田舎に帰ってきた理由は就職しなかったからですが、kainownの実家はすごく裕福で、家賃やご飯に困らないという理由もありました。
僕が10歳くらいの頃から始めた父親の会社がワンマン経営で大きくなり、県内では有数の大きい会社になったようでした。
美術予備校に入ることを勧めてくれた祖母は完全にボケていました。
僕はばあちゃんっ子で、帰ってきた理由の1つに祖母とまた話せるかも?と思っていたのもありましたが、もう祖母とは会話が出来る状態ではありませんでした。
僕は大学4年間で完全に「美術」に対して折れていましたが、仕事で出来そうなことはパンフレットやロゴなどのデザインだけでした。
在学中に何となく作った会社に仕事が来るわけもなく、父親の紹介で仕事をもらい、何かしょうもない物を作って納品してお金をもらっていました。
田舎では大学のネームバリューは大きく、多摩美というだけで安い仕事をくれました。
月給で言えば10万円くらいしか稼げませんでした。
実家の経済状況としては全く必要はないが、社会人になったので家賃を入れろと言われて月3万円入れていました。
本当にお金はなかったのですが、実家住みで特に使うこともないので困りませんでした。
お金が貯まったら夜行バスで東京に行き、彼女に会いに行きました。
ストリートファイター4にハマっていて、ずっとスト4をやっていました。
仲の良いスト4友達と京都のゲームセンターの大会に出たり、ニコニコの個人主催の大会に出たり。
スト4が出来ること、たまに彼女に会えることだけが人生の楽しみでした。
ずっと頭がぼーっとしていて、何も考える気力が湧かなくて、
生きてても死んでてもあんまり変わらないなと思っていました。
任天堂や電通に入った同級生のことを思うとどうして自分とこんなに差がついたのか考えてしまい、自分の作品を思い出して後悔と情けなさで死にたくなりました。
絵を描こうかなと思うことはありませんでした。
(めちゃくちゃ余談なんですけど、ここまで人生を振り返っただけで10万フォロワー達成の嬉しさがなくなりました。なんか悲しい気持ちです。)
彼女にもっと会いたいので月10万円よりお金が欲しいなと思いました。
彼女はまぁまぁな大手に就職出来たのですが、あまり上手くいっていないようで心配でした。
仕事も変わらずそんなにお金は稼げませんでした。
父の紹介で政治家や社長や教授などの県内の偉い人に会いに行き、名刺やらパンフレットやら似顔絵やらを作って偉い人にお小遣いをもらっているような感覚でした。
金額は本当にお小遣いに毛が生えたレベルの金額で、もっとお金を稼げるようになるビジョンはありませんでした。
今でも交流のあるおじさんが教えてくれたのですが、この田舎ではデザインなどは買い叩けば買い叩けるほど良いとされてるようでした。
日本屈指のケチが集まる場所らしく、音楽やお笑いのライブも満席になることはほとんどないようです。
それを田舎にいる人たちは誇らしく思っているようで、みんな口々に「ここで成功したら日本中どこに行っても成功する」と言っている風潮が本当に嫌いで反吐が出そうでした。
僕が通っていた田舎の嫌なところを煮詰めたなんちゃってエスカレーター私立進学校も文化祭がなかったのですが、県の風土として文化を拒絶する場所のようでした。
つまり田舎にいるとデザイナーという仕事では月10万円を超えて稼げることはないようでした。
彼女と会える回数が増えそうになく、すごく絶望しました。
それでも現状を変えるために何かを変える努力をする気力が湧かなくて、
頭がずっとぼーっとしていて。
毎日起きて約束の時間に指定された場所に行くこと、帰ってきてスト4やFF14をやること以外は何も出来ませんでした。
大学を卒業するとき、ここから長い虚無が始まると思っていましたが、
決して想像を超えない、想像した通りの虚無が田舎にはあり、僕の人生はこのままだらっとした不幸せの中で終わっていくのだろうと思いました。
絵は1枚も描きませんでした。