先週東京ドームライブを終えた、今週のオードリーのオールナイトニッポンでこんな話題があった。
春日は入場する際、早足でスタスタとステージまで行きたかったそうだ。
それに対し、サトミツ(オードリーの作家みたいな人)は「来てくれる人はあの“春日”を見に来てるんだからゆっくりいつも通り歩いて」と意見し、ケンカになりかけていたのだそう。
実際の入場する際の春日は、いつものゆっくりとした春日歩きで入場した。
春日歩きに開場は沸きに沸いた。僕もライブビューイングだったが「うおおおおお!!!春日だ!!!」と気持ちが沸いた。
サトミツはお笑いとして、「こいつが未だにこんなことも分かってないんですよ」というテンションで話していた。
僕はそれを聞いていて、少し寂しかった。
春日であってもやりたいことを通せないということ。
そして僕は春日歩きを期待していたということ。
社会に求められていることはやっぱり自分の意志より強く、
受け入れてもらえないことをするとそれは結果自分が損をする。
薄々は気づいていたのだが、やっぱりそうなんだなと思った。
普段絵を描いていてよく思う「これ描きたいけどウケないんだろうな~」という感覚。
先日の横乳アコちゃんが良い例で、本当は真横からの顔にしたかった。
最初に描いたラフがこれである。
僕は横顔が好きだからこのアングルで描きたかったのだが、この段階で「これは仕上げたとして5000いいねだな」という感覚があった。
横顔はそもそもウケが悪く、Xでは立体感を損なった絵は「下手な絵」と認知される。
5000いいねは僕の規模では惨敗だ。
何か間違えたときにしかつかない数字なのだ。
僕は5000いいねでフォロワーが200人増える未来と、2万いいねがついてフォロワーが1000人増える未来を天秤にかけ、真横からのアングルをやめた。
けど真横にしなかったことを、ほんの少しだけ後悔していた。
「やりたいことをやらないって格好悪いな」とも思った。
けど、真横にしなかったのは間違っていないらしい。
プロは求められていることに応えるからプロなのだ。
言語化されていないニーズを嗅ぎ取り、そのニーズに合ったものを提供する。
求められる限りステージで踊るのだ。死ぬまでずっと。バカのふりをして。
春日がゆっくり歩く限り、求められている絵を提供しないとなと改めて感じた。
あの春日歩きはプロ意識の集大成だよ。