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二輪の菊

渡辺泰 作、『風俗奇譚』S41.03号に掲載した切腹小説をイラスト化します。


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慶応四年(明治元年)、この北国の野山は一面の紅葉におおわれ、行く秋を深めていた。


例年であれば、笛や太鼓の音色にひきずられ、晴れ着を着飾った領民によって、この城下はにぎわっていたはずである。


しかし、ことしは違っていた。


城を取り巻いて軒端を連ねる町々に、全く人影はなかったのである。


京洛を発した倒幕のあらしは、江戸城をすでに手中に収め、年の深まりと共に北上した官軍は、徳川家三百年の恩顧に報いんため、敢然として官賊討伐の旗を掲げたこの小藩に襲いかかっていたのであった。


奥羽越三十一列藩が、白石城に官賊討つべし、江戸城奪回すべし、ののろしを上げてから何日を経たことであろう。このころ、すでに列藩は洋式装備を誇る官軍の前に、その戦旗を降していたのである。


それにひきかえ、まさにこの小藩のみが、剛勇を唱われた北国武士の本領を発揮した。


城下に至る街道、間道の要所など数ヵ所の峠に備えを固めた藩士たちは、元込め銃、カノン砲によって装備された数万の官軍と渡り合った。


侍数二百五十名、わずかな火縄銃しか持たぬ藩士たちは、鉄砲による応戦をあきらめ、案内のきいた山の背から、沢から、林から、白刃をふりかざして官軍の大部隊に切り込んだ。


しかし、戦いの帰趨(きすう)は明らかであった。


装備の差、兵力の差は、いかんともしがたく、官軍は、城方の守り口を突破し、さらには城下町を取り巻き、城に向かってカノン砲を据えたのである。


城方は、すでに、その兵力を使い果たしたといってよい。


なんとしようと、城と共に滅びるならば、せめて一太刀なりとも藩敵に報いるのが武士の情けと、みずからの力で動ける老人、さらには婦女子に至るまで、戦いの庭へと繰り出したのである。


しかし、当然のことながら、戦局の開けるはずもなく、その日の午後、城門はびったりととざされてしまった。



秋の力弱い太陽が、まさに西の山背にかかろうとする時、武家屋敷の一つによろめき入ったふたりの武士姿の人影があった。近習頭(きんじゅがしら)鈴木左近の屋敷である。


男肌着に義経袴、腹当てにすね当ての徒士(かち)姿は泥と血にまみれていたが、男ではなかった。それは、殿の許しを得、家中の婦女子の一隊をひきつれ、討って出た、鈴木左近の妻雪路と、同じく左近の妹優子のふたりであった。



ふたりは、隊をひきつれ、その日の午後、城下はずれの林にひそみ、隊列を連ねて通りかかる官軍の横手から切り込んだが、官軍の鉄砲隊に発見され、二十人の隊員はほとんどその場所に傷つき倒れてしまったのである。


それでも、雪路は戦った。出陣の際、城中に残らねばならなかった夫から授かった形見の大刀をふるい、ひとりを倒し、ひとりを傷つけた。


一方、優子は、母の遺愛のなぎなたを使い、ひとりの鉄砲隊士を傷つけたが、無念にも足を傷つけ、林のくぼ地に倒れてしまったのである。


敵方の女を犯すのはいつの代でも戦場の習いである。しかし官軍は、彼女たちの姿を、夕方近くの残光の中に男と見まちがえたのか、優子をはじめ隊員のおおかたが倒れたのを見ると、城を目ざして進んで行ってしまった。


ほとんど戦果をあげ得ず隊員を失った無念さ、今はこれまでと思いあきらめた雪路は、負傷した優子を抱きかかえるように、官軍の目をのがれ、やっと、わが家にたどりついたのであった。


「たとえ城門が開いていようとも、なんの面目あってお城に帰れましょう。殿様をはじめ家中の皆様がたにも申し訳が立ちませぬ。優子様。今はこれまで、あたくしたちも、最後の覚悟をかためましょうぞ」


「嫂上(あねうえ)様。もとよりあたくしとてもその覚悟。冷たい林の中で無念にも身をさらして倒れ伏した同志の皆様がたに、なんとおわび申し上げたらよいのやら。早く、おあとを追ってまいりましょう」


二十歳の兄嫁、十八歳の妹は涙ながらにきつく手をにぎり合った。


「でも、優子様。あたくしは今この場で果てようとは思いません。本来ならば、同志の皆様と同様に、あの林の中で果てるはずであったこの命です。それにしてもあたくしたち、生きながらえたのも何かの因縁。まして、殿様に前後のご報告をと思いたって果たせなかった今、あたくしは、お城の最後を見とどけて、殿様に殉じて果てたいと思います。そして、女を捨て、武士の姿で戦いに出たからには、最後も武士らしく……切腹して果てたいと思います」


いかに男姿に身を変えたとはいえ、女の身でありながら、切腹と覚悟をかためた雪路。言いよどみつつも、きっと優子を見つめた。


「あたくしも……ごいっしょに切腹いたします。無念にも刃を合わせるいとまもなしに鉄砲傷を受け、苦しみもがきながら果てられた同志のかたがたを思えば、作法どおり心の臓を一突きに死ぬなぞもってのほか、腹かき切って苦しみ抜き、お城の最後を見とどけて相果てましょう」


菊の香ただよう夕やみ。官軍隊士に押し入られ、万が一にも生き恥をさらしてはと、その配慮から、縁の戸をきっちりととざし、外に灯の光がもれないようにしてふたりは切腹の準備に取りかかった。


男として戦いに出たからには、男姿で切腹をと覚悟をかためたふたり。


雪路は、夫左近の白装束を、優子は、鈴木家先祖伝来の赤地錦のひたたれを、それぞれに最後の姿と思い固め、着たけを合わせるべく手直しをはじめたのである。


官軍の撃ちならす元込め銃、カノン砲の音もとだえ、身を引き込まれるような静寂が、切腹の覚悟をかためたふたりの周囲にただよっていた。


そしてふたりは、城の最後が明日であり、また、自分たちの最期もその時であることを疑わなかった。



北国、まして晩秋の夜明けはおそい。そして、夜明けを告げたのは、官軍のカノン砲であった。砲声は、城を中心として、いずれの方角からも響いて来た。少しばかりの間隔はあったが、ほとんど絶え間なく規則的に撃ち出される砲弾は、城の石がき、壁、屋根をくずしていった。


しかし、元込め銃の音は聞こえない。


猟師たちが、手足をもがれ、全くその動きを失った野獣を、遠巻きにしてなぶり殺しにでもするように、官軍は、洋式装備の威力を発揮させたのである。


曇り空とはいえ、明るさを増した朝、鈴木家の庭先から、美しい城が、その姿を無残にも変えていくのがはっきりと見られた。


さまざまな色彩の菊を囲ったいけがきと縁側の間の白砂の上に、雪路と優子は、畳を二畳ずつ、裏側を上にして敷き並べ、さらに白布でおおい、切腹の座を作り終わった。


痛いほどの冷気が、曇り空の下にただよっているが、緊張したふたりは、それを感じない。


やがて沐浴をすませたふたりは、切腹姿の準備に取りかかった。


「優子様。これは、あたくしの最後のお願い。夫の白装束を借りての最後の姿、男になり切っての切腹と思い定めましたが、髪形だけは島田にしたいのです。せめて、妻として夫に殉ずる気持ちを、髪形に現わしたいと思います。優子様。結い上げていただけますか」


「左近の妹として、嫂上様、ありがとうございます。嫂上様のそのお気持ち、どうして許さないなぞと申せましょう。優子が最後の思いを込めて、お美しく結い上げてさし上げます」


鏡を前に、にっこりとほほえみ合うふたりであった。


高々と結い上げられた島田。雪路は、その豊満なからだに、今は夫の形見となった白装束を、言いしれぬ幸福感と共に身につけた。その姿は、大輪の白菊のように美しくにおった。


優子は、赤地錦のひたたれを、袴のひもをきつめにきっちりと着付け、髪はたばねて長く背にたらした。小柄なその姿態は、あたかも戦国時代の若武者のようにりりしく見えた。



優子は、母の形見の短刀の柄をはずすと、きっ先二寸五分を残し、中子(なかご)からきつく白紙に巻き込み、三宝にのせた。


雪路は、嫁入りの際に持参した守り刀を、同じようにきっ先二寸を残して白紙に巻き、さらに、きのう切り込みの時に使った大刀を、きっ先五寸を残して白紙に巻き込み、それぞれ二つの三宝にのせた。


「嫂上様。なにゆえに二つの刀をご用意なさるのですか」


「申し訳ありません、優子様。もし失敗するとたいへんな恥になりますゆえ、今は聞かずにいてくださいね」


雪路は、何やら思案があるようにやさしくほほえんだのである。


その時、ひときわ大きく砲声が響いたとみる間に、城はついに黒々とした煙を吹き上げた。穀倉あたりであろうか、煙は静かに横になびき、天守閣におおいかぶさるように見えた。


「いざ、まいりましょう」


きっと言いはなった雪路の声にうなずく優子。ふたりは、それぞれの三宝をかかげ、縁側から白布を敷いた庭へ、さらに切腹の座へと歩みを運んだ。




雪路は、短い腹切り刀をのせた三宝を前に、大刀をのせた三宝を左側に置くと、袴のひだをやや広げるような感じで、膝を割って正座した。


優子は、同じように腹切り刀をのせた三宝を前に置くと、男のするように、膝をぐっと割って正座した。


ふたりは、深々と頭を下げてお城を拝み終わると、雪路が、


「お殿様、ご家老様をはじめお城の皆々様。鈴木左近の妻雪路、同じく左近の妹優子、皆皆様とごいっしょに、お城に殉じ、ここに相果てまする。北国武士の最後はかくばかりと、男姿で切腹いたしまするが、このわがまま、なにとぞお許しくださいませ」


「いざ嫂上。あたくしから切腹つかまつりますゆえ、優子の腹の切り方、よっくお見とどけくださりませ」


赤地錦のひたたれの袴のひもをほどくと、今度は、腰ひくく着け直し、両袖のくくりひもを解きはなち、両方のひじをすぼめるように袖の中に引き入れた優子は、なんのためらいもなく、一気にもろはだを脱ぎ開いた。小さく、堅く張った両の乳房を気にする様子もなく、さらに、へその下、下腹部を大きく開いて見せた。


雪路も、同じように白の袴をひくく着け直し、まず右腕を袖に通してすっと肩を抜き、えりを押えるようにして胸もとにとめ、さらに左を同じようにして、胸もとにとめた両えりを静かな動作でそっと離した。豊かに盛り上がった二つの乳房は、緊張のためかくっと上向きに張っている。


袴の横ひもの上にばらりとさがった前身頃(まえみごろ)を押し込むような動作でぐいと下げると、形よくくぼんだへそから、じゅうぶん脂肪ののった下腹部が、大きくむき出しにされた。



雪路と顔を見合わせ、にっこりと最後の目礼をかわした優子は、両手で下腹部をゆっくりとなぜた。雪路も同じく、下腹部をもむようになぜ回した。


「お城の皆々様、鈴木優子の切腹、とくとご覧くださりませ」


と言いきるや、優子は、左手で腹切り刀を取り上げ、右さか手に持ち直し、左手で三宝を取ると腰下に敷いた。そして、左手を腹切り刀にそえると、へそ下二寸ほどの左のわき腹にきっ先を向けた。


一呼吸、二呼吸、息をとめると一気に、


「ぶすーっ」


鈍い音と共に、きっ先一寸五分ほどがぐっと腹に食い込むとみるや、ぐいと両手に力を込めて右へ引き回し始めた。


「嫂上様。これ、このように、……優子の切腹。……優子の切腹」


「優子様。みごとです。刃を止めずに……一気に引き回すのです」


腹切り刀は正中線を越え、血をしたたらせながら右のわき腹めがけて、ぐっぐっと切り裂いていく。


それと見るや雪路は、同じように左手で腹切り刀を取り上げ、右のさか手に持ちかえ、左手で三宝を腰の下に敷き入れると同時に、大きく張り出した左の下腹部に、きっ先を押し込んだ。


「同志の皆様、左近殿。雪路の切腹、優子様同様に、とくとご覧くださりませ」


言い終わると左手を、つき立てた刃の峰にそえ、腰を浮かせるようにしてぐいと引いた。


刃は、へその下一寸ばかりの白い腹を、なぞるように右へと切り進んだ。


「嫂上様。おみごとなご切腹……。これ、このように、優子はお腹(なか)に刃をとどめたままお城の最後を見守りまする」


あえぎつつ、左手を前についた優子は、腹切り刀を右わき腹にとどめながら雪路の切腹に見入るのだった。赤地錦の袴から白布にまで、切り開かれた下腹部から血潮が流れ出た。


雪路は、右わき腹まで引き切った腹切り刀をぐいと引き抜くと、大刀をのせた左わきの三宝を前に回した。苦しい息は、きつく結んだくちびるで押しとどめたが、今の動作で左にひねった下腹から、一面に血潮が飛んだ。


前に回した三宝に、まず血に染まった腹切り刀を置くと、今度は、大刀に手をかけた。


「優子様。これが、鈴木左近の妻……、妻、雪路の切腹……さきほど訳を言えなかった妻としての切腹……よっく見定めてくださいませ……」


苦痛にふるえる手に、大刀は重い。肩で息をしながら雪路は、大刀の刃を下に向け、両手をかけてそのきっ先を静かに臍窩(せいか)につけた。そして、ゆっくりとへそにきっ先を吸わせた。それは、夫の愛情を身をもって確かめる、妻のひたむきな動作を思わせた。


「うっ。……うっ。雪路の切腹……左近殿……雪路の切腹を……ご覧くださりませ」


きっ先は、一寸、二寸と臍窩を血でぬらしつつ吸われていく。この時、雪路は、夫をおのれの腹の中にしっかりと抱いたように感じたのかもしれない。


やがて、三寸近くも突き立てた雪路は、大刀の柄の部分を、前に置き残した三宝にのせた。そして、刀から離した両手を膝に置き、きっと胸をそらすようにしてお城を見上げた。大刀は、雪路のへそにきっ先を入れたまま、柄の部分を三宝にのせ、あたかも長い橋のように空間に横たわったのである。




腹切り刀を右わき腹にとどめた優子と雪路は、しばらくの間、苦しい息をしのばせてお城を見ていた。あたりは、血のにおいと菊の香が入り混じっていた。切腹の苦痛と、男と同様思い切り切腹をなし遂げた満足感に酔うふたりには、それは、この世のことなどでない不思議な感覚を与えていたのかもしれない。


血は、ふたりの袴から白布に、とめどもなくしたたり広がっていく。


「嫂上様。目の前が……目の前が、かすむような……」


「優子様。まだ……まだ、お城は落ちませぬ。……もうしばらく、……今しばらくのしんぼうを……」


「は……はい。切腹は……切腹は苦しむもの……。なんの……これしき……」


今や、目の周囲はくろずみ、くちびるは血のけを失った雪路。しかし、両膝に手をのせた姿勢くずさない。そして、肩で息をするたびに、へそに突き立てた刃は、その重みによって、徐々に下に向けて傷口を広げ、今は、横に切り裂かれた傷口と交わっている。


そして、ついに、最後の時が来た。


城は、その天守閣から火を吹き始めたのである。


いつか、官軍の砲声はやんでいた。


「あ……嫂上様。……お城が落ちまする。い……いざ、あたくしたちも……まいりましょう」


「優子様。……おみごとでした。今……今はこれまで……あ……あの世で……会いましょうぞ……」


優子は、残る力をふりしぼり、右わき腹から腹切り刀を引き抜くと、手をふるわせながら、左乳下にきっ先を当てた。そして、からだを乗せるようにしてつっ伏した。赤地錦の袴が、二度ほどひくひくとゆれたかに見えたが、それもすぐにやんでしまった。


優子が息絶えたのを見届けた雪路は、今や、刃が白装束の袴の横ひもまで達した大刀を、一息に引き抜いた。またしても、血潮がぱっと流れた。そして、二呼吸、三呼吸、大刀のきっ先を両の乳房の中間に差し向け、一気に体重をかけた。きっ先が胸椎に達したのであろうか、大刀の柄は横に流れ、雪路は首を折るようにして前に倒れた。


二刻(今の四時間)が流れた。


この季節初めての雪が降り始めた。これは、今や死に絶えた城方の全員が待ち望んだ雪であった。半月早くこの雪が降れば、官軍は年内の戦いをあきらめたかも知れなかったからである。


しかし今は、血潮の中に投げ捨てられた白菊に似て、皓々とした雪路の背と、紅色の花のかたまりに似た優子のしかばねをおおう、冷たいしとねの役にしかならなかった。


<了>


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