SakeTami
黒ZEM
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最高のコンビに、最高の舞台を【1話完結:FANBOX限定】

「三十回目の挫折」 八月の蒸し暑い夕方、絵莉は汗だくになりながらスタジオの鏡と向き合っていた。 今日で三十回目のオーディション結果待ちだった。スマートフォンの画面に「非通知設定」の文字が表示される。心臓が早鐘を打った。 「はい、橋本です」 「お疲れ様でした。先日はオーディションにご参加いただき、ありがとうございました」 その瞬間、美咲の心は沈んだ。この丁寧すぎる前置きは、いつものパターンだった。 「今回は、残念ながら他の方にお願いすることになりました。また機会がございましたら...」 「ありがとうございました」 絵莉は電話を切ると、床に座り込んだ。三十連敗。自分でも信じられない数字だった。 スタジオのドアが開き、愛美が息を切らしながら入ってきた。 「絵莉!どうだった?」 愛美の期待に満ちた表情を見て、絵莉は小さく首を振った。 「そっか...」 愛美は何も言わずに隣に座り、ペットボトルの水を差し出した。 「三十回も落ちるって、私、才能ないのかな」 「そんなことないよ」愛美は即座に答えた。「絵莉のダンス、私が一番よく知ってる。絶対に才能はあるよ」 「でも現実は...」 「現実は厳しいよね。でも、諦めるの?」 絵莉は愛美の真剣な眼差しを見つめた。この十年間、いつも隣にいてくれた親友。二人で同じ夢を追いかけてきた。 「諦めない。絶対に諦めない」 「だよね!」愛美の表情が明るくなった。「私たちには、まだまだやれることがあるよ」 「愛美はいつも前向きね。私みたいにくよくよしないで」 「だって、くよくよしてても何も変わらないじゃない。それより、次のオーディション情報チェックしよ?」 二人はスマートフォンを取り出し、ダンサー募集の情報を検索し始めた。 「あ、来月のミュージカル、まだ募集してる」 「本当?私たちのレベルでも大丈夫かな」 「やってみなきゃ分からないよ。応募しよう」 「そうね。でも今日はもう疲れた。明日、応募書類作ろう」 「じゃあ今日は軽く練習だけして帰ろうか」 二人は立ち上がり、いつものように基礎練習を始めた。鏡に映る自分たちの動きを見ながら、絵莉は思った。愛美がいるから、まだ頑張れる。一人だったら、とっくに諦めていたかもしれない。 ——————————————————————— 「予想外の電話」 それから三日後の午後、絵莉は子ども向けダンス教室のアルバイトを終えて帰宅途中だった。愛美とはカフェで待ち合わせをしていた。 「お疲れ様!」 愛美は既にアイスコーヒーを注文して待っていた。 「今日の子どもたち、どうだった?」 「みんな元気いっぱい。でも、基本ステップがなかなか覚えられない子がいて、個別に教えるのに時間がかかったわ」 「絵莉って、子どもに教えるの上手よね。私だったらイライラしちゃいそう」 「子どもたちの一生懸命な姿を見てると、自分も初心に帰れるの。純粋に踊ることが楽しいって気持ちを思い出させてくれる」 「素敵ね。そういうところ、絵莉の長所だと思う」 その時、絵莉のスマートフォンが鳴った。知らない番号だった。 「誰だろう?」 「出てみたら?」 絵莉は電話に出た。 「はい、橋本です」 「お疲れ様です。エンターテインメント・プロダクションの田村と申します。先月、弊社のオーディションを受けていただいた件でお電話いたしました」 絵莉の心臓が跳ね上がった。愛美も緊張した表情で見つめている。 「は、はい」 「実は、急遽お仕事をお願いしたい案件が出まして、お二人にお声がけさせていただきたく」 「お二人...?」 「はい、田中愛美さんもご一緒でしたよね。今、お近くにいらっしゃいますか?」 絵莉は愛美を見た。愛美は身を乗り出してうなずいた。 「はい、今一緒にいます」 「それでは、スピーカーにしていただいてもよろしいでしょうか」 絵莉は慌ててスピーカーモードにした。 「田中さんも聞こえますか?」 「はい、聞こえます!」愛美が答えた。 「ありがとうございます。早速ですが、今月末の日曜日にお仕事をお願いしたいのですが」 二人は顔を見合わせた。ついに来た。 「どのような内容でしょうか?」美咲が聞いた。 「東京ドームシティで行われる大型イベントで、バックダンサーをお願いしたいんです」 「バックダンサー!」愛美が小声で叫んだ。 「どちらのアーティストの...?」 「星野瑠璃さんです」 二人の目が見開いた。星野瑠璃は、二人が憧れる実力派シンガーだった。 「星野瑠璃さんの...本当ですか?」 「はい。今、子どもたちに大人気のアニメ『魔法少女プリズムハート』の楽曲を三曲歌われる予定で、その際のバックダンサーをお願いしたいんです」 愛美は興奮を抑えきれずに美咲の腕を掴んだ。 「ただし」田村の声のトーンが少し変わった。「今回は少し特殊な内容になります」 「特殊と言いますと?」 「アニメのキャラクター、プリズムハートとプリズムエンジェルの着ぐるみを着て踊っていただくことになります」 二人の表情が固まった。 「着ぐるみ...ですか?」 「はい。子ども向けのイベントということで、キャラクターとして登場していただきます。 ダンスの内容はそれほど激しいものではありませんが、三曲通しで約三十分間の演技になります」 美咲と愛美は無言で見つめ合った。 「お、お返事はいつまでに...?」 「申し訳ないのですが、今週中までにお願いします。急なお話で恐縮ですが、他の方のキャンセルが出てしまいまして」 「分かりました。検討させていただきます」 「ありがとうございます。ちなみに、ギャラはお一人様十五万円を予定しております」 「十五万円...」愛美が小声で呟いた。 「それでは、今週中にご連絡をお待ちしております。よろしくお願いいたします」 電話が切れると、二人の間に重い沈黙が流れた。 ——————————————————————— 「割れる想い」 「どう思う?」 愛美が恐る恐る切り出した。 美咲は深いため息をついた。 「正直、複雑」 「複雑って?」 「だって、星野瑠璃さんと同じステージに立てるのは夢みたいな話よ。でも...」 「でも?」 「着ぐるみでしょ?私たちの顔も見えないし、ダンスの技術も正当に評価されない。これって、私たちが目指していたものとは違うんじゃない?」 愛美は少し考えてから答えた。 「確かに、私たちが思い描いていた形とは違うかも。でも、東京ドームシティよ?こんな大きな舞台に立てるチャンス、そうそうないよ」 「チャンスって言うけど、結局は裏方みたいなものでしょ?誰も私たちがそこにいることなんて知らない」 美咲の言葉に、愛美の表情が曇った。 「それはそうかもしれないけど...」 「愛美はやりたいの?本当に?」 「わからない」愛美は正直に答えた。「でも、断る理由も見つからない」 「理由なら山ほどあるわよ。プロダンサーを目指している私たちが、着ぐるみを着て踊ることに何の意味があるの?」 「意味...」 「そうよ。私たちは観客に認められるダンサーになりたいの。でも着ぐるみを着たら、私たちがそこにいることすら分からない。これじゃあ、アルバイトと変わらないじゃない」 愛美は反論したかったが、言葉が見つからなかった。美咲の言っていることは、理屈では正しかった。 「でも、星野瑠璃さんよ?」 「星野瑠璃さんのバックダンサーになれるわけじゃないの。キャラクターの着ぐるみを着るだけ。全然違うわよ」 二人は長い間黙り込んだ。 「今日は帰ろう」美咲が先に立ち上がった。「明日の朝までに決めればいいんでしょ?少し考えさせて」 「うん...そうね」 愛美も立ち上がったが、心の中でモヤモヤした気持ちが渦巻いていた。 ——————————————————————— 「それぞれの夜」 その夜、美咲は自分のアパートで一人悩んでいた。テーブルの上には、今まで受けたオーディションの資料が山積みになっていた。 「三十回も落ちて、今度は着ぐるみ...」 美咲は頭を抱えた。プロダンサーへの道は、こんなにも険しいものなのか。 一方、愛美も自分の部屋で同じように悩んでいた。しかし、愛美の心の中には別の声がささやいていた。 『でも、子どもたちが喜んでくれるなら、それはそれで意味があることなんじゃないかな?』 愛美はスマートフォンで『魔法少女プリズムハート』について調べてみた。想像以上に人気の作品で、子どもたちからの支持が厚いことが分かった。 「この子たちにとっては、本物の魔法少女なんだ...」 画面に映る子どもたちの笑顔を見ていると、愛美の心に温かいものが広がった。 翌朝、二人は約束通りカフェで会った。お互い、一晩中悩んでいたことが顔を見れば分かった。 「おはよう」 「おはよう。眠れた?」 「あまり...愛美は?」 「私も」 二人は注文したコーヒーを前に、再び沈黙した。 「で、どうする?」美咲が切り出した。 「美咲はどう思ってるの?」 「正直に言うと、やりたくない」美咲は率直に答えた。「私たちがやってきたことを否定されているような気がするの」 「否定って...」 「だって、考えてみてよ。プロダンサーのオーディションには全部落ちて、着ぐるみの仕事だけは来る。これって、私たちのダンスじゃなくて、ただ体を動かせる人が欲しいってことでしょ?」 愛美は胸が痛んだ。美咲の気持ちも分からなくはなかった。 「でも、十五万円は大きいよ」 「お金の問題じゃないの。プライドの問題よ」 「プライド...」 「そうよ。私たちは何のために今まで努力してきたの?人に認められるダンサーになるためでしょ?着ぐるみを着て顔も隠して踊ることが、私たちの目標だった?」 愛美は答えられなかった。確かに、二人が目指していたのは、観客から拍手をもらえる表舞台のダンサーだった。 「愛美はどう思ってるの?正直に聞かせて」 愛美は迷った。美咲を傷つけたくなかったが、自分の気持ちも大切にしたかった。 「私は...やってみたい」 美咲の表情が驚きに変わった。 「え?」 「理由はうまく言えないけど、やってみたいの。星野瑠璃さんと同じステージに立てるって、すごいことだと思う」 「でも着ぐるみよ?」 「着ぐるみでも、私たちがそこにいることに変わりはないじゃない。私たちのダンスで子どもたちを喜ばせることができるなら、それって素晴らしいことだと思う」 美咲は首を振った。 「愛美はお人好しすぎるのよ。そんなんじゃ、この業界では生き残れない」 「生き残るって...私たちはまだ戦ってもいないじゃない」 「三十回も落ちて、戦ってないって言うの?」 愛美の目に涙が浮かんだ。 「美咲は、私のことを信じてくれないの?私の判断を?」 「そういう問題じゃない」 「じゃあ、何が問題なの?」 美咲は言葉に詰まった。自分でも、なぜこんなに頑なになっているのか分からなかった。 「とにかく、私は断るつもり。愛美がやりたいなら、一人でやって」 「一人って...」愛美の声が震えた。「私たちはずっと一緒だったじゃない」 「でも今回は意見が合わない。仕方ないわよ」 美咲は席を立った。 「美咲、待って」 しかし美咲は振り返らずにカフェを出て行った。愛美は一人残され、涙を流しながらコーヒーカップを握りしめていた。 ——————————————————————— 「離れ離れの日々」 それから一週間、二人は会わなかった。電話もメールも来なかった。 美咲は一人でスタジオ練習を続けていたが、集中できなかった。鏡に映る自分の姿が、なぜか寂しく見えた。 「やっぱり愛美がいないと駄目ね」 ため息をつきながら、美咲は練習を終えた。 一方の愛美も、同じように一人で練習していた。しかし愛美は、あることを決意していた。 『一人でも、あの仕事を受けよう』 愛美は担当者に電話をかけた。 「田村さん、愛美です。先日の件ですが...」 「ああ、田中さん。お返事はいかがでしょうか?」 「私は参加させていただきたいです。ただ、橋本は...」 「そうですか。お一人でも大丈夫ですが、キャラクターは二体なので、できれば橋本さんにも...」 「申し訳ありません。もう少し説得してみます」 「分かりました。今日の夕方まで待ちますので、よろしくお願いします」 電話を切った愛美は、決意を新たにした。美咲を説得するために、自分ができる準備を全てやろう。 愛美はインターネットで『魔法少女プリズムハート』について詳しく調べた。キャラクターの設定、主題歌の歌詞、アニメのストーリー。そして何より、ファンの子どもたちの声。 「こんなにたくさんの子どもたちが楽しみにしてるんだ...」 画面には、イベントを心待ちにする子どもたちの投稿がたくさん表示されていた。 『プリズムちゃんに会えるの楽しみ!』 『お歌とダンス、絶対見に行く!』 『プリズムエンジェルちゃんと握手したい!』 愛美の胸が熱くなった。この子たちにとって、プリズムハートとプリズムエンジェルは本物のヒーローなんだ。 「美咲にも分かってもらえるかな...」 ——————————————————————— 「夜の練習場での再会」 翌日の夜、美咲はいつものように一人で練習場に向かった。最近は愛美の姿を見ないことが寂しく、でも自分から連絡を取る勇気も出なかった。 練習場に近づくと、聞き慣れた音楽が聞こえてきた。『魔法少女プリズムハート』の主題歌だった。 「まさか...」 角を曲がると、そこには愛美がいた。しかし、その姿は普段と全く違っていた。 長袖のタイトなインナーに、足首まである厚手のレギンス。顔には小さなマスクを着けて、一心不乱にダンスを踊っていた。 その動きは明らかに、何かを想定した特別な練習だった。 愛美は視界制限を意識したように、振り返る動作をゆっくりと行い、重いものを頭に載せているかのように首の動きを慎重にしていた。 手の振り方も、重い衣装を着ていることを計算に入れたような動きだった。 美咲は息を呑んだ。愛美は着ぐるみでの演技を想定して、一人で練習していたのだ。 音楽が終わると、愛美は激しく肩で息をしていた。マスク越しでも分かるほど、呼吸が荒くなっていた。 「愛美」 愛美は振り返った。マスクを外しながら、汗だくの顔で微笑んだ。 「美咲...待ってたよ」 「この格好...まさか」 「うん。着ぐるみを着てダンスを踊ることを想定して練習してたの」愛美は素直に答えた。 「視界も悪いし、呼吸も苦しいし、想像以上に大変」 美咲は愛美の汗だくの顔を見つめた。どれだけ長い間、一人で練習していたのだろう。 「でも、あの仕事は断るって話じゃなかった?」 「美咲は本気で断るつもり?」愛美の目が真剣だった。 美咲は迷った。愛美のこの姿を見て、心が揺れていた。 「当たり前でしょ。顔も出ないし、私たちが出演したことも公式記録に残らない。今まで培ってきた技術も発揮できない。 こんな仕事、プロを目指す私たちには意味がないわ」 愛美の表情が変わった。今まで見たことのない、強い意志を秘めた表情だった。 「違う」 「え?」 「美咲、それは違うよ」 愛美の声に、これまでにない力強さがあった。 「確かに顔は出ないかもしれない。名前もクレジットされないかもしれない。でも、そんなことが大切なの?」 「大切に決まってるじゃない。私たちは認められるために頑張ってきたんでしょ?」 「認められるって、誰に?」 美咲は言葉に詰まった。 「子どもたちにとっては、プリズムハートもプリズムエンジェルも本物のヒーローなの。その子たちを喜ばせることができるなら、それって最高に意味のあることじゃない?」 「でも...」 「でも何?美咲は子どもたちを教えてるとき、どんな気持ち?子どもたちが上達したとき、どんな気持ちになる?」 美咲は答えられなかった。確かに、子どもたちの笑顔を見ることは、何にも代えがたい喜びだった。 「私はね」愛美の声が震え始めた。「この一週間、ずっと考えてたの。私たちは何のためにダンスを続けてるのかって」 「愛美...」 「最初は有名になりたかった。認められたかった。でも今は違う。私は踊ることで誰かを幸せにしたいの。誰かの笑顔を作りたいの」 愛美の目から涙がこぼれ始めた。 「着ぐるみを着ても、私たちがそこにいることに変わりはない。私たちのダンスで子どもたちが笑顔になってくれるなら、それは私たちにしかできない素晴らしい仕事よ」 「愛美...」 「私に迷いはない!」愛美の声は次第に大きくなった。 「自分がお客さんの前でプロとして踊れるチャンスを、自分から手放すような人に、未来の道なんて開けない!」 愛美の声は練習場に響き、通りかかった人々も足を止めるほどだった。 「どんな小さな舞台でも、どんな形でも、一生懸命やることで道は開ける。私はそう信じてる!」 涙をぼろぼろと流しながら、愛美は叫び続けた。 「私は美咲と一緒に踊りたい!一緒に子どもたちを笑顔にしたい!それが私たちの新しい始まりになるって信じてる!」 美咲は立ち尽くしていた。目の前の霧が晴れたような気がした。 愛美は一人で、こんなにも一生懸命に練習していた。この不便な格好も、着ぐるみでの演技を少しでも上達させるための愛美なりの工夫だった。 「愛美...ごめん」美咲の声も震えていた。「私、何か大切なことを見失ってた」 「美咲...」 「あなたの言う通りよ。どんな仕事でも、一生懸命やることで道は開ける。子どもたちを喜ばせることができるなら、それは私たちにとって最高の仕事よ」 美咲も涙を流しながら言った。 「一緒にやろう。子どもたちに最高の魔法少女を見せてあげよう」 二人は抱き合って泣いた。夜の練習場で、二人の友情は以前よりもずっと深いものになっていた。 ——————————————————————— 「新たなスタート」 翌朝、二人は急いで田村に連絡を取った。 「田中です。昨日の件ですが、二人とも参加させていただきたいと思います」 「本当ですか!ありがとうございます。それでは詳細をお伝えしますね」 電話で聞いた内容は、想像以上に本格的だった。東京ドームシティのメインステージで、三千人の観客の前で踊ること。 星野瑠璃の楽曲三曲に合わせて、約三十分間のパフォーマンス。 「衣装とマスクは当日会場でお渡しします。着ぐるみでの演技は初めてですよね?」 「はい」 「でしたら、当日朝早めに来ていただいて、リハーサルの前に着用練習をしましょう。 着ぐるみは想像以上に制約が多いので、慣れていただく必要があります」 電話を切ると、二人は顔を見合わせて笑った。 「やるって決めたからには、完璧を目指しましょう」美咲が言った。 「うん!子どもたちに最高の魔法少女を見せてあげよう」 そこから二人の本格的な準備が始まった。 まずは楽曲の完全習得。送られてきた音源を何度も聞き、振り付けの映像を見ながら動きを覚えた。 「この振り付け、実はけっこう複雑ね」 「でも、私たちなら大丈夫。基本はできてるから」 次に、愛美が考案した「着ぐるみ想定練習」を本格的に取り入れた。 「視界制限の練習から始めよう」 愛美は小さなアイマスクを用意し、さらに周りをテープで覆って極端に視界を狭くした装置を作った。 「うわ、本当に見えない」 美咲がそれを着けてみると、普段なら簡単にできる動きも困難になった。 「足元が全然見えないから、段差があったら危険ね」 「だから、お互いの位置確認が重要なのよ」 愛美は美咲の肩に手を置いた。 「こうやって、常にお互いの位置を意識しながら踊らないと」 「なるほど...でも本番では手を離すシーンもあるわよね」 「その時は声で確認しましょう。小さな声で『右』『左』って」 二人は時間をかけて、視界制限の中での動きを練習した。最初はぶつかりそうになることもあったが、段々とお互いの動きが読めるようになってきた。 「次は呼吸制限の練習ね」 愛美はマスクをさらに厚いものに変えた。 「うっ...苦しい」 美咲は装着した瞬間に息苦しさを感じた。 「これで三十分踊るのね...」 「だから基礎体力も必要なの。毎朝ランニングしましょう」 愛美の提案で、二人は毎朝六時に集合してランニングを始めた。 「おはよう!今日も頑張ろう」 「まだ眠いけど、頑張る」 三キロのコースを走りながら、二人は今回の仕事について話し合った。 「ところで美咲、プリズムハートとプリズムエンジェル、どっちがやりたい?」 「んー、どっちでもいいよ。愛美は?」 「私はプリズムエンジェルかな。水色が好きだから」 「じゃあ私がプリズムハート。ピンクも可愛いし」 「決まりね!」 ランニング後は筋力トレーニング。着ぐるみでの演技に必要な体幹と持久力を鍛えた。 「体幹がしっかりしてないと、重いマスクでバランス崩しそう」 「首と肩の筋肉も鍛えないとね」 二人は真剣に体作りに取り組んだ。 練習では、重い荷物を背負ったり、厚手の服を何枚も重ね着したりして、着ぐるみの重さと動きにくさを再現した。 「これで踊るの、本当に大変そう」 「でも、できないことはないわ。慣れれば大丈夫」 愛美は常に前向きだった。その姿勢が美咲の心も支えていた。 ——————————————————————— 「仲間の絆」 練習を重ねる中で、二人はお互いの新しい一面を発見していた。 「愛美って、こんなに研究熱心だったのね」 美咲は愛美が作った練習メニューを見ながら言った。着ぐるみでの制約を考慮した詳細な練習計画が書かれていた。 「私だって、美咲がこんなに完璧主義だって知らなかった」 愛美は美咲が作った振り付けノートを見せてもらった。一つ一つの動きが丁寧に分析され、改善点まで書き込まれていた。 「私たち、いいコンビよね」 「うん。お互いの足りない部分を補い合ってる」 こうして、二人だけの独特なコミュニケーション方法も確立していった。 練習四日目、二人はついに完璧なシンクロを達成した。 「今のは完璧だったよ」 「愛美も!息がぴったり合ってた」 模擬着ぐるみを着ていても、二人の動きは美しく、観ている人を魅了するものになっていた。 「これなら本番も大丈夫ね」 「うん!子どもたち、きっと喜んでくれる」 ——————————————————————— 「イベント当日・朝の緊張」 ついにイベント当日を迎えた。二人は朝七時に東京ドームシティの楽屋入り口で待ち合わせた。 「おはよう、美咲」 「おはよう。眠れた?」 「緊張で三時間しか眠れなかった」愛美が苦笑いを浮かべた。 「私も。でも、準備は完璧だから大丈夫よ」 二人は手に手を取り合って、楽屋入り口に向かった。 「橋本美咲さん、田中愛美さんですね。お疲れ様です」 スタッフに案内されて楽屋に向かう廊下を歩きながら、二人は会場の規模に圧倒されていた。 「すごい人...」 すでに朝早くから、たくさんの家族連れが会場に向かっている姿が見えた。 「みんな、私たちを見に来てくれるのね」 「プリズムちゃんたちを、ね」愛美が訂正した。 「そうね。今日からは私たちはプリズムちゃんたち」 楽屋は思っていたより小さめだったが、清潔で必要なものは全て整っていた。壁にかけられた二着の衣装を見て、二人の心臓が高鳴った。 「わあ...本物だ」 愛美が恐る恐る水色の衣装に触れた。エナメル製の質感は、思っていたより重厚で本格的だった。 「こっちがプリズムハート」 美咲はピンクの衣装を手に取った。細部まで丁寧に作られた衣装は、アニメから飛び出してきたかのようだった。 そして机の上には、二つのマスクが置かれていた。 「これが...」 二人は息を呑んだ。マスクは想像以上に精巧で、そして重かった。 「超小顔設計って本当なのね」 美咲がプリズムハートのマスクを持ち上げた。確かに、普通の人間の頭よりもずっと小さく作られていた。 「前面と後頭部の二つのパーツに分かれてるのね」 愛美がプリズムエンジェルのマスクを観察した。 「両耳の上に金具があるから、ここで固定するのね」 その時、ドアがノックされた。 「失礼します。衣装担当の佐藤です」 中年の女性スタッフが入ってきた。 「今日はよろしくお願いします。着ぐるみは初めてですよね?」 「はい、初めてです」美咲が答えた。 「でしたら、まず着用方法をご説明しますね。着ぐるみは想像以上に制約が多いので、しっかりと手順を覚えていただく必要があります」 佐藤さんは丁寧に説明を始めた。 「まず、インナーはスポーツ用のものを着用していただいてますか?」 「はい、持参したものを着てきました」 「素晴らしい。着ぐるみは大量に汗をかきますからね。次に全身タイツですが...」 ——————————————————————— 「初めての着ぐるみ装着」 「全身タイツは頭部まで覆うタイプです。顔の部分だけくり抜かれていて、髪の毛は束ねて首の辺りに集めてからフードを被ります」 佐藤さんの説明を聞きながら、二人はベージュ色の全身タイツを手に取った。 「思ったより分厚いのね」 「密着性が高いので、動きを制限しますが、その分衣装とのフィット感が良くなります」 二人は更衣室で着替えを始めた。 「うわ、本当に密着する」 愛美がタイツを着ながら呟いた。 「動きづらいけど、これが必要なのね」 美咲も同じように感じていた。髪の毛をしっかりとゴムで束ね、フードを被ってファスナーを閉める。 「ちょっと恥ずかしい格好ね」 顔以外が全てタイツに覆われた状態は、確かに少し恥ずかしかった。二人は苦笑いを浮かべた。 「でも、これも衣装の一部だから」 更衣室から出ると、佐藤さんが待っていた。 「では次に、衣装の着用ですね」 プリズムハートのピンクの衣装を着る美咲。袖を通した瞬間、その重さを実感した。 「エナメル製だから、普通の衣装より重いですね」 「そうなんです。しかも小柄なキャラクターなので、締め付けもきつめになります」 確かに、衣装は美咲の体にぴったりとフィットし、動きを制限した。 愛美も水色のプリズムエンジェルの衣装を着用した。 「きつい...でも、シルエットは完璧ね」 鏡に映る二人の姿は、まさにアニメから飛び出してきた魔法少女だった。 「すごい、本当にキャラクターになってる」 「でも、まだマスクがないから、変な感じ」 「では、いよいよマスクの装着ですね」佐藤さんが続けた。 「マスクは必ずお互いに手伝ってください」 「分かりました」 「それから、マスクを装着すると視界と聴覚が著しく制限されます。 最初はパニックになりそうになるかもしれませんが、落ち着いて呼吸してください」 二人は緊張しながらうなずいた。 「では、橋本さんから装着しましょう」 愛美がプリズムハートのマスクを両手で持った。思っていたより重く、しっかりと支える必要があった。 「美咲、準備はいい?」 「うん...お願いします」 美咲は深呼吸をした。愛美が前面パーツを美咲の顔に当てる。 瞬間、美咲の世界が一変した。 「うわ...」 極端に狭い視界。マスクの目の部分にある小さなスリットからしか外が見えない。 しかも、マスクの目と自分の目の位置がずれているため、距離感が全くつかめない。 「大丈夫?美咲」 愛美の声がマスク越しにこもって聞こえた。 「だ、大丈夫...でも、すごく狭くて暗い」 「今から後頭部パーツを付けるね」 愛美が慎重に後頭部パーツを当て、両耳上の金具で固定した。カチッという音とともに、美咲の頭部は完全にマスクに覆われた。 「うっ...」 密閉感が一気に押し寄せた。自分の呼吸音が異常に大きく聞こえ、吐いた息がマスク内に充満して顔に戻ってくる。 「美咲、聞こえる?」 「聞こえる...でも、すごく息苦しい。自分の息がマスクの中にこもって、顔中に熱い息がかかって気持ち悪い」 美咲の声はマスク越しに完全にこもっていた。 「少し歩いてみて」 美咲は恐る恐る一歩踏み出した。視界が狭いため、足元が全く見えない。床の段差も分からず、バランスを取るのが困難だった。 「あ、危ない!」 美咲は椅子の脚に気づかずに足をひっかけそうになった。愛美が慌てて支える。 「ごめん、全然見えない」 「マスクって、こんなに大変なのね...」 「慣れるまでは、必ず介助者が付きます」佐藤さんが説明した。「本番でも、ステージの袖にスタッフが待機して、万が一の時はすぐにフォローします」 今度は愛美の番だった。プリズムエンジェルのマスクは、プリズムハートよりも髪の毛の量が多く、その分さらに重かった。 「重い...これは首が疲れそう」 美咲が愛美のマスクを装着する。愛美も同様に、視界の狭さと息苦しさに驚いた。 「うわ、美咲の言ってた通り。息がこもって気持ち悪い」 「でも、これが私たちの新しい衣装よ」 二人はマスクを着けたまま、鏡の前に立った。 そこに映るのは、完璧な魔法少女二人だった。 「すごい...」 「私たち、本当にアニメのキャラクターになってる」 マスクの中で、二人は感動していた。 「少し音楽に合わせて動いてみましょうか」 佐藤さんの提案で、二人は携帯音楽プレーヤーで主題歌を流した。 ゆっくりと動き始める二人。普段なら簡単にできる動きも、マスクを着けると途端に困難になった。 「お互いの位置が分からない」 「手を伸ばしても、どこに愛美がいるか見えない」 それでも二人は諦めなかった。声を掛け合い、手を取り合いながら、少しずつ動きを合わせていった。 「右に二歩」 「はい」 「回転は、せーので」 「分かった」 十五分ほど踊ると、二人とも汗だくになっていた。マスクの中は蒸し風呂状態で、呼吸も荒くなっていた。 「ふう...思ったより体力使う」 「本当に。これで三十分は大変そう」 「一度休憩しましょう」 佐藤さんの提案で、二人はマスクを外した。 金具を外すと、マスクの前面パーツがゆっくりと外れた。フードを外すと、束ねていた髪の毛が汗でぺったりと頭に張り付いていた。 「うわ、髪の毛がすごいことになってる」 「マスクの中、本当に暑かった」 それでも二人の表情は明るかった。 「でも、なんだか楽しいね」 「うん。キャラクターになってる感じがする」 「不思議よね。どんなにかっこいい動きをしても、可愛い魔法少女にしか見えないの」 「それがこの役の魅力なのかもしれない」 佐藤さんも微笑んでいた。 「お二人とも、とても素敵です。子どもたちは絶対に喜びますよ」 ——————————————————————— 「リハーサル」 午前十時、いよいよリハーサルの時間となった。 二人は軽装でステージに向かった。ステージに足を踏み入れた瞬間、その規模に圧倒された。 「すごい...」 音響チェックが始まった。星野瑠璃の楽曲が会場に響き渡る。 「音響、完璧ね」 「照明も眩しいくらい」 立ち位置の確認。ステージの広さと照明の眩しさに、二人は最初戸惑った。 「橋本さん、もう少し前に出てください」 「はい!」 「田中さん、左に半歩お願いします」 「はい!」 スタッフの指示に従いながら、二人は段々とステージの雰囲気に慣れていった。 リハーサルが進むにつれ、二人の緊張は期待へと変わっていった。 「動きは完璧です」音響監督が声をかけてくれた。「本番でも同じように踊ってください」 「ありがとうございます!」 リハーサル後、ついに星野瑠璃本人が挨拶に来てくれた。 「お疲れ様でした」 間近で見る瑠璃は、テレビで見るよりもずっと小柄で華奢だったが、その存在感は圧倒的だった。オーラが全然違う。 「こ、こちらこそ、よろしくお願いします!」 二人は緊張しながらも、しっかりと挨拶を返した。 「お二人とも、とても素敵な動きですね。さすがプロの方たちです」 「ありがとうございます」 「着ぐるみでの演技は初めてですか?」 「はい、初めてです」美咲が答えた。 「大変だと思います。私も昔、地方のイベントで着ぐるみを着たことがあるんですが、本当に過酷でした」 「星野さんも着ぐるみを?」愛美が驚いた。 「ええ」瑠璃は微笑んだ。「まだデビュー前の話ですが。でも、その経験があったからこそ、今の私があると思っています」 「そうなんですか...」 「どんな小さな舞台でも、どんな形でも、お客さんを喜ばせることができれば、それは素晴らしい経験になります。今日は子どもたちが本当に楽しみにしています。頑張ってくださいね」 瑠璃の温かい言葉に、二人の心は軽くなった。 「ありがとうございます。頑張ります」 瑠璃が去った後、二人は顔を見合わせた。 「星野瑠璃さんも、私たちと同じような経験をしてたのね」 「どんな経験も無駄じゃないって、身をもって教えてくれてる」 「今日は絶対に最高のパフォーマンスをしよう」 「うん!」 ——————————————————————— 「本格的な着用練習」 楽屋に戻ると、いよいよ本格的な衣装合わせの時間だった。 「まずは全身タイツから着用しましょう」 二人は既に着用していたインナーの上から、ベージュ色の全身タイツを着た。 「やっぱり密着する」 「でも、朝の練習で慣れたから大丈夫」 髪の毛をゴムで束ね、フードを被ってファスナーを閉める。鏡に映る自分たちの姿は、顔だけが出た奇妙な状態だった。 「次に衣装です」 美咲はプリズムハートのピンクの衣装を着用した。エナメル製の質感は、練習で着ていた普通の服とは全く違った。 「重い...そして締め付けがきつい」 「小柄なキャラクター設定だから、どうしてもタイトになります」 愛美のプリズムエンジェルの衣装も同様だった。 「動きづらいけど、シルエットは完璧ね」 鏡に映る二人は、まさにアニメのキャラクターそのものだった。 「衣装だけでも、もうキャラクターになった気分」 「本当ね。不思議な感覚」 「では、いよいよマスクの装着です」 佐藤さんが二つのマスクを手に取った。 「プリズムハートは髪の毛がショートカットなので比較的軽いですが、プリズムエンジェルはロングヘアなので重くなります」 「どのくらい重いんですか?」愛美が聞いた。 「プリズムハートが約一・五キロ、プリズムエンジェルが約二キロです」 「二キロ...」 「首と肩への負担は相当なものです。でも、慣れれば大丈夫ですよ」 まず美咲からマスクを装着することになった。 「愛美、お願いします」 「うん。頑張って」 愛美がプリズムハートのマスクの前面パーツを手に取った。両手でしっかりと支えながら、美咲の顔に当てる。 瞬間、美咲の視界が劇的に変化した。 「うわ...真っ暗」 極端に狭い視界。マスクの目の部分にある小さなスリットからしか外が見えず、しかもその視界は非常に限定的だった。 「美咲、大丈夫?」 愛美の声が遠くからこもって聞こえた。 「大丈夫...でも、本当に狭くて暗い。穴の中から外を覗いているみたい」 「今から後頭部パーツを付けるね。動かないで」 愛美が慎重に後頭部パーツを当て、両耳上の金具で固定する。カチッ、カチッという音とともに、美咲の頭部は完全にマスクに覆われた。 「うっ...」 密閉感が一気に押し寄せた。自分の呼吸音が異常に大きく聞こえ、吐いた息がマスク内に充満して顔全体に戻ってくる。 「美咲、聞こえる?」 「聞こえる...でも、息がすごくこもって、自分の顔に熱い息がずっとかかってる。気持ち悪い」 「大丈夫?無理しないで」 「大丈夫。少し慣れれば...」 美咲は深呼吸を試みたが、マスク内の空気は湿度が高く、息苦しさが増すばかりだった。 「少し歩いてみましょう」佐藤さんが提案した。 美咲は恐る恐る歩き始めた。視界が狭いため、足元が見えず、距離感も掴めない。 「あぶない!」 愛美が慌てて美咲の腕を支えた。美咲は机の角に気づかずにぶつかりそうになっていた。 「ごめん、全然距離が分からない」 「マスクの目と、私の目の位置がずれてるから、遠近感がおかしいの」 「そうなんです」佐藤さんが説明した。「最初は皆さん、距離感に戸惑われます。でも、十分ほど着用していれば慣れてきますよ」 今度は愛美の番だった。 「愛美、準備はいい?」 「うん。でも美咲の反応を見てたら、ちょっと怖い」 美咲がプリズムエンジェルのマスクを持ち上げる。プリズムハートよりも明らかに重く、髪の毛の量が多いことが分かった。 「重いね、これ」 「頑張る」 愛美の顔に前面パーツを当てる。愛美も同じように視界の激変に驚いた。 「うわあ...本当に狭い」 後頭部パーツを固定すると、愛美の頭部も完全にマスクに覆われた。 「首が...重い」 愛美の声はマスク越しにこもっていた。プリズムエンジェルのマスクは、確かに首への負担が大きかった。 「愛美、大丈夫?」 「大丈夫。でも、美咲が言ってた通り、自分の息がマスクの中で跳ね返って、顔中にかかるのが気持ち悪い」 「慣れるまでの辛抱よ」 二人はマスクを着けたまま、ゆっくりと音楽に合わせて動いてみた。 最初はお互いの位置が分からず、手がぶつかったり、距離を間違えたりした。 「美咲、どこにいる?」 「ここよ。手を伸ばして」 「あ、当たった」 少しずつ、二人はマスクでの制約に慣れていった。 「意外と、慣れてくるかも」 「うん。愛美の動きが何となく分かってきた」 三十分ほど練習すると、二人とも大量の汗をかいていた。 「一回休憩しましょう」 佐藤さんの提案で、二人はマスクを外した。 金具を外してマスクを取ると、二人の顔は汗でびっしょりだった。フードを外すと、束ねていた髪の毛も汗で濡れて頭に張り付いていた。 「うわ、髪の毛がぺったんこ」 「顔にもマスクの跡がついてる」 鏡を見ると、マスクのスポンジが当たっていた部分に、しっかりと跡が残っていた。 「でも、楽しかった」愛美が笑顔で言った。 「そうね。キャラクターになりきってる感じが新鮮だった」 美咲も、想像していたより楽しい体験だったことを認めていた。 「午後からのリハーサルまで、少し休憩して、軽く食事を取りましょう」 ——————————————————————— 「昼食時の心境変化」 楽屋近くの休憩室で、二人は軽い昼食を取っていた。サンドイッチとスポーツドリンクという、あまり重くない食事だった。 「午後からは本番と同じ衣装でリハーサルよね」 「うん。さっきの練習で、だいぶ感覚は掴めたと思う」 美咲はサンドイッチを一口かじりながら言った。 「でも、想像以上に大変だったわね。特にマスクの中の息苦しさ」 「私も。自分の息がマスクの中にこもって、顔中に熱い息がかかり続けるのが一番きつかった」 愛美も同感だった。 「それに、視界の狭さも想像以上」 「距離感が全然分からないから、お互いの位置確認が本当に大切ね」 二人は午前中の体験を振り返りながら、午後への準備を整えていた。 「ねえ美咲」 「何?」 「さっき、マスクを着けて鏡を見たとき、どう思った?」 美咲は少し考えてから答えた。 「正直、感動した。本当にアニメのキャラクターになってる感じがして」 「でしょ?私も同じ気持ちだった」 「どんなにかっこいい動きをしても、可愛い魔法少女にしか見えないのが不思議だったわ」 「それがこの役の魅力なのかもしれないね」 愛美は嬉しそうに微笑んだ。 「最初は抵抗があったけど、実際にやってみると...」 「楽しかった」美咲が続けた。「認めたくなかったけど、楽しかった」 「美咲がそう言ってくれて嬉しい」 「ごめんね、愛美。最初はあんなこと言って」 「いいよ。美咲の気持ちも分かるから」 二人は微笑み合った。 「でも、本番は三十分よ。大丈夫かな」 「体力的には厳しいと思う。でも、二人でならきっと乗り越えられる」 「そうね。お互いに支え合いながら頑張ろう」 ——————————————————————— 「本番リハーサル」 午後一時、本番と同じ衣装でのリハーサルが始まった。 二人は再び全身タイツから着用し始めた。今度は朝よりもスムーズに準備が進んだ。 「慣れてきたね」 「うん。でも緊張する」 衣装を着用し、いよいよマスクの装着。今度は二人とも、朝の経験があるため心の準備はできていた。 「美咲、行くよ」 愛美がプリズムハートのマスクを装着する。美咲は朝よりも落ち着いて、マスクの制約を受け入れた。 「視界は狭いけど、動けないことはない」 「私も頑張る」 愛美にプリズムエンジェルのマスクを装着。重さは相変わらずだったが、愛美も覚悟していた。 「首が疲れるけど、我慢する」 「じゃあ、ステージに向かいましょう」 二人は楽屋からステージへと向かった。廊下を歩きながら、マスクでの歩行にも慣れていく。 「愛美、大丈夫?」 「大丈夫。美咲は?」 「オッケー。でも、汗がもうすごい」 ステージに到着すると、観客席には本番を待つ大勢の家族連れが見えた。 「うわあ...人がいっぱい」 「みんな、私たちを待ってくれてるのね」 子どもたちの中には、プリズムハートやプリズムエンジェルのコスプレをしている子もいた。 「あの子たち、私たちのファンなのね」 「頑張らないと」 音響チェックが始まった。星野瑠璃の美しい歌声が会場に響く。 「瑠璃さんの歌声、生で聞くと本当にすごい」 「私たちも負けられないわね」 立ち位置の確認。マスクを着けた状態でのステージは、朝とは全く違う体験だった。 「照明が眩しくて、余計に見えにくい」 「でも、なんとかなりそう」 「プリズムハート、プリズムエンジェル、準備はいいですか?」 スタッフの声に、二人はうなずいた。 音楽が始まる。二人は朝の練習通り、お互いの位置を確認しながら踊り始めた。 「せーので、回転」 「はい」 「次は右に移動」 「分かった」 マスクの制約がありながらも、二人の動きは美しく、観客席からは拍手が聞こえてきた。 「聞こえる?拍手」 「うん。嬉しい」 一曲目が終わると、会場からは大きな歓声が上がった。 「やったね、美咲」 「愛美も素晴らしかったよ」 二曲目、三曲目と続けて踊った。時間が経つにつれ、二人は汗だくになり、呼吸も荒くなってきた。 「きつい...」 「でも、最後まで頑張ろう」 マスクの中は蒸し風呂状態で、視界も汗で曇ってきた。それでも二人は踊り続けた。 リハーサル終了後、二人はステージの袖で大きく息をついた。 「お疲れ様でした!完璧でした!」 スタッフからの賞賛の声に、二人は達成感を感じていた。 楽屋に戻ってマスクを外すと、二人の顔は汗でびっしょりだった。 「髪の毛、ぺったんこ」 「顔にもマスクの跡がくっきり」 でも、二人の表情は充実感に満ちていた。 「楽しかった」 「うん。本当に楽しかった」 ——————————————————————— 「本番前の最終準備」 本番まで残り一時間。二人は最後の準備に取りかかった。 「今度は本番。失敗は許されないわね」 「でも、もう大丈夫。私たちならできる」 二人は再び全身タイツから着用を始めた。もう三度目なので、手順は完璧に覚えていた。 「インナーの汗、大丈夫?」 「うん。さっき着替えたから」 タイツ、衣装、そしてマスク。一連の装着作業が、まるで儀式のように感じられた。 「美咲、マスクいくよ」 「お願いします」 四度目のマスク装着。美咲はもう、あの視界の狭さと息苦しさを受け入れていた。 「もう慣れたかも」 「本当?」 「うん。確かに苦しいけど、パニックにはならない」 愛美のマスクも装着完了。二人は鏡の前に立った。 「完璧ね」 「子どもたち、絶対に喜んでくれる」 最後の動きの確認。もう音楽を聞かなくても、振り付けは体に染み付いていた。 「お互いの位置も完璧に覚えたわね」 「声での合図も、ばっちり」 「それでは、本番十分前になりましたら、お迎えに参ります」 佐藤さんが楽屋を出て行った。 二人きりになると、急に緊張が高まった。 「ついに本番ね」 「そうね。でも、準備は完璧よ」 マスクの狭い視界から見える愛美の姿は、完璧なプリズムエンジェルだった。 そして鏡に映る自分も、間違いなく本物のプリズムハートになっていた。 「美咲」 「何?」 「今日のこと、一生忘れないと思う」 「私も。この経験は、きっと私たちを変えてくれる」 「うん。どんな形でも、人を喜ばせることができるって分かった」 「星野瑠璃さんの言葉を思い出すわ。どんな経験も無駄じゃないって」 コンコンとドアがノックされた。 「失礼します。そろそろお時間です」 誘導スタッフの声に、二人は立ち上がった。 「行こう」 「うん」 二人は手を取り合った。マスク越しでも、お互いの温かさが伝わってきた。 ——————————————————————— 「ステージへの道のり」 楽屋からステージへの廊下は、意外に長かった。 「緊張する」 「私も。でも、楽しみでもある」 マスクを着けて歩くのは、想像以上に注意が必要だった。足元が見えないため、階段や段差では特に慎重になる必要があった。 「段差があります。気をつけて」 スタッフの声に従いながら、二人は慎重に歩いた。 廊下の途中で、星野瑠璃とすれ違った。 「頑張ってください」 瑠璃が声をかけてくれたが、マスクを着けた二人は声を出せない。代わりに、深くお辞儀をして感謝の気持ちを表した。 「素敵な魔法少女たちね」 瑠璃の微笑みが、マスク越しでも二人には伝わった。 「ステージまであと少しです」 スタッフの案内で、二人はステージの袖に到着した。 ここからは、会場の熱気と歓声が直接聞こえてきた。 「すごい盛り上がり」 「子どもたちの声も聞こえる」 『プリズムちゃーん!』 『エンジェルちゃーん!』 観客席からは、すでに二人の登場を待つ子どもたちの声が聞こえてきた。 「あの子たち、私たちのことを本物の魔法少女だと思ってるのね」 「だったら、本物の魔法少女として最高の演技をしてあげないと」 二人の決意は固まった。 「星野瑠璃さんの挨拶が終わったら、いよいよ私たちの出番です」 スタッフが最終確認をしてくれる。 「マスクの固定、大丈夫ですか?」 二人はお互いに確認し合った。 「大丈夫です」 「衣装も問題ありません」 「それでは、頑張ってください。皆さん、楽しみにしています」 ステージでは、星野瑠璃の美しい歌声が響いていた。観客席からは大きな拍手と歓声が聞こえてくる。 「もうすぐね」 「うん。最後まで頑張ろう」 二人は最後の深呼吸をした。マスクの中での呼吸は相変わらず苦しかったが、もう慣れていた。 「美咲」 「何?」 「一緒にここまで来れて良かった」 「私も。愛美がいなかったら、きっとここにはいなかった」 「私たち、いいコンビよね」 「最高のコンビよ」 星野瑠璃の一曲目が終わり、会場からは大きな拍手が響いた。 「それでは、お二人の出番です」 スタッフの声に、二人は最後の準備を整えた。 「行こう!」 「うん!!」 二人は手を取り合い、ステージの袖から舞台へと歩き出した。 観客席からは、子どもたちの歓声が爆発的に上がった。 『プリズムちゃーん!』 『エンジェルちゃーん!』 『本物だ!本物の魔法少女だ!』 その瞬間、二人は確信した。自分たちは今、間違いなく子どもたちにとっての本物のヒーローになっているのだと。 マスクの狭い視界から見える観客席は、子どもたちの笑顔で埋め尽くされていた。その光景に、二人の心は熱くなった。 「美咲、見えるでしょ?あの笑顔」 「うん。すごく嬉しそう」 「私たちのために来てくれたのね」 「だったら、最高の魔法を見せてあげましょう」 星野瑠璃のイントロが始まった。二人は深呼吸をし、最初のポーズを取った。 どんなに苦しくても、どんなに大変でも、この子どもたちの笑顔のために全力で踊ろう。それが今の二人にできる、最高のプロとしての仕事だから。 音楽が本格的に始まり、二人は踊り始めた。マスクの重さも、視界の狭さも、息苦しさも、もう気にならなかった。 今、二人は本物の魔法少女として、子どもたちの前に立っていた。 長い間追い求めてきた「プロとしてステージに立つ」という夢が、こんな形で叶うとは思わなかった。でも、これは間違いなく、二人にとって人生で最も輝かしい瞬間の始まりだった。 ステージの上で、二人の新しい物語が始まろうとしていた。 完


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