男子柔道部 対 女子空手部 〜Defeat the phantom〜
Added 2021-01-06 15:50:34 +0000 UTC高く蹴り上げられた足が夕陽に煌めいた。無駄な音は一切立たず、ただ木板の割れる小気味良い音だけが軽く響いた。 「きゃー!すごーい‼」 「カッコいい‼さすが空手部のエースだね!」 道場のあちこちでいくつもの拍手と歓声がざわめき立てる。壁際から送られる女子生徒たちの羨望の眼差しは全て、道場の真ん中にいる白い道着に身を包む少女たちに向けられたものだった。 「さすがね、彩乃(あやの)。以前よりも上段蹴りのキレが増してるわ。まあアンタがエースだって言われてることには納得できないけど、あたし以外でアンタに敵う人間はもうこの部には居ないでしょうね。来週の大会も副将として頼んだわよ!」 内面の傲慢さがそのまま顔に表れた様なポニーテールのその少女は、割れて二枚に増えた木片を重ねつつ、目の前の部員を褒め称えた。 「わざわざそう仰らなくても十分に分かっていますわよ。この部の本当のエースは私なんかではありません、主将である貴女ですわ、麗菜(れいな)。実際の試合になると技術のみならず、気合だとか根性だとか、そういった部分がモノを言います。貴女のその心にある気位の高さには、だれも敵いませんわ」 彩乃と呼ばれた少女は、あくまで謙虚にそう言った。綺麗な長い黒髪が象徴する様に、その身から教養の高さを醸し出す長身の彼女は、その一挙手一投足が優雅な雰囲気に包まれていた。本来格闘集団であるはずの女子空手部の中にあっては、彼女の存在はかなりの異彩を放っていた。 「さて、つぎは組手をするわよ!みんな、二列に並んで!」 キンと良くとおる声で麗菜が指示を出すと、その他の空手部員たちがぞろぞろと整列し、互いに向き合う形で整列した。 「げぇ……あたし、佳奈先輩とだぁ~……」 ある空手部員がゲンナリした表情を目の前に向けた。その先には他の女子たちよりも一回り大きな体躯を持つ、筋骨隆々の少女が仁王立ちしていた。 「ワッハッハッ、手加減してやるからそんなにビビるんじゃない!この部の中堅として、ちゃんと優しく指導してあげるから安心するがいい!」 豪快に笑い飛ばす佳奈は、そのスポーティーなショートヘアも相まって活発な雰囲気を放っていた。しかしその相手をつとめる一年部員は依然として沈んだ表情をしたままだった。 「さあ!大会も近い事だし、みんな!気合い入れて行くわよ!まず一本目、始め!」 麗菜が号令を発すると、それぞれ向き合った部員同士が一斉に動き出した。そして場内は再び喧騒に包まれた。 「きゃー!すごーい!みんなカッコいい!」 「見て!あれ!二年生の風華(ふうか)ちゃんだ!すごい動き……!」 怒涛の迫力を放つ組み手を前に、一般生徒たちはみな熱に浮かされたように騒ぎ立てた。 その中で、ある部員が、素早く動き回る相手に翻弄され、戸惑いの声を浮かべている。 「ちょ……風華ッ!あんたッ……速すぎッ……」 まさに風の様に相手の周囲を駆け巡る小柄な少女。 その光景はもはや芸術的な華やかさをもっており、見る者を思わずうっとりとさせてしまうほどであった。 クルクルとせわしなく顔を振り乱す女子部員は、風華の正面に立つことすらままならない。 サッと死角に逸れた小さな相手を追いかけ、その方向に身構えると、すでにそこには風華の姿は無かった。 「え……消え……」 「……トウッ」 瞬間、その部員の背中に小さな衝撃が走った。 「ケホッ……」 自然と彼女の口から咳が漏れ出る。 「どうだい⁉“先鋒”をつとめる私の正拳突きは⁉戦いの途中で敵に背中を見せるなんて感心しないな!」 得意そうな風華の声が、部員の背後から聞こえてきた。その姿が見えなくとも、彼女がドヤ顔をしている事だけは分かった。 「このやろうッ!」 ムッとした女子部員は、ヤマ勘で後ろ蹴りを放つ。 「――⁉」 しかしそこにももう誰もいなかった。 「おいおい、だから組手の最中によそ見をするのはいけないと言っているだろ?」 また――彼女の背後から、声が聞こえた。 「ていっ」 「……きゃ!」 ふざけたような掛け声とともに、女子部員の太ももに風華が下段蹴りを叩きつけた。 「もう~!こんなんじゃ組み手にならないよ~!」 女子部員はとうとう音を上げてしまった。 「ハハハッ!誰も私のスピードには付いてこれないのだぁ!」 くくりあげた前髪をピョコンと額の前にぶら下げながら、小さな体の少女は胸を張って笑った。 「それまでッ!」 そこで再び麗菜の号令が響き渡る。その声を合図に、道場内の張りつめた空気が一気に弛緩した。そして皆トボトボと元の場所に戻っていく。 「くう~ッ!いつもなんでか“水羅(みら)”には勝てないわ~」 ある女子部員が汗だくになりながら、悔しそうに声を上げる。彼女の目の前にはスラッとした細身の少女が、落ち着いた様子で立っていた。ミラと呼ばれたその少女は、先輩部員の悔しそうな表情に、決して驕るでもなく、かといって謙遜するでもなく、ただ興味なさげに冷めた態度を取り続けていた。空手部の中にあっては彼女だけが長い髪を綺麗な金色に染めており、完璧なほどに整ったその顔立ちからは、彼女のキツイ性格がありありとにじみ出ていた。まるでモデルの様なルックスのミラの手にかかると、元来むさくるしいはずの空手道着すらも“一種”のファッションにさえ見えた。 「なんでか分からないけど全然有効打が打てないよ。かと思えばそっちはバンバン有効打当ててくるし……」 彼女たちのその様子を見た麗菜は、誇らしげに口元を釣り上げて二人に向けて言った。 「ミラは堅実な戦い方が売りなのよ。積極的に攻撃しないから見た目は地味かもしれないけど相手の攻撃を的確に受けて捌いて、そしてスキを見つけて的確に攻撃を当てる。次鋒戦はより確実に勝ち取るという事が重要になってくるから、アンタへの期待は大きいわよ!スーパー一年生!」 「まあ私はテキトーに自分の仕事をするだけなんで……先輩らこそ足引っ張らないでくださいよ」 「くぅ~!やっぱ生意気ね、あんた!でも強いから文句言えないわ~!」 おそらく一年生ながらにして、彼女の金髪が許されているのも、度を越したクールビューティな性格が許されているのも、すべては彼女自身の実力のおかげだろう。目の前にいる先輩部員も苦笑交じりに文句を言うも、水羅のたしかな実力は認めているようだった。 「さて!さっさと次に行くわよ!みんな、横に一つずれなさい!」 麗菜は気を取り直す様にピシッと気を引き締める。部員たちはさきほどの二列の隊形から、各自右へと一つ、身体を移動させた。 「よーしっ……それじゃあ、ガンガン行くわよ!二本目、始――」 彼女が号令を上げようとした時―― 「どうも~ッス!」 ――まるで場違いな挨拶と共に、道場のドアが開け放たれた…… 道場の中がシン――と静まり返り、その場にいる全員の注目が入り口の方へと集まった。 「うわ~、やっぱ良い匂いすんな……」 「俺、こんな芳醇な汗臭さ初めて嗅いだわ」 ぞろぞろと姿を見せたのは、その華やかな空間の中で、果てしなく“異物感”を感じさせる存在だった。例えるなら、“真っ白”の中に落とした、一粒の“黒”。その汚れは看過するにはあまりに目障りで、目立ちすぎていた。 「ちょっとアンタたち!どうして“男子”がここに入ってきてんのよ!」 もともと気のキツそうな麗菜の目がキッと険しくなり、この道場にすでに足を踏み入れた五人の男子学生を睨み付けた。彼らは五人とも、彼女たち女子空手部と同じような真っ白の道着に身を包んでいる。いや――その道着は空手着とは少し違う、分厚く丈夫に仕立てられた柔道着だった。 「いや、他の女子たちが入ってんのになんで俺達は入っちゃダメなんだよ……」 男の内のひとりが苦笑交じりに言った。そんな彼を白い目で見ているのは、なにも麗菜だけではなかった。他の女子部員、ひいては一般の女子生徒達も皆一様に彼ら五人に厳しい視線を浴びせ続けていた。 「そもそもアンタたちがこの学校に“入ってきた”こと自体がダメなのよ!」 「いや、この学校、今年から共学になったじゃん……男でも入学できるようになったんだし、何でダメなの?」 彼は心底訳が分からないといった様子だ。しかも彼の言っている事は至極真っ当で、なに一つ可笑しい点は見当たらない。しかし、女子生徒たちにとっては可笑しかったようだ。道場内からクスクスと漏れ出る様な笑い声がちらほらと湧き出した。 その中でも麗菜は心底呆れているようだ。そして思わずと言った様子で、となりに立つ人物に助けを求めた。 「ねえ、彩乃。どう思う?この人達、あたしの日本語が理解できてないみたいなんだけど……」 「仕方ありませんわね……なら、私からご説明して差し上げますわ。男子生徒の皆様、この学園はつい昨年まで女子高であったことはご存知ですわね?それまでこの学園は男子禁制の、地域でも名高い伝統ある、美しく、華やかな学園でしたわ。しかし何をお考えになられたのか、私のお父様――いえ、学園長は今年からこの学園を共学へと変えておしまいになられました。そこで入学されたのが五名の“汚らわしい”男子生徒、貴方がたでございますが……ここまでは大丈夫でしょうか?」 あくまで笑顔を崩さずに、バラに隠されたトゲの様に、一部毒を含ませてスラスラと説明する彩乃。それをただ聞くのみだった男子生徒、彼ら五人のうち―― 「ガタガタ意味分かんねえけどよ……“汚らわしい”ってとこだけは意味が分かったぜ」 一人がズイ――と前に進み出た。くすんだ金色の短髪に、片耳にピアスを三つ付けたその男は、怒りに顔を引き攣らせている。 「てめーらが俺達を嫌ってることは知ってるよ」 「えッ⁉そうだったのか⁉」 不意に一人の男が声を上げた。 「ちょ……幸太郎(こうたろう)、今は黙っててくれねえか?」 話を遮られた形になったガラの悪そうなその男は、幸太郎と呼ばれたその同級生を軽くあやした。瓢箪に目と鼻と口をくり抜いたような顔の幸太郎は、いまだ訳が分からないといった様子でマヌケな顔をキョロキョロと周囲に晒していた。 「まあ落ち着けよ、雄二(ゆうじ)。これはあくまでも俺たち柔道部と空手部の話し合いだ。主将である俺から頼むのが“筋”というものだろう」 ふいに、後ろで控えていた男が進み出た。その落ち着きのある声は、いきり立つ金髪の男――雄二を難なく制した。 主将を名乗るその男は前に進み出ると、彼女たち空手部に向けて油断ならぬ表情を向けた。いや、しかしその表情にはどこか、彼女たちに対しての“怯え”の色がいくらか混じっていた。 「俺は柔道部主将の戸田 信彦(とだ のぶひこ)だ。今日は君たちに頼みがあって来たんだ」 彼はあくまで、平和的に、そして友好的な態度でそう言った。しかし、対する女子空手部、および他の一般女子生徒はむしろ敵対的な視線を彼らに送り続けている。 「率直に言おう、俺達にこの道場を使わせてほしいんだ」 瞬間――道場内が爆笑に包まれた。 「何を言い出すかと思えば、ホンット馬鹿じゃないの⁉」 「やっぱ男って頭悪いよね~」 女子部員が口々に言う中、信彦は必死で言葉を加える。 「一部だけでもいいんだ!なんなら時間帯で区切ってもいい!」 しかし彼の言葉は女子たちの笑い声に包み隠されていった。そんな信彦の様子をみて、別の男子部員が苦笑しながら彼に呟いた。 「ほ~らな、やっぱこうなっただろう。言わんこっちゃない」 そう言った彼はこの中で唯一、黒帯だった。 しかしその姿は、およそ武道家とは思えないくらいに平凡な男だった。髪型も平凡。顔も平凡。体格も平凡、いや、むしろ格闘家としてはやや心許なく思えるような体型だった。口調もどこか飄々としていて、例えるならば彼は、強く吹き付けてくる風をフニャフニャといなすような―― 「――柳(やなぎ)……俺だって分かってたよ。でもまずはこっちの要求を言わないと」 信彦はチラと横目で柳を一瞥しつつそう返した。 そして爆笑と嘲笑の嵐がひとしきり吹き荒れると、やがてそれらはまばらな小雨になっていった。 一人だけずっと、笑っていない者がいた。ただただ呆れきった表情を男子たちに向ける空手部主将、麗菜である。 「ねえ、あんたたち一つ勘違いしてるわ」 彼女はそう切り出した。 「ここはね、全国大会に出場経験もある、学園が誇る女子空手部なのよ。そしてこの道場はその名門空手部が代々稽古をし続けた伝統ある道場なの。ここまでは分かる?」 「わ、わかんねえ!どういういみだ⁉むずかしくてわかんねえよ!」 瓢箪の様な輪郭の、ハニワっ面の幸太郎が騒ぎ立てた。 「うわ~、見た目どおりの脳みそだな~この人」 120キロはあろうかという巨漢をオドオドさせる幸太郎を見て、風華がドン引きしている。 「え、え!おれの見た目は脳みそじゃねえよ!おまえ!ちっこいの!バカにしてんのか⁉」 「え、奇跡だ……全く日本語理解できてないのにバカにされている事だけは出来た……」 自分に向けて抗議する幸太郎に、風華はなぜか軽く感動した。 「分かっただろう、幸太郎。コイツら、要するに俺たちの事が嫌いって事なんだよ」 雄二が幸太郎に声を掛けるも、その目は女子空手部にしっかりと見据えられていた。彼のこめかみには青筋がくっきりと浮き出ていた。 ――と、その時、憤る彼に対して、さらに挑発の言葉を放つ者がいた。 「バカのくせによく分かってんじゃん」 嘲る様に言ったのは、水羅だった。 「アアッ⁉」 彼女はさっきからずっと、まるで自分は無関係と言わんばかりに、男子たちには見向きもしなかった。その時も、ただ気まぐれに水を差しただけのつもりのようだったらしい。そのため、雄二の怒声に対しても一切反応を示すことは無かった。 「落ち着けって雄二」 一触即発の事態に、再度信彦が彼を制す。 「ケッ……」 悪態をつきながらといえど、気の短い彼が簡単に引っ込むところを見ると、彼は信彦の事をかなり信頼しているようだ。 「話を続ける」 信彦は気を取り直して続けた。 「俺達はこの学園に入学後、男子生徒五人で柔道部を建ち上げた。しかし、俺達には練習場所が無いという事で、部として認めてもらえないんだ。どの部活に頼んでも誰も貸してくれない」 「練習場所を貸してくれないのはアンタたちが何の実績も無いからじゃないの?自分の実力の無さを人に押し付けないで」 にべもなく吐き捨てた麗菜。その言葉に、柳がボソッと独り言のように言った。 「いや、練習場所が無いから、部として認められないんだし、部として認められないから試合も出来なくて、だから実績が残せないんじゃ……」 彼はあくまで反論するつもりは無く、誰にも聞こえないように呟いたつもりだった。しかし、そんな柳の言葉に一人、反応した者がいた。 「ほう!確かに正論だな!」 豪快な、バカにデカい声が、女子たちの中から飛び出した。その声の主は、腕を組み、威風堂々と立ちそびえる佳奈だった。柳は死んだ魚のような目で彼女を見る。ひときわ大きな体格に、浅黒い顔から覗かせる真っ白の歯、しかしその爽快な笑顔には若干の侮蔑の色も含まれていた。 「しかしだな!その言い方だと――『大会にさえ出ることが出来たら、すぐに実績を残せる』という意味に聞こえるぞ!」 ありったけの自信を蓄えた彼女のその表情に、柳はやや困惑気味に、あくまで控えめに言い返した。 「いや……その理論はすこし飛躍しすぎなんじゃ……」 「見たところ、お前などモヤシ男のように見えるが、大丈夫なのかね?そんなヒョロヒョロな体で武道を嗜もうなどと」 彼女は、そこらの帰宅部の男子高校生とほとんど変わらない見た目の柳を、明らかに嘲笑していた。 「まあ……たしかに力はこの中で一番無い方ですけど……」 やられっぱなしの柳。しかし彼は、あくまで控えめながらも、ちくりと針で刺す様に、やり返した。 「てかあなた、大きい図体の割に他人の言葉尻については細かいんですね」 「ハアッ⁉今なんて言った⁉」 彼女はいとも容易く激昂した。そのあまりの迫力に気圧されるように、柳はついたじろいでしまう。 すると、佳奈の野太い怒り声に、スッと水の様な声を浴びせかける者がいた。 「佳奈さん。はしたないですわよ」 「彩乃!このモヤシ野郎、ぶち殺していいか⁉」 怒り狂う佳奈とは対照的に、彩乃はどこまでも落ち着き払っていた。 「私たちは誇り高き武道家ですよ。日々鍛錬したその力を、このような弱い者いじめに使ってはいけませんわ」 彼女のせりふは、一見すると真っ当な事を言っているようにも見えるが、その内容は明らかに男子柔道部を侮辱する内容だった。 「でもこいつら一度立場を分からせないと……」 それでも佳奈が抗議しようとしたその時――彩乃がそれを遮って、“提案”した。 「こういうのはどうです?私たち女子空手部と、貴方がた男子柔道部が試合をして、勝った方が今後、この道場を使用する――と言うのは?」 「――ッ⁉」 一同、女子、男子問わず、その場に居る全てが言葉を失った。彼女のその提案は、女子たちにとっては名案に思え、男子たちはただ困惑を隠せないでいた。 「彩乃、良い事言うじゃない!」 麗菜が賛同した。 「なるほど、これで奴らを心置きなくぶち殺せるわけだ!」 佳奈が賛同した。 「自分は別に何でもいいっすよ。相手になるかどうかは怪しいっすけど」 水羅も興味なさげだが、一応の同意は示した。 「良いですね!空手対柔道って面白そうです!」 風華も元気いっぱいに賛同した。 一方、そんな女子空手部に対し、混乱していたのは男子柔道部の方だった。 「どういういみだ⁉おれ、まったくいみわからん⁉だれかせつめいしてくれ!」 常に混乱している幸太郎はさておき―― 「え……なんだこいつら、女風情が男に勝てるとでも思ってんのか?」 雄二はもはや怒る事を通り越して、むしろ彼女たちの不可解な提案を訝しんでいた。 「いや~でも、こっちはいつもグラウンドの隅っこでしか練習できなかったんだよ?無理でしょ?相手は全国出たこともあるらしいし……」 雄二とは反対に柳は弱腰になっていた。そしてそれには主将の信彦も同意見だったらしい。 「くそッ……これじゃあ奴らの思うつぼだ。柳を除いては、俺たちは白帯の初心者ばかりだ。相手が女子とはいえ、実力者ぞろいの空手部に勝てるかどうか……」 信彦は歯噛みした。その表情は心底悔しげで、やるせない気持ちがありありと見て取れた。彼のその表情の奥には、何か仄暗い、苦い記憶が存在しているようにも見える。 そして彼は誰にも聞こえぬような小声で、押し殺したはずの言葉がふと口から洩れていた―― 「それに……女子に負けるのは……もういやだ……」 彼はグッと拳を握りしめる…… しかし、そんな時、ある男子が信彦にそっと告げた。 「いいんじゃない?やれば」 「真也(しんや)……」 その人物とは、男子五名のうちの最後の一人だった。 丸坊主で、長い手足、そのためにほっそりとした体型に見えるが、よく見ると、ちゃっかり“しなやかそうな柔らかい”筋肉が付いていた。そして彼は、なぜかいつも、ニコニコと微笑んでいる。 「だってさ、入学以来、俺たちが不当な扱いを受けてきた事に対して、一番腹立ってたのはお前だろ?お前意外とプライド高いもんな?だから『学園の皆を見返してやるんだ』っつって俺達誘って武道を始めようとした」 「……ああ」 信彦は小さくうなずいた。真也は尚も続ける。 「お前が柔道部を作るって言った時は驚いたよ。お前、柔道なんてやったこと無いくせに。でもみんなお前について行こうって決めた。こんな不遇な扱いを受けていることにもめげずに、何かを為そうとしてるお前にな」 そんな真也に、信彦はうっすらと笑いかける。 「まあ、でも何かの縁か、お前と柳は柔道の経験者だったもんな。それは本当に良かったよ」 それを聞いた真也は、相変わらずのニコニコ顔でさらに笑って見せた。 「まあ俺のは、ほとんど見よう見まねだからな」 そして真也の口調はいくらか真剣さを帯びる。 「だからさ、やってやれよ。お前にはお前なりの理由があるんだから……」 「じゃあ、お前の理由は?」 信彦はいたずら心に尋ねた。 「俺の理由?……そうだな。……まあ、砂の上で寝技練習するのにうんざりしてたから……かな?」 「じゃあ、本当の理由は?」 信彦はいたずら心に、もう一度そう尋ねた。 「本当の理由?俺、さっきからあの子、狙ってんだ」 今度は間髪入れずに答えた真也は、下卑た笑みを浮かべてある人物を指さした。 「いったい何でしょうか?あそこのお下品な殿方が、私を指さしていらっしゃるようですが……」 そして真也は、女子の中でも一際上品なオーラを放ち続ける彩乃をニヤニヤ見つめながら、興奮して言い放った。 「俺!試合すんならあの子がいい!あの子と寝技したい!イチャイチャしたい!」 思わず大声で叫んでいたその言葉は、道場中の女子たちの耳に入っていた―― 刹那――道場は悲鳴に包まれた。 「キモい!マジで何アイツ!」 「変態じゃん!彩乃先輩!アイツとは絶対に試合しちゃダメ!」 その場に居合わせたほとんどの女子が、気が狂ったかのように喚き立てた。そんな風景に、信彦はやれやれと言った様子で呆れかえる。まるで最初から真也の考えている事が分かっていたかのようだ。 「まったく、最初からこれが狙いだったんだろ、真也?ホントお前はいつもゲスな事ばっか考えてるからそんな顔してんだよ」 道場は尚も嫌悪と恐怖の怒号と悲鳴に包まれている。しかし、それらを発しているのは皆、一般の女子生徒達であった。いや、たしかに女子空手部の部員も恐怖はしていた。しかし、彼女たちが恐怖しているのは真也に対してでは無かった。彼女たちの視線は皆一様に、静かに冷たい氷の様な微笑に口元を歪める、彩乃に対して集まっていた。 「まったく、最初からこれが狙いだったんでしょ、彩乃?」 麗菜が半ば呆れ気味にそう言った。 「ホントお前はいつもゲスな事ばっか考えてんな……」 むしろ佳奈に至っては若干引いている。 「うわわわ……あのニヤニヤしてる人可哀想だよ……彩乃先輩の本性知らないもんね……」 風華はただオロオロとするばかりであった。その横ではずっと我関せずと言った様子だったミラが、この時ばかりはうんざりとした表情を隠しきれないでいた。 「……出たよ、この人の“発作”。試合提案したのも、ただ自分がアイツらをいたぶりたかっただけでしょ?ホンット、ドSなんスから……」 仲間たちのそんな評価を受けながら、それでも彩乃は歪んだ笑みを隠しきれないでいた。そして最後に一言、男子たちに対してこう付け加えた。 「ちなみに……まことに恐縮ではございますが、スムーズに試合を進める為、大怪我をしてもすぐに手当はできませんので、あらかじめご了承を……途中で逃げられても困りますしね」 最後の一言に関しては、彼らに聞こえないようにボソッと呟いたのみだった。 何はともあれ、女子空手部VS男子柔道部の団体戦が幕を開けた。