【小説】魔神『ドッペルゲンガー』の暗躍 ~全てを奪われ、利用される女たち~
Added 2021-12-05 08:27:10 +0000 UTC「ふぅ……」
昼下がりの室内に響いた溜息に、私はそれを発した主に視線を向ける。
そこには執務机に構えた疲れた様子の少女の姿があった。
彼女こそが、私が守り抜かなければならない主、この国の第一王女であるフローラ姫である。
傍に立ち、王女護衛の任務を遂行中の女騎士である私、アニスは、彼女を見つめる。
『王国の至宝』と称賛される叡智と、それに相応しい美貌と気品を兼ね備えた姿に、同性ながら見惚れてしまう。
表向きは病に伏せがちの国王の補佐として国政に関わっているのだが、実質的に彼女がこの国の舵を切っていると言っていい。
自分より2つ年下なフローラは、自身の責任を果たそうと、懸命に職務に励んでいる。
少し傾きかけていたこの国の財政がここ数年で大きく改善されたのも、彼女の功績だ。
しかし、この年齢の少女にしてみれば、過度の重責であることは明らかだ。
「……姫様……」
気持ちをうまく言葉に出来ずにただ呼びかけただけの私に対し、姫の方は少し意地悪めいた笑みを浮かべる。
「ねえ、アニス。あの姫君って、上手く息抜きできないから、あんな暴挙に及んだとは思わない?」
最近、隣国の姫君が不平分子を糾合して自身の王国に反旗を翻すという事件が起きた。
しかも反乱の象徴であった姫君本人は、内乱が始まるとすぐに行方をくらましたのだという。
優秀で人望のある姫君であったはずなのに、何と言う暴挙に及んだのかと思ったものだ。
反乱自体はすでに鎮圧されたものの、今でもその国では酷い混乱が続いている。
我が国も隣国として秩序の回復に協力しており、その負担が多少なりとも姫様の仕事の増加に繋がっていることは否めない。
「……わかりました、姫様。十分な息抜きが出来ますように、お忍びの手配と……あと、あの店にも先触れを出しておきます」
「ふふふ、それでこそアニスよ!あなたの護衛があるのだもの、何の問題も無いわ」
姫様の意図を汲み取り私が提案すると、姫の美しい顔は、楽しい午後を期待して、無邪気な笑顔になった。
「ところでアニス、あなた、気になる殿方は居ないの?」
「突然なんでしょうか?そんな御方、おりませんが?」
興味津々で尋ねてきた姫様に対し、私は素っ気なく返事を返す。
私自身、伯爵家の令嬢であり、姫様の恥にならぬように身だしなみに気を使っているせいか、男性に声を掛けられることは多い。
興味が無い訳ではないが、どうせ美しい姫様のおこぼれだろうし、少なくとも姫様の婚姻が決まるまで誰とも付き合う気は無かった。
即答した私に、姫様は呆れた顔になると溜息をつきながら口を開いた。
「はあ、これだから私の『守護天使』は……。あなたの魅力に気付いていないのは、多分、あなただけよ?」
「なんですか、その『守護天使』というのは?」
「『王国の至宝』を守る美しき『守護天使』って、みんな噂しているわよ?」
「私は姫様の『護衛騎士』です。それ以上でもそれ以下でもありません」
「……せっかく好意を寄せられているのだから、肩肘張らずに素直に受けて楽しめば良いのに……」
再び呆れた顔になった姫様の呟きを、私は聞こえなかったフリをして心の中で返答する。
(……私は姫様さえ幸せになって頂ければそれで良いのです。それを見届けた後に自分の楽しみを探したいと思います……)
――――
「油断した!」
泥水の様に濁った眠りから目覚めた私は、思わず叫んだ。
恐らく紅茶の中に盛られていた睡眠薬のせいで鈍くなっている思考でも、自分が罠に嵌められたことだけはすぐに理解できた。
まだ重い頭を動かして自分の状態を確認する。
衣類は下着までも剥ぎ取られて全裸、その上、手足は縄で縛られている。
当然、姫様を守る為に常に腰に下げていた剣もない。
「はっ!姫様!」
自分が命を懸けてでも守るべき主人のことに、うかつにもやっと想いが至った私は、周りを見渡す。
今居る部屋は窓が無く、ドアが1つだけだった。
そして、私が今居る場所から逆の隅に、同じように全裸で手足を縛られて床に転がっている女性の姿を見つけた。
それは間違いなくフローラ姫本人であり、よく見ると微かに動いている。
最悪の事態だけには至っていないことを確認して、ほっとする。
「姫様!姫様!ご無事ですか!?」
声を掛けると反応があり、やはり辛そうに頭を上げると、私を見つめ返してきた。
「……アニス?ええ、私は大丈夫です。でも、これは一体どういうことなのでしょう?」
その疑問は私にもあった。
ここは気立ての良い美人母娘が営む事で人気の喫茶店。
数年前に初めて来た時以来、我々の身分に過剰にへりくだることのない気持ちの良い接客で、姫様の息抜きのためのお忍びでは必ず立ち寄っていた店である。
衛兵たちの詰所も近く、治安のよい地域にあったため、何度も利用してきたのだが、どうやら間違いだったらしい。
いつものように店を貸し切りにしてもらい、個室で姫と二人で美味しいお茶と焼き菓子を楽しんでいたのだが、急に眠気に襲われて、気が付いてみると手足を縄で縛られた上、身ぐるみはがされて裸で床に転がっていた。
最近では気心の知れた友人のように親しくなれていたのだ。
あの母娘に限って、このような暴挙をする事が信じられない。
(私の目が曇っていたのか?)
以前からこの日のために潜伏していたのだろうか?
だとしたら、それを看破出来なかった自分が恨めしい。
(……いや、今はそんなことより、この場を脱することを考えなければ……)
そう考え、手足を縛っている縄の様子をみる。
(……縛り方は素人だな……それでも手の方を解くのは無理そうだ……だが脚の方なら時間を掛ければいけそうだ!)
早速、自分の脚を縛る縄を解そうと作業に取り掛かると、ドアが開かれた。
私は慌てて足元が見えないように体勢を変えて、部屋に入って来た2人の女を睨みつける。
そして作業を続けながら、接客時と変わりない明るい笑みを浮かべる母娘に、私は鋭く問いかけた。
「お前たち!なぜこんな馬鹿な真似を仕出かしたのだ!いや、それよりも……今からでも遅くない、我々を解放するんだ!そうすれば今回の暴挙は不問にしてやってもよい!」
「あらあら、アニス様。落ち着いてくださいまし。そんなに大声を出さなくても聞こえておりますから」
母親が私の剣幕を柔らかくたしなめる。
それはいつも通りの柔らかい表情と口調で、嫌味なところは一切ない。
「お母様、騎士様は何故私たちがこんなことをしているのか、理解できていないようですわ。まずはそこから説明してみたらどうでしょうか?」
娘が同じくやんわりとした表情で母親に進言した。
そのやり取りの感じも、普段の母娘と全く変わりなかった。
「そうですわね、どこから話せばよいのでしょうか……。アニス様は『魔神』という存在をご存知でしょうか?」
「……遠い昔、その存在が確認された異形の生物……人に近い姿をしているものの、人よりも高い能力と異能を持つため、神に近い魔、『魔神』と呼ばれたモノたち……」
記憶をたぐりながら呟くように答えたのは、私よりずっと博識な姫様だった。
同時にこちらに一瞬だけ意味ありげな目配せをしてくる。
(注意を逸らしている間に、足の縄を解けってことですね!分かりました!)
視線の意味を理解した私は同じく視線だけで頷き、母娘に顔を向けたまま、足元の陰で作業に集中する。
こちらのやり取りに気付いた様子の無い母親は、姫様の答えに笑顔で頷く。
「さすがは『王国の至宝』フローラ姫、博識ですね。では『ドッペルゲンガー』という魔神のことは?」
「……」
更なる質問が返って来たが、こちらは姫様の知識の範囲外のようだった。
無言の私たちの様子を見て、今度は娘の方が口を開く。
「『ドッペルゲンガー』は、人の姿を完全に写し取り、言動までもそっくり成りすますことが出来るという、とても恐ろしい存在です」
しかし、姫様は納得できないように首を横に振りながら、そこに言葉を足す。
「でも元々の個体数が少なかった魔神たちは、当時の勇者たちによって根絶やしにされたはずです!」
「それは少しだけ事実と異なります……」
母親は姫様の言葉を否定すると、なぜか自分の服に手を掛けて、脱ぎ始める。
それを見た娘の方も、当たり前のように服を脱ぎ始めていた。
「……魔神『ドッペルゲンガー』は滅ぼされる直前、人との間に子をなしていたのです」
説明を続けながらも、2人の手は休まず動き続け、身に着けている衣類を次々と床に投げ捨てていく。
やがて母娘共に身に着けていたモノを全て脱ぎ捨て全裸になる。
2人とも実に女らしい体つきをしている。
鍛錬のおかげで引き締まった筋肉は身についたものの、胸の膨らみが足りない自分を思い知らされる。
そんなこちらの感想など気にかけず、母親は出来の悪い生徒に分かりやすく説明する教師の様に説明を続ける。
「彼らの子供は……人間でした。しかし、世代を重ねる中で稀に起こるのです。『隔世遺伝』というのですが、いくつも離れた世代に先祖の特徴を引き継ぐ子が生まれてきて、成人すると同時にその能力に目覚めるのです……」
そして意を決したように彼女は告白する。
「……それが私たち……いや、俺たちだ!!!」
言葉の途中で声色と口調が全く別人の……まるで男のようなモノに変わる。
同時に、スベスベに見えた白い肌が、ザラザラした灰色に変わっていく。
頭髪を含めた全ての体毛は、その肌に溶け込むかのように消えていく。
たくさんの柔らかい曲線で描かれていたはずの女らしい身体は、出来の悪い人形のように直線的な輪郭になり、胸や腰も平坦になる。
美貌を誇っていた顔も凹凸が無くなり、ぎらついた目と大きく開かれた口だけが残った。
その姿は正に異形と言ってよかった。
『っ!!!』
姫様と私は同時に息を飲む。
先程まで知り合いの女性と思っていた2人が、瞬く間に異形のモノに変わったのだから仕方が無い事だろう。
「……けっけっけ!薬も完全に抜けているようだし、そろそろいいだろう。お前はどっちがいい?」
「前の国の姫と女騎士も中々良かったが、今回の『王国の至宝』と噂の『守護天使』は、それを上回る上玉だしな!俺はどっちでもいいぜ?」
「それじゃあ、今回は俺が姫の方にするぜ、げへへ」
異形のモノたちは楽しそうに会話を終えると、先程まで娘の姿をしていた方が、下品な笑い声を挙げながら姫様に近づいていく。
「貴様たちは一体なんなのだ!?姫様をどうするつもりだ!」
「さっき説明してやっただろうが。まあ、そこで見てればいいさ」
「くっ!姫様に近づくな!!!」
私の叫び声を無視して、異形のモノは姫様の傍に立つと、彼女の腕を掴み、そのまま持ち上げる。
いくら軽い女性といっても、それを片手で持ち上げる膂力は正に人間離れしていた。
「けっけっけ、その美しい身体、俺たちの役に立って貰うぜ!」
「いやぁ!離して!うぐぅ……」
開いている方の手で暴れる姫様のアゴを掴むと強引に引き寄せ、異形のモノが口を重ねる。
「う!ぅぅぅぅぅ」
口を塞がれて姫様が苦しそうにもがきはじめる。
……ゴクゴク……
異形のモノの喉が波打つように激しく動き、その音が室内に響き渡る。
その有様は、まるで姫様から『何か』を吸い上げているようだ。
やがて変化が目に見えて分かるようになってきた。
ザラザラした灰色だった異形のモノの肌が、少しずつ艶と赤味を帯びてきて、まるで女性の肌のような質感を持ち始めたのだ。
変化はそれだけでは無かった。
体型も綺麗な曲線を持つ女性のものになりつつある。
頭にも姫様と同じ色をした美しい金髪が生えてきていた。
「ひ、姫様!」
対照的に苦しそうにもがいていた姫様の方は、力が抜けたようにぐったりとしている。
それだけではない。
美しく光り輝いていた金髪は、真っ白で枯れたようにしおれてしまった。
体も肌の色艶が急激に失われて、まるで老婆の様に痩せこけ、皺だらけで萎んでしまっている。
顔ももはや以前の美貌が想像できないほどに肉が削げている。
目には精気が無く、もはやまともに意識を保っている様子は感じられない。
「ふふふ……」
突然、聞き覚えのある笑い声が響き、私はハッとする。
姫様と口を重ねていたはずの異形のモノが振り向き、その顔を見て私は愕然とする。
「う、嘘……」
それは見間違う事の無い、私が命を懸けて守り抜かなければならないお方の顔だった。
「どうしたの、アニス?そんなに驚いて。まさか私の顔を忘れたの?」
その口から姫様の声が漏れる。
そしてその姿は正に姫様そのものだった。
混乱する思考の中で、先程母親の姿のモノに説明された内容を思い出す。
そしてやっと理解が追い付く。
目の前に居るこいつらこそ、その『魔神』の子孫なのだと。
「違う!お前は姫様ではない!姫様を元に戻せ!さもないと……」
「さもないと、私をどうするというの?あなたは私の『守護天使』でしょ?ふふふ……」
「こっちも凛々しい美形の顔にスラリとした綺麗な体してんだよなぁ~。こいつは楽しみだぜ!」
まだ異形の姿のままの方が私に近づいてきた。
その顔が歪んだように見えるのは、あざ笑っているからなのだろうか。
(姫様!お守りできなくて申し訳ございません!でもせめてこいつらだけは生かしておきません!!!)
私はやり切れない思いを力に変えて、解け掛けていた足元の縄を強引に解く。
そして勢いよく立ち上がり、目の前のバケモノに体当たりをしてよろめかすと、そのままドアに向かい、飛び出す。
(出口は……あっちか!)
全力で店の出口に向かって走り始める。
後ろから追ってくる気配は感じるが、今のままなら追いつかれずに行けるだろう。
(このまま外に出れば!)
勿論、いまだ裸のままだが、全く構わなかった。
むしろ、街の真ん中に裸の私が現れれば、嫌でも人々が注目してくれるだろう。
もはや、恥ずかしいとはこれっぽちも考えなかった。
姫様を害した奴らの存在が晒され、滅ぼされるのなら、それでいい。
ざまぁみろだ!
「アニス!お願い!私を置いて行かないで!」
突然、後ろから投げかけられた悲痛な叫び声に、私は足を止めて振り返る。
異形のモノが迫る後ろで、姫様の姿をしたモノがニヤリと笑う。
「しまった!!!」
凄まじい力で押し倒された私に、異形のモノの顔が迫り、その口が重なる。
「うっ!ぅぅぅぅぅ!」
必死にもがくがそいつは離れず、私の中から『何か』が次々と奪われていく。
やがて暴れる気力を失い、自分が何者であったのかという記憶さえ奪われた私は、目の前で微笑む美しい女性を見つめる。
(あ……天使……)
私の意識はそこで途絶えたのだった……。
――――
「それでは城に戻りましょうか、アニス?」
「はい、フローラ姫様」
しばらくして喫茶店の入り口から2人の女性が姿を見せる。
フードを被って顔を晒さないようにしているが、両者ともに美しい顔立ちをしている。
年下の少女のほうが、平和そうな街の様子を眺めながら呟く。
「どこをどう弄ればこの国が壊れていくかが『今の私』には手に取るように分かるわ。この光景も私たちの手で荒れ果てた姿に変わるのね。ふふふ、楽しみだわ」
もう一人の付き添うように歩く女性も感慨深いように呟く。
「私は……この容姿で多くの男をたぶらかして手駒にしてみせましょう。『今の私』なら自分の魅力を十分理解出来ていますし、こちらも楽しみです、ふふふ……」
後日、人気の喫茶店で4人の女性の変死体が発見されるが、それが詳しく調査されることは無かった。
なぜなら発見されて間もなく、王国自体が建国以来の大混乱に陥ったのだから……。