休日の児童公園。
まだ朝時間と呼べる時刻。
犬の散歩やジョギングする人の合間を抜けて、那月は、公園の花壇へと向かっていた。
手には、花の苗や肥料を入れたカゴがあり、近隣の学校の紋章が入れられている。
環境整備のボランティアの一種で、地元の公園の整備に来たのだ。
ボランティアメンバーに対して、近隣の公園の数がかなり多く、小さな公園は、こうして那月ひとりで担当を当てられたわけだが。
思ってたより、花壇の面積が小さい。
日中の暑い時間になる前には、終わりそうだ。
那月は、ほっと、安堵のため息をつき、公園の備え付けの水道から、備品のバケツと水差しに水を入れる。
小さな花壇に水を撒いて、土を十分に柔らかくした後に、雑草を抜くべく、土にしゃがみ込む。
ボランティアも、こんな、日差しの強い時期じゃなく、もっと、心地よい時期にすればいいのになあ。
早起きが苦手な那月が、まだ眠い頭で、そんなことを考えながら、雑草を抜いていく。
「あれ。オモチャ落ちてる。忘れ物かな」
花壇の中に、小さな黄緑色のカラーボールを見つけて、那月が手を伸ばす。
目立つ場所に置いておいたら、持ち主が気付くだろうか、とボールを持ち上げた瞬間。
ボールから、ぷしいぃいいッ! と小さな水しぶきが上がり、那月の顔を濡らす。
「ひゃッ!」
思わず目を閉じて、手からボールが零れ落ちる。
ぺたん、と尻餅をついて、顔を手の甲で拭った後、目を開ける。
「も~、何これ……。……って、……え?!」
地面に座り込んだまま、那月は絶句する。
目の前に、見たこともない巨大な植物が見えたからだ。
「え……、え……??」
きょろきょろと、左右を見渡す。
すぐ近くに巨大な石、その奥に、那月の何倍もの大きさのバケツが置かれている。
バケツの隣に置かれた、巨大なカゴには、那月の通う学校の紋章が刻まれていた。
那月は、ゆっくりと立ち上がり、巨大な石を避け、果てしなく大きなバケツに近づき、手を触れる。
「これって……、私がさっきまで持ってた、バケツ……?」
ゆっくりと、後ろを振り返ると、広大な大地が広がっている。遥か彼方に、見覚えのある遊具が見える。
那月が、先ほどまでいた公園の遊具と一致している。那月の知る大きさ以外は。
「私……、小さくなってる……」
ぽつんと呟いた声も、広大な公園には、響くことなく、すぐに消えてしまう。
しばらく、その場に、呆然と立ち尽くしていた那月だが、強風により、身体が吹き飛びそうになり、我に返る。
元の大きさでは、夏場の気持ちの良い風程度なのだが、わずか五センチ程に縮んだ今の那月には、台風にも感じるほどだ。
慌てて、バケツとカゴの影に駆け寄り、身を潜める。
どうしよう、どうしよう。なんで、こんなことになっちゃったの?
風がやむのを待ちながら、那月は不安で心が埋まっていく。
目の前を、大きな葉が、風にあおられて飛んでいく。
ぶるぶると、震えながら、那月は、懸命に、変化が訪れた時のことを思い出す。
変なカラーボールから、水しぶきを浴びて、気付けばこうなってたけど、もしかして、あれのせい……?
ただのオモチャかもしれないが、偶然の変化にしては、非科学的すぎる。
信じられないが、こうして小さく縮んでしまっているのだから、調べるだけ調べてみよう……。
強風がおさまり、那月は、そっと、バケツとカゴの合間から、身を乗り出す。
恐る恐る、足を進め、カラーボールを探す。
小石の合間を抜け、自分の背丈より大きな石の上に乗り、辺りを見渡すも、見つからない。
地面に見当たらないとなると……。
那月は、真横にそびえたつ、大きなレンガを見上げる。
このレンガの向こうにある、花壇の中に、あるに違いない。
レンガの向こう側には、先ほどまで、那月が、簡単にむしっていた雑草が、街路樹かのような大きさで、ゆらゆらと揺れている。
視界をレンガが遮って、花壇が見えないだけに、怖さも増す。しかし、ここで、とまっていても仕方がない。
「大丈夫だよね……。さっき、普通に、私が土、いじってたくらいだし」
懸命に言い聞かせながら、那月は、ぴょん、と小石から飛び降りる。
レンガは、那月の二倍くらいの大きさだ。
乗り越えるには、踏み台が要る。
那月は、目の前の大きな小石を、ずるずると、押し、レンガへとくっつける。
再び、そこに乗り、手を伸ばす。
「ん……ッ、くぅ……! もう、すこしっ!」
ぴょん、ぴょん、足場の悪い石の上で、何度も跳ね、ようやく、レンガの上部に手を引っかける。
「んーーーっ!!!」
懸垂のように、自分の身体を持ち上げ、レンガの壁に、足を乗せる。
がりがり、と砂粒を、小さな足が削り、あと少し、というところで、足が限界を迎えて滑る。
「きゃああっ!!」
滑り落ちる反動で、那月は、レンガを持つ手を離し、地面へと転げ落ちる。
「痛い……」
半泣きになりながら、那月はレンガを見上げる。
もう少し、いい足場はないだろうか、と周囲を探し、そして、自分が持ち運んできたカゴを見つける。
とてとて、と小さな足を動かし、カゴに近づく。
プラスチックの格子状のカゴは、今の那月には、ジャングルジムのようだ。
こちらの方が、登るには好都合だろう。
「よっと……、ん、しょっと……」
一段、一段、那月はカゴの壁を上っていく。
格子越しに、カゴの中に入れた、花の苗やスコップ、軍手が目に入る。
どれもこれも、今の那月には、自分より大きなものだ。
全て、自分の手で持ち運んでいたものだったのに。
「本当に私、小さくなっちゃったんだ……」
改めて実感し、那月は少し、怖くなる。そして、振り払うように首をふる。
早く、ボール、調べなくちゃ……。
レンガと同じ高さまで登った那月は、レンガの天辺へと飛び移る。
茶色の床に足をつき、立ち上がり、花壇を見渡す。
あんなに小さな花壇だったのに、ちょっとした林のようだ。
ごくり、と息をのみながら、那月は、慎重にレンガの上を歩く。
レンガを三つ分程、進んだところで、那月は土の上に転がる、小さなカラーボールを見つけた。
「あった! あれだ……。けど、どうやって降りよう……」
飛び降りるには、少し勇気のいる高さだ。
近くにそびえたつ雑草に、飛び移って、降りてみるしかないだろうか……。
大きな虫とかいたら、どうしよう……。
今は、アリですら、出会いたくないサイズに縮んでしまっている。
二の足を踏んでいると、ふいに、風が再び吹き始め、那月の背中を押し始める。
「ぅわ?! わわわわわっ!!」
レンガの上で、じたばたと、小さくもがき、バランスを取ろうとするも間に合わず、那月は、花壇の中へと転がり落ちた。
「きゃあああああああ」
ぼふん、と柔らかな土の上に、落下する。
少し前に、那月自身が、まいた水で濡れた土が、那月を汚す。
「うぅうう……」
服についた泥をはたきながら、那月が弱々しく、立ち上がる。
汚れてしまったが、水で柔らかくなっていたため、着地は事なきを得た。
元の大きさに戻ったら、まず、シャワーを浴びたい。
そう思いながら、那月は、小さなカラーボールへと近づいた。
指先でつまめる程だったカラーボールが、今の那月には、大玉やバランスボールのようだった。
恐々、ボールに触れてみるが、なんの反応も起こらない。
ボールの周囲を歩き、反対側を見てみると、ボールの曲面に小さな穴を見つける。
ここから、先ほどの水しぶきが出たのだろうか。
穴を覗きこみ、何か出ないかと考えていると、ふいに、大きな影が、那月周辺を覆う。
驚いて那月が、空を見上げると、巨大な人がふたり、こちらを見つめている。
正確には、通常の人間、それも、小さな女の子供なのだが、那月には巨人のように思えた。
「ぁ……っ」
那月が、驚きで固まっていると、一人の少女が声を上げる。
「あーーーーー!!! すごーい!! 凪ちゃん! 妖精さんだよ! 本当にいたよー!!」
「凛ちゃん。あんまり大きな声出すと、妖精さん、びっくりしちゃうよ」
「そっか、そうだね。妖精さん~、ごめんね。凛、なんにもしないよ~!」
きらきらと、目を輝かせながら、少女らがしゃがみ込み、那月を凝視する。
妖精……? そりゃ、今のサイズだと、そう見えるかもしれないけれど。
「あ、あの……、私……」
那月が、カラーボールの後ろに隠れながら、か細い声を上げるも、少女らは、はしゃぎ、那月の発見に夢中だ。
「ねえ、ねえ、妖精さん。あなた、なんて名前なの? どこから来たの?? この公園に住んでるの?」
「そのボール、気に入ったの? それ、人間が遊ぶボールよ」
矢継ぎ早に話す子供らに、那月は、慌てて声をあげる。
「待って、私、妖精じゃないの。それに、このボール、危ないから触っちゃダメだよ」
しかし、少女らは、きょとんと不思議そうな顔をするばかりだ。
「どうしたんだろ、妖精さん」
「口、ぱくぱくさせてるね。お腹、空いてるんじゃない?」
那月の言葉を、まるで受け取らない様子だ。小さく縮んだ那月の声が、届いていないようだ。
場合によっては、助けてもらえるかも、とすら思っていた那月だが、自分の非力さに、絶望する。
どうしよう……。とにかく、このボールをまず調べなくちゃ……。
もし、このボールのせいではなかったとしたら? 元の大きさに戻れないのでは……?
次々、浮かぶ恐ろしい仮定に、震えそうになりながら、那月は、再び、ボールに目をやる。
その時だった。
「妖精さーん! お水もってきたよ~」
「え?」
顔をあげると、少女が手に、水差しを持っている。
那月が、花壇の整備として、持ってきたものだった。
ほとんど、真上に運ばれた水差しが、少女の手で傾けられる。
「……ッ!!!」
スローモーションのように、大きな水の塊が、那月の上に降り注がれ、そして、那月を地面へと叩きつけた。
ーーじょぼぼぼぼぼぼ
「ん、ぐぅッ、むぅ、がッ、はぁあッ!!」
土があっという間に、泥に変わり、更に水たまりへと変化する。
那月は、泥に手をつき、必死で顔を上げようとするが、ひっきりなしに降り注ぐ水に、頭を押さえつけられ、それもかなわない。
それどころか、手をついた泥が、水たまりへと変わり、那月の身体は、浮力に従い、うつ伏せで浮き始める。
なんとか顔を、水面から上げるも、水差しの水に背を押され、水たまりの中に、身体が沈む。そして浮力で浮かび、再び水に押され沈む。
「ぅがふぅッ、んぅうッ、ひゃめ、たしゅけてッ……!」
那月は、小さな身体で、必死に水たまりを泳ぐも、水差しの水が、那月を逃さず追いかけてくる。
滝にも似た水流を那月に浴びせることで、那月に水を与えられると少女らが勘違いでもしているのだろう。
逃げても逃げても、上から降る水は、那月を追跡して、浴びせ続けた。
溺れかけながら、那月は泥水まみれになり、底に届かない程の小さな足を、必死で動かす。
ようやく、中身が空になったらしい。水差しが、大きな音を立てて、地面に捨てられる。
「かっわいー! 妖精さん、ジョウロの水で、泳いでるよ~! いっぱい、お水、飲めたでしょ! 夏はねえ、お水、いっぱい飲まないとダメって、先生も言ってたよ」
溺れ死にかけて、泥まみれで涙を流す那月に気付くことなく、少女が歓声を上げる。
那月は、なんとか、水たまりの端に辿りつき、身体を地面へとよじ登らせる。
「はぁっ、はぁ、はぁ……っ、う、うぅうう」
ぼろぼろと、涙を流しながら、那月は、キョロキョロと辺りを見渡す。
ーー逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ……!
荒い呼吸をしながら、パニック状態の頭が、退路を探す。
ぼたぼたと、大きな水滴が、柔らかな土の上に、次々と染み込んでいく。
逃げなきゃ……!
ーーでも、ボールも探さなきゃ……、ボールはどこ?
ーーでも、このまま、ここにいたら危ない……。
混乱した頭が、次の一手を悩ませる。
その隙に、少女らが、声をあげる。
「きょろきょろしてる~! かわいい~! 何探してるの~? 妖精さん」
「今度は、何か食べたいんじゃない?」
聴こえる会話に、那月はぎくりと身体が強張る。
「そっか。お腹空いてるんだね。じゃあ、凛のお菓子あげるよ!」
那月は、少女を見上げて、叫び声をあげる。
「やめて! お菓子なんかいらない!! こっちに来ないで!」
「すごい口、ぱくぱくしてるね」
「ふふふ。大丈夫だよ! いっぱいあげるからね~」
那月の叫びもむなしく、少女がカバンからビスケットを取り出し、那月の真上で砕いていく。
ボロボロと、那月の顔よりも大きな欠片が、そこかしこに、落とされていく。
「きゃあああああっ!!!」
大きなビスケットの粉が、那月の身体に降り注ぐ。
目と鼻の先に、巨大な欠片が落ち、那月はパニックになりながら、ぐるぐると回りだす。
「うわ~、すっごい喜んでるね!」
「どれから食べるか、なやんでるんじゃない?」
的外れな観察を上空に感じながら、那月は、ビスケットの欠片の合間を抜けて、植物の影へと隠れようと走る。
しかし、小さな身体で走ったところで距離は知れており、子供らの目から逃れるには足りなかった。
「妖精さん、そっちには、お菓子ないよ」
「見えてないのかな。はい、どうぞ~」
ひときわ、大きな欠片が、那月の真上に落とされる。
「あぁああぁああっ!」
那月は、背中に大きな衝撃を受け、ビスケットの下敷きになる。
「う、ぅうう……!」
身体のほとんどを隠してしまう程の、大きな大きなビスケット。
那月は、背中の痛みに耐えながら、ビスケットの下でもがく。
ビスケットが、那月の動きに合わせて、土の上で小さく震えるのを見ながら、少女が声を出す。
「ひっくり返っちゃった。ちょっと大きかったかなあ」
那月が、力いっぱいもがいても退かせきれなかったビスケットを、幼い少女が、簡単に手で退ける。
身体の自由が得られたのもつかの間、那月は少女に持ち上げられ、くるりと身体を仰向けにひっくり返される。
ビスケットの欠片まみれの那月は、少女の大きな指の感触や、花壇の大きな雑草、那月を好奇な目で覗き込む巨大な少女らといった、常識を超えた景色に、驚きで身体の動きを止めてしまう。
那月が暴れないと認識したのか、少女は手を離し、笑いかける。そして、ビスケットの欠片を、那月に押し付ける。
「はい、妖精さん。ごはん、どうぞ~」
「んぐぅ、ふぁあ!!」
硬い大きなビスケットを口に押し付けられる。軽く押し当てるというより、ビスケットで口から顔をつぶされそうな勢いだ。
那月は、大きなビスケットを小さな手で、必死で押し返そうと抵抗する。
小さな身体に、あらん限りの力を出そうと、ぬかるんだ土に、小さな膝を立て、両脚で踏ん張る。
しかし、泥状の土は、何度も足を滑らせてしまう。
上空から、小さな那月を見つめる、少女らには、那月が、大きなエサにもがくアリのように見えた。
「ふふふ。必死で食べてるね」
「お腹、すごく空いてたのかもしれないわね」
ーー死んじゃう……! つぶされちゃう……!
泥とビスケットの欠片にまみれながら、那月が必死で抵抗していると、少女らのはしゃぐ声が聴こえてくる。
那月の様子を楽しんでいるようだ。
ふいに、ビスケットを押さえつける力が弱まり、那月は、死に物狂いで身体を起こす。
少女らに背を向け、一目散にダッシュしたのも束の間。
辺り一面が、雲に覆われたかのように暗くなる。
なぜ、と少し顔を上げたところで、那月は、冷たい柔らかなものに完全に覆われる形で、地面に押しつぶされた。
「ん、ぐぎゃぁあああ!!」
大きな衝撃を受け、小さな身体が、小さく震えながら、泥の土に押さえつけられる。
「妖精さん! 特別に凛のお菓子あげるよ~! プリンパフェだよ~」
「そんなにいいのあげちゃうの?」
「いいの~。妖精さん、かわいそうなんだもん」
どうやら、那月を押さえつけているのは、巨大なプリンと生クリームなどのお菓子らしい。
暗い中、身体の上が重すぎて、起こせない。
身体が、完全に、プリンの下敷きになってしまっている。
那月は、弱々しく、ほふく前進をして、少しずつ、前へと進む。
暑さのせいか、カスタードプリンが溶けかかっていて、那月は、プリンの合間を、なんとか突き進むことが出来た。
頭上から、プリンのカラメルソースや、生クリームが、どろどろと垂れて、身体の下の泥土と混ざっていく。
むせかえる程の、甘い匂いだ。
力尽きそうな状況だが、進むのをやめることは、元に戻ることどころか、命の保証すら投げ出すことを意味していた。
「はぁッ、はぁ……ッ、ぅ……、うぅう……」
那月は、自分の今置かれている、通常では考えられないような状況に、怖さと自身の非力さを感じ、ぼろぼろと涙を流しながら、プリンの下を進む。
「凛ちゃん。妖精さん、埋もれちゃったよ。おやつ、あげすぎだよ」
「落とす場所、ずれちゃった。妖精さん、ちゃんとプリン、食べれてるかなあ」
的外れな心配をする声が聴こえたかと思えば、
ズンッ!! と大きな音を立て、ほふく前進している那月のすぐ隣に、大きな指が現れる。
「ひぃッ」
大きな指が、プリンをかき分けて、激しく動く。
やがて、指の腹が、那月の脇腹に当たり、見つけたと言わないばかりに、指が那月を強く撫でる。
恐怖で硬直する那月をかまわず、指は、反対側の脇腹の横にも、ずぶり、と刺され、那月は、大きな指に摘まみ上げられる。
「ヒィッ、い、いやああああ!!!!」
那月は、自分の小さな身体が、どんどん、宙に持ち上げられていくことに気付き、あらん限りの叫び声をあげる。
じたばたと小さく暴れ、那月の背と頭に積もったプリンが、ぼとぼと、と泥の土に落ちていく。
「いたいた! 妖精さん、みーつけた!」
「小さくて、かわいいね」
摘まみ上げた小さな那月を、少女らは、目線の高さまで持ち上げて、じっくりと観察する。
「離して!! 離してぇえええ!!!」
那月が泣き叫ぶも、少女らは全く意に介さず、楽しそうに笑う。
「すごくじたばたしてるね! 元気な妖精さん」
「プリンから離れちゃって、驚いてるんじゃない?」
「食いしん坊なんだね」
声が聞こえないことも相まって、那月の意思がまるで通じていない。
どうやって逃げたらよいのか、那月が必死で考えている最中、少女らが会話を続ける。
「ねえ、凛ちゃん。私も、妖精さん、触ってみたいな」
ねだるように、少女が、指先で捕らわれている那月に、手を伸ばす。
「待ってよ。凛、もうすこし、妖精さんと遊びたい」
「妖精さんの場所、教えたの、私でしょ」
「でも、見つけたのは、凛が先だったもん」
「すぐ代わるから、まず少し、触らせてよ」
待ちきれず、少女が、那月の上半身を、包み込むように掴む。
「ふきゃあっ!」
那月が驚いて叫ぶが、少女らは口喧嘩をやめない。
「凪ちゃん、ちょっとまってよ。凛、妖精さんが空飛ぶところ見たいの」
「羽ついてないじゃない。きっと飛ばないよ」
「そんなの分かんないよ。凛、試してみるから、凪ちゃん、離してよ」
「凛ちゃん、ずっと、持ったままじゃない」
少女らの手の中で、那月は生きた心地がしないまま、やり取りを聞いていた。
凪と呼ばれた少女が、ぐい、と那月を自身に引き寄せ、凛が、取り返すように、那月の服を引っ張る。
泥とカスタードプリンで、どろどろに汚れた那月の制服が、ビリリ、と簡単に悲鳴を上げ、破れていく。
引っ張られたのが、制服ではなく、腕や足だったら……。
那月は、身を強張らせ、口喧嘩が一刻でも早く終わることを、祈る。
「凛ちゃん。妖精さん、壊れちゃうよ。この前も、オモチャ壊して、先生に怒られてたじゃない」
「むー。分かったよぉ。じゃあ、空飛べるかどうかは、ふたりで見よう」
凪と凛が、それぞれ広げた片手を合わせ、那月がその上に寝そべらされる。
大きな瞳が四つ、至近距離で、じろじろと、那月を観察している。
幼い子供と、自分。本来では、子供と大人のはずが、今では、あまりの大きさの違いに、那月は言葉を失い、力が入らない。
凪の大きな指先が、那月の背中を、つつつ、となぞり、口を開く。
「ね。羽、ついてないでしょ」
「でも、飛ぶかもしれないよ! 妖精さん、飛んでみて」
那月は困ったように、両手の隙間から、地面を見下ろす。
体感にして何十メートルになるかは分からない高さだが、逃げるなら、飛び降りるしかない。
どうしよう、と悩んでいると、凛が声をあげる。
「手のひらの上、気に入っちゃったのかな。ほら、飛んでみて! ふぅーーっ!!」
目の前で、息を大きく吹きかけられ、那月の小さな身体は、いとも簡単に吹き飛ばされる。
「きゃああああああああああっ!!」
ぶわり、と小さな身体が宙を舞い、足場を失い、重力に従って落下していく。
叫び声は風圧でかき消され、みるみる迫ってくるカスタードプリンの上に、那月は再び、どぼん、と落下した。
小さな身体だからか、プリンの性質なのか、身体は沈みきらず、クッションのように那月を受け止める。
那月は、震える身体に鞭を打ち、必死で身体を起こし、崩れたプリンの上を走り出す。
そして、少し離れた泥土の上に、探していた小さなカラーボールを見つけた。
きらり、と光る黄緑色のカラーボールに向かって、那月は走り出す。
溶けかけのカスタードプリンに、ずぼずぼと足を取られながら、おぼつかない足取りで進み、ためらわず泥土に向かって、小さな身体で飛び降りた。
大きなカラーボールにすがりつくように身体を預ける。那月に水しぶきを浴びさせた、ボールの小さな穴を探していると、ふわりと、身体とカラーボールが持ち上げられる。
すぐ目の前にあったはずのカラーボールが、どんどん目の前から離れていくのを見て、那月は、那月自身とボールが、別々の手で捕まえられていることに気付く。
首根っこを、凛に捕まれたまま、那月は、じたばたと暴れる。
「妖精さんは、空は飛べないんだね。このボール、そんなに好きなの? これ、食べ物じゃないよ。食べれないよ」
「離して!! 返してぇえ!!」
凛の左手に捕まえられた那月が必死に叫び、凛の右手に掴まれたカラーボールへと、届くはずもない小さな手を伸ばす。
その凛の右手に、凪が手を伸ばし、カラーボールをつまむ。
「ボールで遊びたいのかもしれないよ」
凪が、凛の手先からカラーボールをつまみ取る。
カラーボールが、凪により、那月の小さな顔の正面まで近づけられる。
「これが欲しいの? 妖精さん」
那月は、必死で何度もうなずき、小さな両手を、めいいっぱいのばす。
「じゃあ、私がいっしょに遊んであげる」
ぶしゅうう、とカラーボールが指で押され、小さな穴から那月めがけて、水しぶきがあがる。
「きゃ……っ」
那月が小さく叫んだのも束の間、ドクンッと身体が大きくうなる。
全身が熱くなり、那月は全身を、ピンッと弓なりに反らして震える。
「ひぃぁあ……ッ! あぁああ……ッ!」
そして、凛に首根っこを掴まれたまま、那月の身体は、更に小さく縮みだしたのだ。
目の前のカラーボールが、大きくなるのを見て、那月は、自身に訪れた変化が期待したものとは真逆の、最悪の変化を遂げたことに気付く。
「いやああ! いやあああ!! なにこれ!!? 戻るんじゃないの?!」
5センチ程の小指くらいの大きさだった那月が、指の関節ひとつ分ほど、更に身体を縮めてしまう。
パニック状態になり、掛けられた水を、ぽたぽたと地面に零しながら、那月は泣き叫ぶ。
しかし、対照的に、少女らは、感動するような声をあげる。
「えー!? なにこれ、すごーい!! 妖精さん、小さくなってるよ!」
「妖精さんの魔法なんだよ。小さくてかわいいね」
「凪ちゃんもっと水かけてよ! 凛、もう一回見たい!」
「ふふふ」
凪がカラーボールを、小さな那月の至近距離へと近づける。
那月は、ぞっとして、必死に小さな身体を暴れさせる。
小さな手足を懸命に動かし、カラーボールを退けさせようと試みる。しかし、少女らからすると、ボールを欲しがっているように見えたようだ。
「焦らなくても、ちゃんとボールの水、かけてあげるよ」
「凛たちが、魔法かけるの手伝ってあげるね!」
「やめて、やめてぇええ!! かけないでえぇええ!! もう小さくしないでええええ!!!」
ぶしゅうううう
那月の悲痛な叫びが、新たな水しぶきにかき消される。
那月よりも大きなカラーボールから出された水しぶきは、那月の全身を裕に濡らす量だった。
冷たい水を浴びたにも関わらず、那月の身体は、ドクンドクンと、血脈を打ち、熱を上げていく。
「ひぃん……ッ! あぁあぁ……ッ! はぁあぁああああッ!!」
ぶるぶると小刻みに震え、那月は声を漏らす。
ぐらぐらと眩暈がして、身体が熱に溶けていくように感じる。
「いや……っ、いやぁあ……! 縮まないでぇえ……! もうだめええ!」
熱に耐えるような那月の叫びもむなしく、那月は、1センチ足らずの背丈にまで、身体を縮めていた。
「ぁあぁ……っ」
場所は変わっていないはずなのに、目の前にいるはずの子供が、もはや、巨大なタワーか何かに見える。
高層ビルの上層部につるされているかのような錯覚に陥り、那月は恐怖で言葉を失う。
ここから落ちて死ぬか、指で潰されるか、足で踏まれるか。
もはや、どうすれば元に戻れるか、生きて逃れられるか、ではなく、自分の最期はどうなるのかしか、思い浮かばない。
那月は、絶望に包まれながら、自分の小さな足から、ぽたりと、遥か彼方の地面に落ちる水滴を見つめた。
「すごーい!! 妖精さん、アリさんみたい!!」
「落としちゃダメだよ、凛ちゃん」
「大丈夫だよお。まだ見えてるもん」
「じゃあ、ちゃんとまだ持っててよ」
「うん、いいよ。ちゃんといっぱいお水かけて、妖精さん、帰してあげなきゃいけないもんね」
那月に、黄緑色のカラーボールが近づけられる。
目の前がボールで埋め尽くされ、那月にはもう、少女も花壇も公園も、目に映らない。
もっとも、ここまで小さくされた時点で、那月には、全てを視界に入れられることは不可能ではあったのだが。
那月は、カラーボールの大きな穴を見つめる。
最初、公園でカラーボールを見つけた時には、目薬の水滴くらいの液量と穴に見えたのに。
いまや、那月の全身を濡らすほど大量の水を漏らす穴と化している。
少女らふたりの会話を、那月は思い出す。
《妖精さんを帰す》というのは、那月を肉眼でとらえられない程、小さくさせる、ということだろうか。
見えなくなれば、妖精が家にでも帰ると思っているのかもしれない。
これ以上、小さくなると自分はどうなってしまうのだろう。
アリに踏みつぶされるくらい小さくなるのだろうか。
もしくは、この真下にあったはずのプリンの中に落ちて、広大すぎるプリンから一生かけても出られないまま、ゴミとして捨てられるか、虫にプリンと一緒に食べられてしまうかもしれない。
いや、それより、凛に捕まれたまま縮むのなら、小さな子供の爪の中に挟まって、ゴミと一緒に動けないまま、何かの拍子に塵ゴミと一緒に捨てられたり、手を洗われた時に流されたり……。
「ゃ、やめ、て……っ!」
先程、かけられた水しぶきに混ざって、那月が静かに涙を流す。
か細い、届くわけがない小さな小さな声で、那月は声を上げるが、
――ぶしゅううう
水圧で、小さな身体が吹き飛ばん勢いで、
那月は、カラーボールの水を全身で受け止めた。
「ぁあぁああああぁあ」
那月は火に当てられたかのような熱さを全身に感じた。
身体中の細胞が叫んで、超えてはいけない一線を越えた変化を迎えているようだった。
ふわり、と身体が宙に浮かぶような感覚を得る。
空でも飛んでいるようだった。強烈な変化に、身体か心のどちらかが、もしくは両方が、ついていけなくなったのかもしれない。
物理的の浮遊なのか、意識が朦朧としているのかわからないまま、那月は身を任せる。
やがて、ひやりと全身に冷たさを感じ、懐かしい甘い香りを感じた。
地面に落ちていたお菓子の上にでも落とされたのだろうか。
那月は、小さな瞳を開けるが、目の前には、大きな黒い空しか見当たらない。
――私、どうなったんだろう……。もう死んじゃったのかな。
虚ろな目をして、そんなことを考えていると、黒い空が歪み、水滴が降り注がれる。
もしかして、この空は、カラーボールの穴なのかとぼんやり考えていると、黒い空が歪みを無くし、それと同時に那月は穴の中へと吸い込まれていった。
ざばん、と水音を立てて、那月は大海の中へと落ちる。
そこは、黄緑色のカラーボールの中で、那月は、那月を縮め続けた水の中に落ちてしまったのだが、那月は、全ての状況を正確に把握できるほどの大きさを、もはや持ち合わせてはいなかった。
水や海というよりは、溶岩にでも放り込まれたかのように、
那月は自身の身体を、熱で燃やしながら、更に小さく縮んでいった。
*
轟音が響き、ビリビリと地面が揺れる。
この巨大な部屋の扉が、開いたからだと、那月は悟る。
一定のリズムで鳴る地響き。これは、少女の足音。
年齢だけで考えると、那月より、ずっと年下の子供だが、大きさは、もはや、那月の何倍になるのか分からない。
那月は、虚ろな瞳で、遥か彼方の空を見上げる。
そこには、等間隔で並ぶ、大きな金属製の柱が見える。
天空の、もしくは、蜃気楼によって見える、はるか遠くにそびえたつ神殿の柱にすら見える。
あれは、ケージの柵だ。
その金属の柱に、巨大な指が触れ、キリキリと金属音を立てて、柵が上がっていく。
クスクスと聴こえる子供の笑い声と共に、その指が近づいてくる。
そして、那月が座り込んでいた広大で白の丸い空間が浮上していく。
「この黒い点みたいなのが、あの時の妖精さん?」
「そうだよ。だいぶ大きくなってきたでしょ」
「エサあげなくていいの? 凛、ホットココア、魔法瓶に入れてもらってるよ」
「そんなの入れたら、キャップからあふれちゃうじゃない。エサはもうあげてるよ。キャップの中に、パンの欠片、入ってるでしょ」
「それ、ゴミかと思ってた」
無邪気な会話をしながら、少女らが、再び、ペットボトルのキャップをケージの中へと戻す。
「妖精さん、あの時は、落としちゃってごめんね。ちゃんと大きくなってきて良かった。もっと大きくなったら、また遊ぼうね」
空から声が降るも、那月は、もう上を見上げることはなく、広大なペットボトルのキャップの中で、ひとり、ぼんやりと白い床を見つめている。
少女らの肉眼では、今の那月は黒い粒のようにしか見えないため、知る由もなかったが、
今の那月は、一糸まとわぬ姿だった。
カラーボールの中に吸い込まれ、身体を極限まで縮められた時に、制服は溶けるように四散してしまったのだ。
服が消えるそれは、分子のつながりが限界を迎えたかのような消え方だったが、その時にはもう、那月自身、全てを詳細に把握することをあきらめてしまっていた。詳細に把握するだけの精神力は、とっくに摩耗していたのだ。
服の欠片なのか、特殊な水の成分なのか、きらきらとした小さな粒子に囲まれながら、那月は小さな身体を漂わせていた。
その周囲の小さな粒子すら、やがて、巨大に変わっていった。那月の身体は永遠に縮み続けていたのだ。
それが、ある時、一転して、那月の小さな小さな身体は、カラーボールの中から吐き出された。
凛がプリンの上に落とした那月を、凪によりカラーボールの中へと吸い込ませられた後、凪により、那月は、ペットボトルのキャップの中へと吐き出されたのだ。
那月は知る由もなかったが、その時、既に、那月はカラーボールごと、凪の家へと持ち帰られていた。
ペットボトルのキャップに、那月を含んだ水を漂わせ、水を蒸発させると共に、那月の中に浸透した水が体外へと抜けるのをひたすら待っていたのだ。
虚ろな目をした那月に、子供らの無邪気な声が、響き渡る。
「凪ちゃんが教えてくれたカラーボール。本当に、妖精さん見つけてすごかったね」
「そうでしょ。パパに内緒でもらったものだから、凛ちゃん、誰かに言ったらだめだよ」
「凛、誰にも言わないよ。妖精さん、いつになったら、また大きくなるの?」
「さあ、いつだろ。教えてもらった時より、いっぱい水、かけちゃったから。私が大人になるまでには、大きくなるかな」
「えー。凛、もっと早く、遊びたい~」
「ここまで戻るのに今日までかかったんだよ。魔法の水が乾くのは、時間がかかるんだよ」
「水、かけたのって、いつだったっけ」
「夏でしょ」
「そうだっけ? もっと早く大きくならないの?」
「他のカラーボールもらわないといけないから無理だよ」
「つまんなあい。ねえ、他のあそびしようよ。凛、凪ちゃんちの猫見たい」
「いいよ」
子どもの笑い声と、鳴り響く足音が遠ざかっていく。
緩やかに、じわじわと。
那月の身体は、水分を飛ばして僅かばかり、元の大きさへと戻ろうと、サイズを成長させている。
しかし、それが完了するのは、何年先になるかは分からなかった。
ようやく、《妖精さん》にまで大きくなれたところで、また、水を掛けられてしまうだけかもしれない。
ぽたり、ぽたりと、
那月の意を介することなく。
今日も静かに、那月を縮めた水が、体外へと染み出て、那月をほんのわずかに、身体を大きくさせた。
タゴシロー(改名)
2021-07-05 11:53:55 +0000 UTC