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10万フォロワーまでを全部振り返る#2

大学1年生

入学式のとき、何となく隣の席にいた人に話しかけました。

彼は僕と同じように現役で合格して、地方から出てきた人でした。

多摩美は地方出身者が少なく、ほとんど入学時点で予備校時代に仲の良かった人たちで固まっています。

同じようにキャンパスに誰も知ってる人がいない者同士、少し仲良くなれた気がしました。



最初の課題は静物デッサンでした。

手以外をデッサンするのは本当に久しぶりで、生き死にを賭けてない絵も久しぶりなので楽しんで描けました。


予備校でもそうだったのですが、美術系の学校は課題が終わると全ての絵を横に並べて優劣をつけます。

予備校では全ての絵を良い順に並べて1枚ずつ感想をくれるのですが、大学はそうではありませんでした。


40名のクラスの上位何枚かだけを先生が選び、その何枚かにだけ少しコメントをします。

上位何枚かに選ばれなかった場合、何の感想ももらえません。

成績として提出した記録だけは残りますが、進級出来るだけです。


何より、多摩美の受験に合格出来る程度には「美術」を理解出来ているので、先生が選んだ上位何枚かが自分よりも優れていることがわかります。


そして美大生という生き物は、東大生がバカに対して厳しいように作品が微妙な人には興味を示しません。

作品が本当に死ぬほど良かったら、どんなブサイクでもめっちゃモテると思います。

男女比率も男性3:女性7だし。


生きるために入った美術大学という場所は「美術」が出来る人が全ての世界でした。


そして課題の講評まで忘れていたのですが、僕は大富豪で言えば10の才能なのに、Q〜2の人が集まる場所に戦略で入っていました。

あの目標にしていた合格作品を描いた人に恥じない、すごいクオリティのデッサンがズラッと並んでいました。


後から知ったのですが、関東ではほぼ全員が東京芸大を第一志望にしていて、滑り止めでタマムサを受けるようでした。

僕のように小賢しいことをしなくても、基礎力で5時間のデッサンを殴り倒せる人たちの絵が並んでいて、辛かったです。

一生懸命描いた僕の絵はどんなに甘く見積もっても真ん中より下でした。





2つ目の課題は絵の具での静物デッサンでした。


僕は東京芸大を受験することを時間の無駄だと思って諦めていたので、絵の具を使ってちゃんとした絵を描くことが初めてでした。

東京芸大の受験は絵の具を使って写実的にモチーフを入れる平面構成があり、そこを本気でやった人と絵の具1枚目の僕とには埋められない差がありました。

ちなみに芸大の入試はこんな感じ。


予備校のように、僕の絵がダメなせいでパワハラをされることはなかったのですが、何のコメントをもらえないのも辛かったです。


卒業までに1回でいいので上位何作品か(参考作品と言う)に選ばれたいなと思いましたが、得意そうな課題を他の人より倍以上時間をかけて描いても選ばれることはありませんでした。



入学式のとき、少し仲良くなれた気がした彼は年間24課題中半分くらいは参考作品に選ばれていました。

同じように地方出身で、慣れない東京で初めての一人暮らしをしていて、

僕と同じ早生まれで、絵を描き始めた期間は僕より短くて。

自分の作品が選ばれないことに何の言い訳も出来る場所はありませんでした。


彼が普段授業中に描いている落書きを見せてもらったのですが、「こういう建築好きなんだよね〜」と言いながら何の資料も見ずに東京駅をボールペンでスラスラ描いていました。

絵を描いた時間は大きく違わないはずなのに、僕の絵と彼の絵には圧倒的な差がありました。

才能の存在を理解出来たのと同時に、僕にはそれがないことを認めました。

憧れ、嫉妬、尊敬。彼に対して全ての感情がありました。



僕がただ下手だから選ばれない。

選ばれない絵は何のコメントももらえない。価値がない。

この集団の中で生きていける気がしませんでした。


余談ですが、彼女が出来てすぐフラれました。



大学2年生

学校に行くのが辛くなってきました。

この頃はニコニコ動画の全盛期で、ニコニコ動画でポケモンの対戦動画の実況を始めました。

実況やってみたい!今日機材を買ったのでセッティングする!という話をサークルで知り合った友達に言うと、どんな感じか見に行きたいというので家に来てもらって一緒にセッティングしました。


この友達の苗字が「戒能」くんで何を隠そうkainown(カイノウン)の由来です。

ちなみに僕のXのIDがkainownillなのは戒能くんがkainownを使っているからです。

illはillustのillです。

名前どうしよう、何でもいいんだよな・・・カイノウン使っていい?と彼に聞くと笑いながらOKをしてくれたのですが、こんなにカイノウンを使われることになるとは彼は思ってなかったと思います。

僕も思ってませんでした。

戒能くんは未だに交流がある数少ない大学の友達で、今は子育て情報を交換し合っています。


ニコニコで実況しているとインターネット友達がどんどん出来ました。

今では有名な実況者になったおおえのたかゆき(通称おえちゃん)。

コレコレの動画によく出てくるさきぼん。

未だに僕が一番好きな歌い手のhalyosyさん。

にじさんじのイブラヒムにスト6のコーチングしたaiaiさん。

他にもいろんな人と知り合えました。


今から知り合おうと思ったら絶対知り合えない人ばっかりで、今となってはすごく嬉しい財産です。



2年生の課題は難しいものばかりで完全についていけず、ほとんど提出するだけのような状態でした。

参考作品に選ばれることをほとんど諦めていました。

受験のとき、応用力を完全に削ぎ落としたツケが回ってきていました。



それでもどうしても1回でいいから参考作品に選ばれてみたい気持ちが捨てきれなくて、30秒程度の芸術アニメーションを作る課題を頑張ることにしました。


この課題を頑張ることにした理由として、


・タマグラは広告デザインをやる人が一番の王道で、アニメーションは出すだけでいいかな。みたいな温度感の人が多い課題であること。

・元々漫画絵が好きだったので課題の中では一番美術から遠くて自分が好きな課題であること。

・課題の期間が3週間しかなく、3週間他の課題を全部放棄すれば他のアニメーションを頑張る人よりも制作時間を多く取れそうだったこと。


などがありました。

戒能くんにも少し手伝ってもらい、ほとんど寝ずに3週間かけて渾身の30秒のアニメーションが完成しました。

大学に入って制作したものの中で1番手応えがありました。

講評で自分の作品の番が回ってくるのが楽しみでした。


初めて参考作品になれました。

在学中、参考作品になったのはこの1回だけで最初で最後でした。

アニメーションの課題は今でも頑張ったなぁと思います。

3週間で700枚くらいカラーの絵を描く経験は、この時この若さがないと絶対に成立しなかったと思います。


僕はイラストでも「目的を達成出来る作品が良い作品」だと今でも考えています。

受験に合格する。

参考作品になる。

ちっぽけかもしれないけど、当時の僕はこの目的を達成することが全てでした。

目的を達成するために他のものを犠牲にして、勝てそうな土俵に戦略を持ち込んで戦う。

受験で学んだことでもあり、大学の課題で学んだことでもあり、今のkainownの戦い方でもあります。書いてて嫌になるくらい小賢しい。



参考作品になると今まであまり話さなかった同級生が話しかけてくれました。

話しかけてくれたことは嬉しかったのですが、こういう世界だよなと思いました。




サークルに後輩が入ってきました。

僕は広告研究会(通称コーケン)というサークルに入っていたのですが、コーケンの実態は陰キャの飲みサーでした。

今でいうスマドリで、週に1回、近くのスーパーで買ってきたものを部室で焼いたり煮たりしながらダラダラ飲んで課題の愚痴とか好きな作家とかニコニコ動画が面白いとかを話すだけです。

特に上下関係もなく、みんなでお金を出し合ってみんなでスーパーに買い物に行き、みんなで料理をして飲みたい人は買ってきた安いお酒を飲みます。

ヤリサーでもなく健全なサークルだったと思います。


地方出身者だったり、学科以外に誰か知り合いが欲しい人だったり、学科以外に居場所が欲しい人だったりが入るサークルです。


1学年下のサークルの後輩に3浪のものすごく絵が上手い人が入ってきました。

彼は東京芸大に入りたかったけど3回落ちてタマグラに入ってきたようでした。


タマグラにいる人は全員本当に絵が上手くてすごいなぁと思っていたのですが、彼の絵はタマグラの中に入って尚、頭1つ抜けている。

いえ、表現が足りませんでした。

皐月賞のナリタブライアンくらいぶっちぎっていました。

多摩美生は全員G1馬だと思うのですが、彼は本当に三冠馬くらいの差がある画力を持っていました。


入学式のときに話した彼は表現が正しいか分かりませんがどこかまだ未完成な雰囲気が絵の中にありました。

後輩の彼はもう作家として完成してそうなレベルで絵が上手く、どれだけ頑張ってもこうはなれそうにないと思いました。


後輩の彼は僕が1年生のとき一度もなれなかった参考作品に、年間通して全ての作品で参考作品になっていました。

暇さえあれば教室を占拠して、何かよくわからない大きな金属や木を削って自主制作をしていました。

立体作品はあまりわからなかったのですが、そんな僕にも分かるくらい彼の作品はカッコよくて。

こういう人が歴史に名を残せる絵を描くのかと思ったのですが、そんな彼でも東京芸大に合格出来なかったことに震えました。


彼は今年で最後にしようと思っているが、もう一度東京芸大を受けて合格したら東京芸大に行きたいと言っていました。

大学1年生の終わり、彼は東京芸大に合格して多摩美を去りました。


僕みたいな普通の人と仲良くしてくれて、すごく嬉しかったです。




ちなみに、入学式で会った彼は今多摩美で先生をしていて、芸術イラストレーションという土俵で歴史に名を残すべく頑張っているのだと思います。

東京芸大に行った彼は東京芸大で先生をしているようです。

彼も歴史に名前が残っておかしくないレベルの作品を作る人だと思うので、おじいさんになったとき、ふと思い出して名前を検索したいなと思います。


僕の絵を見る目は間違っていなかったのだと思いますが、この2人には僕がどれだけ頑張っても絶対に勝てないと思いました。

未だに僕は、彼らのような圧倒的な才能を持つ人たちが「美術」という土俵で戦っていて、ヲタクイラストに偶然興味がなかったから僕みたいな雑魚でもプロイラストレーターになれたのだなと思います。


彼らのような天才は、ヲタクイラストなんかよりもっと大きな美術史に名前を残すかどうかの戦いをしています。


2年生の終わりには僕は「美術」のプロにはなれないと思っていました。



余談ですが、彼女が出来てすぐフラれたあと、サークルの後輩の可愛い子と良い感じになっていました。

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