐島にとっては桐島の信ずる大義の正しさの証明となる。だからこそ、桐島はアメリアをなんとしてでも屈服させようとするのだが、桐島の思いに反して、アメリアはなかなか屈服しない。その事実が、次第に桐島の内に、アメリアへの畏敬=“聖性”を芽生えさせることへと繋がっていくのだ。

 とはいえ、アメリアの“聖性”を肯定することは、アメリアの信念を認めることとなり、彼の軍人としての根幹に関わる大義の否定に繋がりかねない危険性を孕んでいる。だからこそ、桐島が“意識的”にアメリアの“聖性”を認めることは不可能である。桐島は無意識下の領域で、己の愛国の情に勝るアメリアの信念を認め、その高貴さに“聖性”を見出す。

自己同一性を保とうとする理性に抑えられた無意識下の感情は歪み、それは彼女への『執着』という形で表出するに至る。




アメリアが堕ちない限り、その聖性に翳りはない。ただ、調教モノなので、勿論そういったルートも用意しています。しかし、アメリアが折れるとなると、桐島も大分根負けしている状態に差し掛かっているので、アメリアが一方的に桐島にズブズブするというよりは、桐島もアメリアにズブズブする共依存関係になると思います。

どの結末でも、そこに至るまでの説得力のある過程をどうやって描写しようか、じっくりいっぱい悩んで、精一杯頑張ります。


どれかのエンディングでは、アメリアの信念が桐島に勝ちますし、桐島の信念がアメリアのそれに勝つこともあります。

一方的に桐島がアメリアを蹂躙するように見えますが、

これは、2人の『承認をめぐる生死を賭けた闘争』となります。

だから、複数人で彼女を犯すなどは、彼の信じる「信念」から外れる行為であり、最初から最後まで桐島とアメリアの一対一でなくては、物語上の意味がないものとなる。



キリシマがアメリアに感じた不可侵性や聖性、そういったものは彼の信ずる大元帥陛下とのアナロジーでもあります。

Comments

色々混ぜて行きますよー!渦巻く情念に拘りたいのです!!

肉バキューム

グチャグチャじゃねーか(-"-;A ...アセアセ 見てる方はワイン片手に愉悦れるけど

ムキリョク


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