すげえもんがでてきたよ、ホントに。
いつかはそういう未来がくるのかと思ってたけど、想像よりも遥かに早かった。特に、表現の奥深さをあまり掘り下げない傾向のイラストに関しては、かなり肉薄している。もちろん、商業的にはまだまだ使えないし、そこに込められた意味やテーマ性なんてハリボテのぺらぺらなんだけど、それすらもいつかは作ってしまうんじゃないかと思わされる水準だ。
正直、同人ゲームのイラストならこれで作りたいくらい。権利的におっけーなのかな。文章なんていくらでも書けるから、なんとかなるならコミケごとに新作作れるんだけど……。いや、結局そこに意味が込められないとなると、どっかで物足りなくなるのかな。いや、そんなことはなさそう。今はちょっと忙しくてそういう段階に進むのは難しいけど、権利的に問題ないならゴリゴリに使ってみたい。ラノベの挿絵っぽいんだよね、上手く生成出来ているイラストって。いやー、本当に凄い。
ちなみに、イラストレーターさんが色々と騒いでいるのは、ある意味そりゃそうだなと感情面では同意するし、されどその流れは止めるべきでないと理性面で強く思う。昔のアナログ派かデジタル派かの論争のように、結局はAIを上手く活用した人から次のステージに進むことになる。大騒ぎしている人の裏で、目ざとい人たちは虎視眈々と、自分の絵にAIを活かせないかと模索してますよ。世の中ってのは、受け入れた人から勝ち上がっていくんだ。
現状のAIのイラストのレベルでは、表現面においてあまりにも弱すぎる。だから、上位イラストレーターの立場は変わらない。だが、中堅以下の方にとっては、やはり厳しい世界になりつつある。だけど、別にそれでいいと思う。AIが恐ろしいクオリティでイラストを生み出すことと、絵を書くことの楽しみは共存できるはずだ。創作というのは、己の中にあるものを描き出す鏡であり、表現方法だ。他人にとってはただの萌え絵でも、自分にとっては違う。少なくとも、最初に絵を描き始めた頃はそうだったはずだ。近頃の創作界隈は、絵に関わらずその辺りを履き違えているような節があって、今回のAI騒ぎでも似たようなものを感じる。それが悪いこととは言わないし、むしろ好きな方なんだけど、結局のところ他者との相対比較をしている間は、創作の本質から少しずつ脱線しているような気がする。もちろんこれは、僕自身にも問いかけ続ける命題でもある。AIの生み出す創作物のクオリティが、今後どれだけ高くなろうとも、個人にとっての創作の価値が失われることはありえない。そんなのは、火を見るよりも明らかだ。
なんなら僕は、さっさと文章のAIも発達してくんねーかなと思っている。一部、なろう小説向けのAIがあるけど、割りといい感じだ。なろう小説は水戸黄門的な構成をしていて、骨組みが固まっている。その上でテーマ性も軽く、表面的な話が多いため、意外とAIでもそれっぽいものが作れる。最後にニンゲンの手で手直しすれば、それなりになる。これがもっと発達して、僕が敬愛する小説家のような文章が生成できるようになったら、きっと僕は死ぬほど喜ぶだろう。それは、どれほど幸せな世界だろうか! 特に、故人である三島由紀夫大先生の文章を再現できるAIが生まれたら、泣いて喜ぶ。そしてそこに強く影響を受け、自分でも文章を描きたくなるはずだ。もっと自分の表現を突き詰めていきたいし、それこそが創作の面白いところである。この世にある自分よりも素晴らしい作品たちの数に、あまり意味は無いのだ。そんなものはどうだっていい。いや、むしろ多い方がいい。当たり前の話だ。
AIが学習していることへの不快感や、仕事が奪われる実害など、まぁ色々と言われているけれど、たぶん、そんなことを言っても仕方がない。感情面では理解できる部分もあるけれど、そうは言っても流れは変わらない。法律がそれを許し、ユーザーがそのクオリティに喜んでいる以上、AIの発展は止められない。そこに夢を見ている人の方が、その夢を嫌がる人よりも遥かに多いのだ。かつて、新しいものが現れたとき、最初はそれを嫌がる層が現れる。だが、いずれは受け入れられ、当たり前のものになっていき、やがて乗り遅れたものは頑固にそれを叩き続ける。古くはニコニコ動画、電子書籍、最近だとVtuberがそれにあたる。当時、出始めたばかりのことは古い価値観に叩かれていた。もちろん、無理して受け入れる必要はないけれど、多様性や時代の流れを受け入れた方が楽しみが増えるのもまた事実。はっきりと言えるのは、新しいものを受け入れる感受性を鈍らせたままでいると、少なくとも創作者としては朽ち果てていく。古きものを愛することは美徳ではあるが、古きものしか認めないのは価値観の停滞だ。これもまた、自分に強く言い聞かせる命題でもある。(念のため補足しておくが、好きになれ、という話ではない。受け入れろ、という意味だ)
だから実益だけを見て行動するべきだ。AIがびっくりするようなクオリティで大量に絵を量産するのなら、それを利用してもっと良いものを創作すれば良い。自分が創作したいもののために、全力で活用しろ。その視点で見るのなら、AIは創作者にとっての相棒になれる。そこに感情は必要ないし、慣れちまえばいいだけの話だ。若い子たちは固定概念がないゆえに、新しいものをびっくりする速度で吸収する。そこに対抗したければ、持っている手札をフルに使うしかない。
そういえば、将棋の世界でもAIは定着していたっけ。一昔前は頑固な先生方が叩いていたような気がするけど、圧倒的な実力の前にねじ伏せられた。しかし、そのAIを自分の勉強に利用し、挙げ句に打ち倒す人間が現れ、見事なサクセスストーリーを繋いでいるのも事実。
もしかしたら、AIは創作者の仕事を奪って、人々を廃業させるかもしれない。
明日は我が身かもしれない。
だが、AIが創作の楽しみを奪うことは決してない。もし、AIの登場によって面白くなくなったとしたら、それはAIじゃなくて別のところに理由があるはずだ。
さて、実際はどうなるだろう。AIが更に発展し、浸透していくのか。あるいは声高に批判する勢力が勝利し、廃れていくのか。
願わくば、面白い作品が増える方向性になれば良いなぁ。
こめがえし
>>m さん
>>カグラ作品をこれからも遊びたかったのもこれまた本音です。しかし、ルクル氏が活動するならそれで良いのです。フリーの活動応援しています。頑張ってください!!
>人間って概ね気持ち悪いもん
>>激しく同意しましたw (こんな私もまた気持ち悪い)
応援ありがとうございます。
惜しいと思って頂けるブランドになったことが、とても誇らしいです。
>>i46b
>>ルクル先生が商業のお約束などの制約がないところで、どういう物語を紡ぐかには興味がありました。どういう作品がでてきてもいいように、座して待ってます。
私自身、自分に起きる変化がとても楽しみです。
何卒宜しくお願い致します。