父親が僕のことを見るに見かねて、家業を継がせようとしてきました。
特に仕事に対してもやる気を出さず、家に帰ってきても誰とも話さずずっとゲームをしていて心配だったのだと思います。
父親には偉い人のいるいろんな飲み会に連れ回され、父親の会社の右腕的な人には実務を教えられました。
実務は本当に興味がなくて、父親の会社の仕事は辛さしかありませんでした。
平日が休みになるわけでもないのに土曜日、日曜日にみっちり仕事を入れられ、
県内のボンボンが集まる会合のようなものに参加させられ、
変な合コンのようなものに行かされました。
県内のボンボン達は今の生活にまぁまぁ満足してそうで、楽しそうにラウンジ?で飲んでいましたが、僕は本当に楽しくありませんでした。
船の上で行われた大規模な合コン?みたいなのに参加したことがあるのですが、
参加している女の子に「お仕事は何されてるんですか?」と聞かれ
「⚪︎⚪︎で事務してます」と答えると「へぇ〜そうなんですね〜」と興味のない顔になりました。
その直後、僕と一緒に参加していた人が「⚪︎⚪︎の社長の息子だよ」と言ったら
「えぇ〜〜!!!↑↑↑そうなんですか!??↑↑↑」と何トーンも上がった声を出したので、僕は父親の偉大さを知ったと同時に田舎の女の子に心底嫌気がさしました。
それ以降、そういう会合でどうすれば人と話さなくて済むのかを考えた結果、
立食パーティでは余りがちなスペアリブのような骨付き肉を食べ続けることにしました。
スペアリブは食べている間、両手が塞がり話しかけられないオーラが出るようで、
立食パーティが始まったらスペアリブを大量に持ってきて、終わるまで丁寧にずっと食べ続けました。
父親の会社で少し働いても、周りの目があるからなどの理由で月給はそんなに変わりませんでした。
飲みに連れて行かれても自分で払うことはないのでお金は少し貯まりましたが、
土日まで仕事が入っているので1年間彼女に会えることはありませんでした。
今思うと別れさせて田舎で結婚させようとしていたんじゃないかと思います。
美術大学に進学したい、と言った高校1年生のとき
父親は「そんなものは絶対に認めない。普通の大学に行け」と言っていました。
祖母が父親に「私はあなたに警察官になって欲しかったけど、あなたは警察官にならなかった。今からでもなってくれるの?」というとんでもないカウンターパンチを喰らわせたことによって東京芸大、多摩美、武蔵美の3校なら良いという話になったのですが、
それでも安くない学費を出してくれたこと、
最終的には認めて行かせてくれたことへの恩義は感じていて、
残りの人生は父親の会社に吸われて無くなるのだなと思いました。
虚無より辛い暗黒がありました。
絵は1枚も描きませんでした。
25歳と変わらない生活をしていたのですが、精神的に本当に限界でした。
毎日夜眠れず、頭もずっとぼーっとしていて、車で事故も起こしました。
希死念慮が止まりませんでした。
おそらく高校生の頃からの睡眠障害もあり、本当に夜寝れませんでした。
何より明日に対して何の希望もなかったから、寝ることが好きではありませんでした。
たまに休みがあっても彼女に会いに行く元気がなくて、自殺の方法を調べたり、過去起きた凄惨な犯罪の顛末が載っているウィキペディアをずっと読んでいました。
このまま田舎にいるといつか死んでしまうと思いました。
死んだときに何か後悔することはあるのだろうか?と考えたとき
彼女が別の男性と付き合っていつか子供を持ったりすることが唯一嫌だなと思いました。
父親の会社の社員旅行の日、僕は寝坊して行けませんでした。
ものすごく怒られたのですが、僕が悪いとはいえもう本当に無理だったので、父親に「もう会社は辞めたい。何でもいいから就職するので東京に行く」と伝えました。
父親はショックそうでしたが、意外とすんなりOKが出ました。
辞めた後は何も出来なくて、1ヶ月くらいずっと寝ていました。
引越しするお金を考えると余裕もなかったので、就職活動を始めました。
大学生の頃に描いた作品を集めてきて、ポートフォリオを作って色んな会社に送りました。
「美術」に対しては相変わらず折れていて、通用する気はしませんでしたが
それでもこの田舎にいるよりずっとマシでした。
面接してもらう為に夜行バスで何回か東京に行きました。
そうしていると某お台場の上納TV局系制作会社から内定が出ました。
東京に行くメリットは父親と離れられること、彼女と同棲が出来ることの2つでした。
就職するまで、一度も絵を描くことはありませんでした。