風穴の奥、現世と旧地獄を隔てる境。そこに立つ橋は今まで数知れぬ人、妖怪、地獄の亡者たちを渡してきた。渡る先が地獄から旧地獄と名前を変えてなおそこにありつづけた橋ではあるが、近年は地獄の財政難もありところどころ痛みが目立つようになってきている。
「いやー、これは結構ひどいねぇ。割と中の方が傷んでるから大工事になりそう」
木槌で橋脚を叩きながら話すのは河童の河城にとり。ふむふむと様子を見ながら橋脚や欄干、床板を見て回っている。そんな様子を欄干に持たれて眺めるのは橋姫の水橋パルスィだ。橋に痛みがあれば手ずから修理し、ときに地獄の役人に交渉し修理させ、この橋を守ってきた。
「やーやー、橋姫さん。こりゃひどいね。やるとしたらざっとこんくらい」
「うげっ」
思わず声を上げるパルスィ。河童の差し出した見積もりには予算の3倍近い額。地獄からの補助があるとはいえおいそれとは出せない金額である。
「そろそろ橋脚の補修やらないとダメになっちゃうよ。あちこち刺さってる釘のせいでだいぶ傷んでるみたい」
「…釘は性分なんだからしょうがないじゃない」
眉根を寄せて見積書を睨みつける。
「そんなに睨んでもゼロは減らないよ。どうする?やる?」
「…仕方ないわね」
結局、河童の主張を飲んで修理をやることにした。自らの依り代である橋と金を秤にかければどちらが重いかは決まっている。とはいえどうにかして金を調達する必要がある。手段はあるにはあるが…
「あまり気が進まないのよねぇ」
思わずため息を漏らすパルスィだった。
橋のたもとに簡素な掛け小屋、中には机を挟んでパルスィ。入り口には「水橋相談所」の看板。先月から始めた商売はすでに行列ができるほどの盛況ぶりである。
「夫に浮気されて~」なんて痴話げんかから「今年の商売の行方について」なんて御堅い話題までなんでも的確に回答すると評判だ。旧都で顔が効く勇儀に話を広めてもらったのもうまくいったらしい。時に人間まで混じるような繁盛ぶりだ。
「いやー、話を聞いていただくだけでなんだか頭がスッキリしましたよ!
本当にたすかります!!」
「はいはい、そんじゃ相談料はそこの箱に入れておいて」
小屋の中では塩対応のパルスィと興奮気味の相談者。元々、人と関わるのが好きではない彼女にとっては苦痛そのものだが背に腹は代えられぬ。
「うっぷ。今日はここまでにしようかしら…」
掛け小屋の前に立つと看板を裏返して休憩中に。ついでに行列の適当なところで「今日はここまで!」と宣言して人を散らす。
小屋の影から橋の下へ回りさらに橋脚の影に回り込んだ。
「「いや、最後の相談は重すぎたわ」」
同じ声が二重に響く。パルスィの目の前にはもう一人の自分。いや本物のパルスィが斜面に腰かけているのが見える。ただ、その姿は分身と本体で大きく異なる。分身の方は以前の彼女と変わりない姿、一方、本体の方はふた周りほど大きく、有体に言えば太っていた。
「「今も昔も、人も妖も、嫉妬狂いが変わらないわね」」
パルスィがしているのはただの相談所ではない。相談の形をとってはいるが話はほとんど上の空、やっていることは相手の嫉妬心を吸い取っているだけだ。ただそれだけも、相手は物事を客観的に判断し冷静に受け止められるようになる。逆に言えば嫉妬心がどれだけ人の心を曇らせ判断を誤らせているかという証明でもある。
「「嫉妬心の恐ろしさは私が一番わかっているものねぇ」」
よいしょっとその身を起こして分身と手を合わせると、掻き消えるようにその姿は消え失せ、パルスィ一人だけが残された。
「お金が溜まるまで続けてたらどうなっちゃうのかしら」
緩めた腰帯を締め直しながら自問する。片っ端から嫉妬パワーを吸収した体はすでにぽっちゃりの領域を超えて肥満へ片足を突っ込んでいる。かつてはゆったりとしていた上着はせり出し腹に邪魔されて前に合わせるのがやっと。腰帯で留めてはいるものの、帯の長さも足りなくなりそうだ。袖口にぴっちりと詰まった二の腕はぷにぷにと柔らかく、腕を振るたびに振動を伝えてくる。新調したはずのスカートはすでにキツくなっており、食い込んではやわらかな腹肉を2つに分断していた。せり出した腹をなでるとたっぷりとした贅肉の感触が伝わってくる。もはやくびれの影も形もない自分の体型を確認しては思わずため息が漏れ出る。
「まぁ、あとちょっとだし。嫉妬心を散らせばすぐ痩せるからいいけどさ」
食べ物でついた贅肉ではない、過剰にため込んだ嫉妬パワーが贅肉という形で顕れているだけだ。それでもパルスィの女心には複雑なものが去来していた。
「いやー、大工事だからいろいろ大変だったけど完成してよかったよ」
満面の笑みをこぼすのは河城にとりだ。橋脚の修復や欄干の塗り直しなど諸々の作業を終えて橋は見違えるようにきれいになった。その様子をのっしりと欄干によりかかって眺めるのはパルスィだ。彼女の体はあれからさらに膨らんで、そのシルエットは丸々としている。
「さすがは河童、見事なものね」
パルスィが身をよじって橋の様子を眺めるたびにその欄干はギシギシと悲鳴を上げる。その音を聞くにとりの顔色も合わせて青に近づいていった。
「おいおい、直したばかりなのに壊さないでおくれよ」
「失礼ね。自分の橋だもの。加減くらいわかっているわよ」
思わず反論するパルスィだが河童が心配するのも無理はない体型になっている。顔はまるまるとして、かつての鋭さの面影すら残っていない。首に巻いた手ぬぐいは太くなった首元のせいかどうにも窮屈そうに見える。その下からせりあがる巨大な胸はまるでスイカのように大きく、彼女の上着を左右に押し広げて中のインナーを露わにしている。黒のインナーはパツパツに張りつめて胸の形をつまびらかにして隠すこともない。その胸を持ち上げるようにせり出した腹はでっぷりとせり出し特大サイズのスカートが辛うじてあふれ出す肉を押しとどめていた。
「それにしても立派な体になったねぇ。山に来て相撲でもとらない?お姉さんならきっといいところいくと思うけど」
「残念だけどこれ本当に贅肉じゃないの。ため込んだ嫉妬心が形になって表れているだけ。しばらくすれば元に戻るわ」
「なるほど、それはそれで難儀なことだねぇ」
と、そのとき不意に遠くからパルスィを呼ぶ声がした。
「げげっ!あの声は…!」
「多分、勇儀でしょ。遠くから叫びすぎなのよ」
「やっぱり!じゃ、わ、私はこれで失礼するよ!」
と言うが早いか身を翻すと河童は去っていった。
「ありゃ、河童のヤツ帰っちゃったのかい。せっかく飲みに誘おうと思ったのに」
勇儀が去っていく河童の背中を眺めながらつぶやく。
「鬼が怖いんでしょ?」
「もう昔の話さ、今は優しくしてやるのに。それよりパルスィ飲みに行こうよ」
「んじゃ、分身出してあげるから行ってきたら。今の私こんなナリだし」
大きくせり出した腹を指して自嘲する。
「いーや、今日は本物がいい!」
「なんでよ。周りから笑われるわよ?」
「笑わせないさ。私がそう言うんだから、笑うヤツなんかいないよ」
はぁ、とため息を一つ挟んでパルスィが答える。
「…仕方ないわね。じゃあ一緒に行ってあげる。その代わり酔いつぶれたらしっかり運んできてよね」
「お姫様1人運ぶのなんて鬼には造作もないことよ」
「それ皮肉?」
「本気だよ」
鬼と橋姫は並んで道を歩く。横幅はまるで違う2人だが歩く速度はぴったり揃っていた。
パルスィは苦闘を強いられていた。手元にあるスカート、上着、帯紐に至るまでどれもこれもサイズが足りない。
「な、なんでよ…全然戻らないし…」
玄関の扉の外から勇儀の声。
「おーい!パルスィ。まだー?」
「ちょ、ちょっと待ってて!」
慌てて返事をしてとにかく一番サイズの大きい服をひっつかんで無理やり押し込んでいく。スカートのファスナーは全快だし上着を足りない帯で無理に止めたおかげで丈の足りない部分から腹肉がこぼれだしている。それでもなんとか形に収めると勇儀の待つ玄関まで小走りで向かう。ドスドスという音が玄関の扉まで近づいてガラリと扉を開ける。
「はぁ、お、お待たせっ」
ほんのわずかな距離ではある息はもう絶え絶えである。
「おう、そんじゃ行こうよ」
ここ最近ではこうして毎日飲み歩くのがパルスィと勇儀の日課である。橋が完成したころとまるで変らない丸い体のパルスィと大柄で引き締まった体の勇儀が並んで歩いていく。
「なんか今回は嫉妬がなかなか抜けないのよねぇ」
唐揚げをつまんで口に放りこむ。軽く咀嚼して飲み込み酒をあおる。カァっと焼けるような感覚が喉をすぎ、香しい酒の香が鼻を抜けていく。
「むしろ痩せるどころか太った感じするし」
また一つ唐揚げをつまむと口へ運ぶ。
「パルスィ、よく食うようになったしなぁ」
「なにそれ?」
「嫉妬が抜けて戻った分だけ食べてるんじゃないのってこと」
「ちょっと、怖いこと言わないでよ!」
思わずパルスィが身を竦めると寄せられた肉がむにゅりと形を変える。
「たぶん、ちょっと遅れてるだけだから。そのうち戻るってば」
「まぁ、私はこんなパルスィも可愛くて好きだよ」
と、徳利をパルスィに差し出す。おちょこでそれを受けると一息に飲み干しては
次の料理に手を付ける。
「貴方が良くても私が嫌なの。早くスリムな体に戻りたいわ」
空になった唐揚げの皿を下げ、角煮の皿に手を伸ばす。せり出した腹がテーブルにかかってあと少しが届かない。そこで少し身を捻ったのが悪かった。ビリッという音とともに背中の圧迫感が消え、角煮の皿に手が届く。パツパツに膨らんだパルスィの体に耐えかねて上着の背中が裂けてしまったのだ。
「あーあ」
「ちょ、ちょっと縫い目が傷んでたのかもしれないわね」
耳の先まで真っ赤になりながら手元に角煮を運ぶ。
「今日は後ろに立って歩いてあげるから、まぁ、その、気にすんなよ」
その後の料理の味は何がなんだかわからなかった。とにかく帰りは勇儀が後ろに立っていてくれたら多分ばれなかったと思うしもうしばらくすれば嫉妬が抜けて元のスリムな体に戻るはずだ。
「おーい、パルスィー!まだー!?」
外から勇儀の呼ぶ声がする。手元の衣服はどれもサイズが足りないまま。早く嫉妬が抜けないかしらと思いながら無理やり体を押し込むと玄関に走る。
「ふぅ、ひぃ、お、お待たせ!」
二人は今日も並んで町へ出る。横幅は全然違うけど同じ歩調で道を歩いて。
おしまい