普段のマデンスは気怠げな喋り方をする穏やかな雰囲気の美少年だが、
その性格は自我が強く、不満を溜め込んでイライラしやすい。
マデンスはそんな時、セン状液を取り込みにパシンの元へ訪れる。
セン状液はびゃッこパスの記憶や人格、性格などの、その人物を構成する要素であり、
仄々としたパシンのセン状液を取り込むことで、マデンスの煮え立つ感情を中和する。
セン状液の質はその時の気分も反映されるため、ポジティブな感情に染まりたければ、
搾り取る相手を喜ばせる必要がある。
そのため、マデンスは普段からパシンに好意を持たれるように接し、
セン状液を補充する際はパシンが創作活動に使うキャンバスを持って行く。
自分に好意を抱いている相手の感情がダイレクトに流れ込んでくる感覚は
この上ない多幸感をもたらし、比喩的にも物理的にも「心と体がひとつになる」。
しかし、セン状液が互いに混ざりすぎると、
びゃッこパスは体の形を保てなくなり、溶けてしまう。
びゃッこパスの核である腹部の壺が割れない限りは、全身が完全に液状化しても、
時間が経てば元の状態に戻る。
パシンが多忙で相手をしてくれなかったり、他に愚痴を聞いてくれる相手を捕まえられず、
イライラを解消する手段がない場合、マデンスは独りで泣きながらケーキをやけ食いする。
子供の頃に空いてしまった心の穴を、スポンジとクリームで埋めようとするのだ。
マデンスがパシンに強く執着するのは、単にセン状液の相性がいいからというだけではない。
「誰も欲しがらない、自分だけのものを発明したい」という「発明狂人」のベッ称を持つマデンスは、
「誰も作っていない、新しい物を創造したい」という「創造狂人」のベッ称をもつパシンの思想に
強いシンパシーを感じたからだ。
マデンスはパシンに「ビャッコパシティの創造神」という称号を半ば押し付けるように与え、
パシンの首に自分のベルトと同じ首輪を着けさせ、「神を従わさせる支配者」の体裁を取った。
【作品解説】
イライラや不安な感情を液体に例えたとき、穏やかな精神状態の人の感情を混ぜたら、すぐに中和できると思いませんか?
感情というのは自分の中でグルグル巡らせていると、その熱はなかなか冷めません。
問題を解決させられなくても、誰かと話をすることで、熱した感情は外の空気に触れ、冷やされるのです。
びゃッこパス族は感情のこもった体液を注ぐことで、相手の感情を整えます。
これはある意味びゃッこパスのコミュニケーションと言えるかもしれません。
とはいえ、聞く姿勢でない相手に無理やり愚痴を聞かせれば、相手の気分を害し、こちらの印象も悪くなります。
びゃッこパスも同じで、イライラを鎮めるには、穏やかなひとの体液を取り込む必要があり、これと逆のことをすれば、機嫌の悪いびゃッこパスが2人に増えてしまうだけなのです。
パシンはそんなマデンスを受け入れて彼の気を晴らすことができますが、パシンも生まれながらにして仄々とした人間でなく、昔はむしろ感情的で怒りやすい人間でした。
パシンはヴィクター(マデンスの古い名前)と出逢うまで、人間関係において幾度の失敗を重ねてきました。
その反省から、自分にある環境や能力をやりくりし、昔よりは自分の感情をコントロールできるようになりました。
しかし、誰もが自分のように上手くやれるものではないため、感情のコントロール方法が苦手な人の手助けができるようになりたいと思いました。
そのためにまず、自分の心に余裕をもつことから始めました。
他人への配慮や手助けというのは、まず自分自身のへの余裕があって、はじめて成り立つものだからです。
とはいえ感情はそう簡単に捨てられるものではありませんから、パシンはイライラするようなことがあったら、メソメソするようにしました。
怒ることで無駄に消費されていたエネルギーは減り、感情に振り回されて疲れることが少なくなりました。
「惨めにメソメソしていても、イライラしなくて済むのなら、カッコ悪い生き方も悪くない」
そう思うようになってから、パシンの心にはいつしか余裕が生まれていました。
今でも時々感情的になってしまうことは多少あれど、昔よりは仄々とした性格に変わったパシンは、少しずつ他人に手を差し伸べることができるようになり、目の前のストレスを溜めやすい少年ひとりを相手にするぐらいにはできるようになりました。
しかし、マデンスはパシンの失った感情を持っています。
2人が心を通わせ、感情を共有すると、パシンはもとの不完全な状態に近づくことになります。
パシン自身が「自分は前に進めた」と思っていても、結局は行ったり来たりなのです。