「どうかしました?圭」
「いや…叫び声みたいのが聞こえた気がして…」
「そう…」紫守は嫌な予感がした。ざわざわと、蟲が足から這い上がるような。
「すでに何か起きているかもしれないですわね。ジェニーさん、CIAのエージェントと一度連絡をとれないかしら」
「イエス!かけてみますね」
ブ……ブ……ブ……。
一見してそれとわからないように偽装された電話が律動する。
潜入中の諜報員が、まさか着信音をそのまま響かせるはずもなく、最低限の極めて微弱な振動を以って伝える設定だ。
しかし、今となっては意味を成さない。
なぜならすでに主の手を離れた電話は、床に転がっているのだから。
「く…離せッ!」ジェニーからの着信!あれに出られさえすれば…!
メキメキ… 「ぐぁあああッッ!」
宙に浮かされたエージェントの体を、太い“尾”が締めつける。
「あらあら、まだ立場が理解できないのね」
艶めかしい声色は、その尾を辿った先より発せられた。
照明を落としたVIPルームで、微かに射し込む赤い月光に映し出される姿。
女である。しかし人間ではなかった。
蝙蝠のような羽と、先刻よりエージェントを拘束する太い尾。
数多の伝承に語られる、サキュバスと称される存在。
彼女は“百鬼衆”の一翼だ。
「く…油断したッ!まさか”もう一体”、幹部クラスが紛れていたとは!しかも女の妖魔とは…」
メキメキビキッ 「ぐぁああッッ!!」
「口閉じてくれない?うるさい男は嫌いなの」
骨が軋む音。尋常でない圧迫がエージェントの体に加わる。
殺される!彼が死を覚悟した時…。
「待て」部屋の隅、暗がりから制止の声がかかる。
「いつものように”喰う”つもりがないなら、そいつ寄こせ。“材料”にしたい」
「フフ…お好きにどうぞ」
ドサッ 「ゲホッ…ガハァッ…」
エージェントを床に棄てて、女の妖魔はバルコニーの窓を開け放す。
「わたしは行くよ。この船の乱痴気パーティは任せるわ。じゃあね」
夜の空に夢魔は消えていった。さして興味なさそうに見送る“もう一体”。
そのスキにエージェントは、震え続けていた電話へと手をのばした。
「オーッ!やっと繋がりましたネ。ロッドマン、何して…」
「ジェニー!今すぐ船を離れろ!!奴ら、すでに始めてやがった!船内に何体も…うぐぁッ!!」
ブツッ……ツー……ツー……
「ロッドマン!?ロッドマン!?」
「!?」「ちょ…どーしたの、ジェニー!?」
ただ事でない気配を、紫守と圭も感じ取った。
「…相棒が敵の手に落ちたようデス」
「あらかた聞こえてましたわ。断片的な内容ですが、事前の情報とあわせて予想はつくわ。“儀式”はすでに始まってた。そういうことね」
「恐らくハ…」
冷たい汗がジェニーの頬を伝う。
「え?どゆこと?その相棒助けに行こうよ!」
「…ソーリー。その気持ちはサンキューデス。でも、ロッドマンはワタシに「船を離れろ」と言いましタ。彼はプロデス。ピンチだったとして、まだ挽回できる状況なら加勢を要請したと思いマス。そうではなく、ただワタシに離脱を促したのハ…。なので、彼の意思を無駄にしたくありまセン」
「わたくしも同意しますわ。…援助の望めない外界から孤立したこの場所で、敵も未知数。お気の毒ですが、その方を救うのは極めて難しいでしょう。圭ちゃん、潜入作戦は中止よ。これより離脱しますわ。ジェニーさん、一緒に行きましょう」
紫守とジェニーは、戦場において躊躇する危険性を身をもって知っているのだ。
「ちょ…ちょっと待ってよ紫守さん。それじゃわたしたち何しにここへ…」
ドンッ…
控室のドアが、何かに強く叩かれた。
「…何?」
圭が恐る恐る近づくと…。
パーティ会場はどよめいていた。
「おい…さっきの悲鳴は何だ」
「まさか我々を検挙しようとしてる連中でも侵入してるんじゃないだろうね?」
船の底を這うように、撒かれた悪意は鬼門会の面々の足元にも昏い影を落とし、侵食していく。
バンッ! 「!?」
会場のドアが激しく開かれ、黒いドレスを纏った女が現れた。
「ハァ…ッ…ハァ…ッ…!」
「ミス葛原!どうしたのかね、そんなに息を切らせて」
「い、今……!………」「?」
己の見たままの光景を伝えようとして、葛原は口を噤んだ。
この場でそれを話せばパニックが起こり、我先にと脱出を図ればその手段の奪い合いになり、彼女の生存率を下げることになる。
利己的な計算の元、葛原はこう言い放った。
「“不審者”を見かけたので、怖くなって逃げてきたの。警備員が向かってたから、きっと対応してるはずだわ」
ひとつも嘘が含まれないにもかかわらず、真実からむしろ遠ざける物言い。
「そうか、なら安心だな」
「あぁ、任せておこう。大方、抵抗した賊が騒いだのだろうね。不様に。ファハハハ!」
のんきに笑い合う面々を尻目に、葛原は会場を見回し、黒服にサングラスをかけたシークレットサービスを見つけ、声をかけた。
「ねぇ、あなたヘリの場所とか知ってる?脱出用の。それと、操縦できる?」
「どちらの質問も「はい」ですが…」
「ちょっと…」葛原が黒服の袖を引いて、こそこそと会場を後にしたのと入れ違いに、男が現れた。
葛原が逃げてきたのと、同じ通路からだ。
異様な風体。ボロボロのタキシードの隙間から見える変色した肌。漂う腐臭。
子供の粘土細工のように爛れた顔面。所々歪に隆起した四肢の筋肉。
「きゃあああッ!!」
鬼門会の一人の女性が悲鳴をあげた。
「な…なんだこいつは!?」
恐慌が伝播する寸前に、男の背後からもう一人、警備員があらわれた。
「おいおい警備員くん。なに、不審者連れて来てるんだい。さぁ、君の仕事をしたまえ!」
先刻、紫守に話しかけていた男が文句をつける。しかし、反応はない。
「…オイ。僕を無視してるんじゃないよ。警備員の分際…で…?」
苛立った男は、詰め寄って初めて気がついた。
警備員の肩が抉れて、血まみれになっていることに。その瞳が生気なく濁っていることに。
「へ?」
突如、警備員と、そして“不審者”の男が彼に同時に噛みついてきた。
「ぴぎゃあぁああッッ!!痛いッやめ…ぐぇ…… 」
鬼門会の権益をすすり、栄華を貪ってきたであろう男は、あっけなく肉塊となった。
「う……うわぁああああッッ!?」
一人が現実を認識し、パニックが一瞬で会場に、そして船中に波及した。
「うん。やっぱり馴染んだ格好の方が動きやすいな」
パンッパンッと、両手をはたく圭の足元に、ボロ雑巾に成り果てた異形の男が転がっていた。
控室のドアをブチ破って乱入したソレは、彼女に数秒で返り討ちに遭ったのだ。
「…ったく!何だったの、こいつは!」
「……」紫守が顔をしかめて、つぶさに観察する。
「妖魔…と呼ぶのも少し変ね。人間…?それにしては…」
「えッマジで!?あちゃあ、殺っちゃったかな?」
圭が冷たい汗を流していると、撃鉄が聞こえた。
「“ライトニング・ケイ”、どいてくだサイ!!」「え?」
圭が戸惑っていると、昏倒していたはずの男がガバッと起き上がり、圭に襲いかかろうとして…眉間を銃弾で撃ち抜かれた。
大口径のマグナム弾で、男は頭部を粉々に粉砕され、床に血だまりを生み、今度こそ動かなくなる。
「な…何を!?ジェニーさん!鬼門会の人間だとしても、相手は人間。簡単に殺してしまうなんて…!」
「すでに…死んでマース」「?」
抗議する紫守にジェニーは静かに告げる。
「ゾンビに…ワタシが経験した“ゾンビハザード”の感染者に、とてもよく似てマス。もしそうなら、助ける術はありませんヨ」
普段の陽気なジェニーからは想像もつかない、冷たい視線と声色に、二人は言葉を失う。
「ジェニー…?」
「きゃあああッ!!」悲鳴が上がる。
「すぐ近くだ!」
圭が真っ先に飛び出すと、廊下の突き当りでドレスを着た少女が男に襲われようとしていた。
「ちぃ…ッ!」
全力で走るが、間に合う距離ではない。
少女の救出を圭が諦めかけたとき、男が背後から胴を掴まれ、宙を回され頭から床に叩きつけられ、グシャリと潰れて動かなくなった。
「へッ化け物が。てめぇらの弱点はもうわかったぜ」
「!!」圭と少女の前に現れたのは、タンクトップ姿の短髪の巨漢だった。
遅れて追いついてきた紫守とジェニーも驚愕した。何者!?
「貴方は…?」「オー!退魔師ですカ?」
「い…いや二人とも!この人は退魔師じゃないよ!こ、この人は…!」
興奮してるのか、圭の顔が紅潮してる。
「この人はプロレスラーだよ!チャンピオンがなんでここにいんの?!」
「おッ!俺を知ってるのか。嬉しいねぇ」
巨漢は、あるプロレス団体の絶対王者で、圭にとっては憧れの選手の一人だ。
前後の状況も忘れて目を輝かせるのも無理もない。
彼の説明によれば、この船でワンマッチの興行で招かれて、巻き込まれたらしい。
「俺と闘うはずだった野郎は、奴らにやられちまったよ。あんたら、何か知らねぇか?」
紫守は首を横に振る。
「残念だけど、わたくしたちもそれほど事態を把握できてないわ」
「そうか…」
「ちょっとッ!私を無視してるんじゃないわよ!」
襲われかけた少女が悪態をつく。礼も言わない。
「早く私を安全な場所に連れていきなさい!パパに言いつけるわよ!」
「うわッ生意気なガキンチョだ。ちょっとお仕置きしちゃおうかなぁ」
「圭ちゃん、怒らないの。鬼門会の人間の家で生まれたんでしょう。子供は親の背中を見て育つの。このコを責めても始まらないわ」
「ぐぬぬぬ…」「フンッ」
バァンッ!!「ひぃ!?」
突然の銃声に少女は縮み上がる。弾道の先で、新たな異形の男が倒れた。
「お喋りはそこまでデース。Mr.チャンピオン、そのガールを頼めますか?」
「あぁ、任せな」巨漢は少女を軽々と肩に担ぎあげた。
「ちょっと、降ろしなさいよ!」「ガマンしな、嬢ちゃん」
「ジェニーさん、内部構造はどこまで掴んでますの」
「脱出経路は調査済みデス。ボートとヘリなら、どちらがお好みですカ?」
「ヘリね。東京湾には水棲の妖魔も潜んでいるから、リスクが高過ぎますわ」
「OK」
ジェニーを先頭に、五人は走る(一人は抱えられてるだけだが)。
途中、散発的な接敵を退け、ワンフロアを昇り、階段の終わる通路の交差地点で、二方向からの気配を感じた。
ジェニーは直感的に強い危険を感じた方へ銃口を向けた。
「ひぃい!撃たないでくれぇッ!まだ人間だよォッ!」
しかし、そちらは両手を上げた丸腰の船員が二人。
ガチャ… 「!」
ジェニーに銃口を突きつけるのは、もう一方から来た、ドレスの女を連れた黒服の男。
「動くな。銃を降ろせ!」「…どっちですカ?」
数秒の膠着。それを破ったのは、黒服の連れだった。
「あ!」黒いドレスの女、葛原が船員の年長の方を指さす。
「あんた船長じゃないの!なに、真っ先に逃げようとしてるの。信じられない!」
船長だとバラされた男が、怒りに顔を赤めて震える。
「ど、どうとでも言え!大体なんだこの状況は!?お前ら“鬼門会”の仕業なんだろ!協力してやった恩を仇で返しやがって!」
「知らないわよ!ただの親睦会としか聞かされてないわ!」
醜悪な罵り合い。だが、有益な情報を紫守は聞き逃さなかった。
やはり一般の構成員が知らない意図が、この”パーティ”にはあるのだ。
あの異形の姿。構成員への情報の秘匿。妖魔化の儀式…いや、実験?
「!…まさか!」実験の被験者は、鬼門会の構成員!?一体なぜ!?
「皆、ちょっと黙って!」
紫守の思考も、葛原と船長のケンカも断ち切る圭の声。
「し、静かに…聞こえる!」
地響き。床を無数の足が叩いてる。
ジェニーも黒服も銃を降ろし、全員がそちらを見た。
かくして予想通りの光景が出現する。
曲がり角から数人のパーティ参加者が、その数十倍の“妖魔とも人間ともつかないもの”に追われてきた。
「うわぁあああッ助けてくれェェェッ…ぎゃぴッ…!」
見る間に彼らは群れに呑み込まれた。
「ちぃッ団体がおいでなすったぜ!」「は、はやや…早く逃げなさいよッッ!」少女がレスラーの肩をペチペチ叩く。
「ッッ!」船長は誰よりも早く走り出していた。
「あのじじぃ!ッ…行くわよ!」続いて葛原が、黒服と共に行く。
「紫守さん!どうする!?」
「数が多過ぎて分が悪いわ。先導はあの人たちが務めてくれそうですし、わたしたちは追手をなるたけ削りながらついていきましょう」
「オーライ!Mr.チャンピオン、先行っテ」
「わかった」「ひぃいい!」レスラーももう一人の船員も続き、三人の退魔師が最後尾を征く。
ジェニーたち九人の、地獄と化した豪華客船の逃避行が始まった。
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月末月初とごたついておりました(;´Д`)
さて、役者が揃い、魔海航路編はここまででようやく開幕といったところです。
事態は徐々に加速してきます。
ジェニーさんたち9人の成り行き即席パーティの運命やいかに!?
ゾンビ映画が昔から好きで、子供の頃はゾンビに追われる夢をそこそこの頻度で見てました(笑)
ゾンビのポテンシャルはズルいですよね。そこに放り込むだけで物語が転がり出すんですから(;´∀`)
※「魔群胎動編④」にて、クレオ団長がスライム型妖魔に責め抜かれるエロシーン、追加させていただきました。