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“東凶魔京”「魔群胎動」③


東京近郊のある地方都市、その中心街。

妖魔の出現も決して皆無とはいえなかったが、〝魔都”と呼ばれる東京と比べれば遥かに頻度及び個体の脅威は低い。

それゆえ、幹線道路と私道で結びついた村々とともに平和に発展してきた。


その街は今日、消滅する。


行政の中心地、市役所。

女性の秘書を伴い、執務室に入った市長のいつも通りの一日は、一本の電話で終わりを迎えた。

ブルブルと振動する懐の携帯電話。

秘書や公的な回線を介さずに、直接彼の番号にかかってくる時点で相手はかなり限定される。

「む……?」

表示された名前は〝剣の姉妹”東京支部修道騎士団団長、クレオだ。

ある会合の際、コネクション作りの一環という建前で名刺を交換しておいた麗しいレディ。

勿論下心あってのこと。

しかし、その彼女の方からかかってきた電話、本来喜ばしいはずのそれに、市長はなぜだか眉を顰めた。

何か、不吉な報せが届く気がしてならない。


「市長…出られないのですか?」

「…そうだな」

秘書に促がされ、市長はディスプレイに指を滑らせた。

「どうも私です。ごきげん…」『突然失礼します!〝剣の姉妹”のクレオです!』

クレオの凛とした声に社交辞令が断ち切られる。

少し不快感を感じたが、続く内容がそんな感情など吹き飛ばすこととなる。

『市長、一刻の猶予もございませんので詳細は割愛させていただきます!すぐに市内全域に警告を発し、一般人…いえ、退魔師を含めた全ての人に避難を促してください!』

「なッ…何を言っておるのかね、クレオ君?!そんなことが…」

無茶な要求だ。できるわけがない!

しかし続いて彼の耳に届いたのは、それを遥か上回る酷薄すぎる現実だった。

『妖魔の大群がそちらに向かっています!!その数は数千に及びます!!』

「!?ッッ~~ッ」冗談だろう…?ばかげている…。


「し、市長!!窓の外を!!」

常に淡々と業務をこなす秘書が、彼女に似つかわしくない悲鳴じみた声を上げる。

駆け寄ると眼下には異形の軍勢…いや、その統率性の乏しさは愚連隊を思わせた。

進む先は西へと向いており、この市役所は目的地ではないらしい。

しかし行きがけの駄賃とでもいうのか、群れの一部が敷地内に押し入り、すでに正面入り口前では市民が貪られる陰惨な光景が拡がっていた。

この建物内に被害が及ぶのも時間の問題だろう。

「悪夢…だ。誰か…嘘だと言ってくれ」

電話をカーペットへと取り落した市長は、力なく膝をついた。


「…いや…いやぁああッッ!!」

雇い主を見捨てて、秘書は走り出した。

廊下を行く彼女の耳に、一階ロビーから幾重もの悲鳴が届く。

自分同様に逃げ惑う職員や市民も少なくない。

職員用トイレの奥の個室に駆け込み、便器に座り鍵をかける。

震える体を抱え、ひたすら恐怖が去ることを祈る。

「うわぁああッ!!」「ひ…ッ…!?」

何かに追われる男の声が近づいてくる。よせ!こっちへ来るな!

彼女の願いが通じたのか、そのままトイレの前を過ぎていった。

一時の安寧を得て、ホッとため息をついた秘書。


その身体を、後背部から衝撃が貫いた。

ズンッ 「ッッギィ!?」

視界に移らずとも感覚は雄弁に語る。

排水溝を通ってきた何かが、スカートとショーツを破り肛門に突き刺さっているのだ。

腰を上げて逃れようとする彼女をそれは放さず、座った姿勢のまま体内を遡上していく。

ガクガクと激しく痙攣する秘書。

程なく口からワーム型妖魔の幼体が飛び出し、苦悶に耐え切れず彼女は絶命した。


『ぐぼぉォオッ!!…ゴ…あ…ッ…』

聞き苦しい断末魔が電話越しにクレオの耳を汚す。恐らくは市長のものだろう。

「遅かった…」クレオは無念を呟く。

悲劇は彼一人に留まるはずもなく、すでに町全体に広がっていることだろう。

この先に待つのは地獄の一丁目だ。

重い沈黙の中、エンジン音だけが車内に流れている。


あの漁村を発った後すぐに、キーが刺さったまま乗り捨てられた4WDを発見したシスティナたち四人は、妖魔どもの計画を阻止すべく追走していた。

遼子がハンドルを握り、助手席にはシスティナ。後部座席ではクレオとアンが座る。

誰の表情も暗い。アンに至っては子犬のように震えていた。

バックミラー越しに見えるその有り様に、システィナは眉を顰める。

しかし、どうだろうか…?追いついたところで、我々に何ができるのか。

最も有効と思われる手段は、合流前の小さな群れに対して局地的に戦力を投入し、数的かつ質的優位を確保しながら各個撃破していくことだったが、すでにその機会は失われた。

被害を減らすべく避難を呼びかけるも、これも失敗。

全てが後手に回っている。……。

妖魔の進行速度よりは早いであろうこの車は徐々に彼我の距離を縮めてはいるだろうが、戦意は遥か後方に置いてきてしまっている気分だ。


「欲張るなよ」「…え?」

システィナの戸惑いを察してか、隣の遼子から声が来た。

「全ては救えないからな」「……」

「…システィナ。わたくしも彼女の意見に同意です。妖魔の群れは少なく見積もっても全体で二千体!わたくし達四人では殲滅など物理的に不可能です」

クレオの〝能力”によって確認した情報の信憑性が高いことは、システィナも理解している。

だが、弱き人々を救う使命を負った自分たちがそれでよいのだろうか…。

「…ッ団長ッしかし!」プルルルッ

システィナの言葉を遮るように、クレオの電話が着信を告げる。

「わたくしよ」

『クレオ団長!ご無事でしたか!!…あぁ、やっとつながった!』

後半は背後に控える者に向けての言葉だろう。


余談だが、妖魔が夜ごと蔓延るこの〝魔都”東京では、通信インフラの整備は芳しくない。

アンテナをいくら設置しようとすぐ破壊されてしまうのだ。

電波のエリアが人の住まう領域と重なり、〝圏外”が二重の意味を持つのはタチの悪いジョークだ。


「…えぇ、無事…なのかしらね。結論から言うと、わたくしとアンを除いて討伐隊は全滅したわ」

『!?…ッッ』息を飲む音が聞こえる。

クレオは構わずに、起きた結果、起きている現状、…そしてこれから起こるであろう未来を部下に伝えていく。

これで情報は拡散され、事態は〝剣の姉妹”…いや、他の機関までも含めて共有されることだろう。

ズルい考えかもしれないが、システィナたちが全ての責任と義務を負う必要はなくなった。


「だ…団長!システィナさん!見てください、人が!!」

アンの指さす先に一つの光景があった。

道路脇で数体のオークに輪姦される女性。

当然、哀れな犠牲者を救うべく止めると思った車は、一切の減速なく走り過ぎる。

「え!?」「なぜ…!?」「………ッ」

それはハンドルを握る遼子の意思。

「見なよ。さっきのは、ほんの始まりだよ」

遼子の言葉の意味が実体を以って現れる。一つ、二つ、三つ…。

道端で犯される女性の姿が次々と見えてきた。その数は減るどころか増えていく。

「最初の…あの人を助けるとして。その間、先の三人は犯され続ける。その三人を助けに行ったとして、またその先の十人が犯され続ける。犠牲はなくならない」

「……」遼子の言う通り、目に映る陵辱は算術的に増加していく。


「…わたしたちにできることがあるとしたら、未来の犠牲を減らすことだ。そうは思わないか?」

「…?」システィナは首をわずかに傾げ、遼子の言葉の先を待った。

「あいつらを増殖させた大元を潰すんだよ。そうすれば、妖魔どもにかなりの痛手を与えられる。大きな目で見れば、今一人二人助けるよりは遥かに多くの人間を救えるはずだ」

…欺瞞に満ちた、ひどい理屈。暴論もいいところだ、と、遼子は心中で恥じていた。

根底にあるものは…消えることのない復讐心。

これはまたとない好機かもしれない。数こそ多いが、周囲の妖魔は生まれて間もない幼体どもだ。

防衛の陣形を成すような組織的な行動を取れるとも思えない。

ならば敵の首魁に迫ることもそれほど難しくはない。

ただ、当然高いリスクはある…。


故に…。せめて巻き込むのなら、彼女たちの意思で選んでもらおうと、遼子は問うた。

「システィナ。道は三つ…いや四つある。敵の中核を狙い撃つか。強行突破して、他の連中と共に群れを迎え撃つか。戻ってあの人たちを一人一人救うか。…あるいは迂回して撤退するか」

「四番目は論外ですわ!……団長、アン」

「…貴方が決めなさい」「お、お任せします!」

「わかりました。……それでは」


一方的な蹂躙。イナゴの大群が押し寄せた田畑に例えられるように、異形の進行に触れた箇所から、人の生存領域が破壊されていく。

成す術を持たない一般人の中にあって、偶然居合わせた退魔師の一隊があった。

壮年の髭面の男を中心とした13人は、鉄壁を誇ってきた円の陣形を採り、群れの正面に立ちはだかった。


「皆の者、始めよ」中央に控えるリーダーの声に従い、一斉に呪文が輪唱され、半透明のドームが彼らを包んだ。

「ギギィ…?」「ブォオオッ!」

浅慮なゴブリンやオークどもが無為無策に突っ込んできて、消滅した。

それは低級妖魔を無に帰す破魔の結界。

「ヘッ、数だけのザコどもが」

「人間様の力を見たか!」

「油断するな。大物が現れたらすぐに戦術を移行できる心構えをしておきなさい。…む!?」

早くも新たな敵影が視界に移る。

一同に奔った緊張は、しかし次の瞬間に和らいでしまう。

たった一体のゴブリンが、道路の中央をのしのしと歩いてきたのだ。

嘲笑が漏れる。

「…あれは大方、尖兵だな。皆の者、陽動の可能性もある。警戒を怠るでないぞ」


「ッんだよ!野郎しかいねぇのか」

「!!?」その聞き覚えのない声は、すぐ耳元から発せられた。

視界の奥、あの〝黒いゴブリン”が歩いていた辺りに土埃が舞っていて、何もいなかった。

尋常でない脚力による爆発的な跳躍で、そいつはリーダーの男の隣に現れた。

「ッッッ~~!!」頬を汗がつたう。

そもそも、低級妖魔のゴブリンに結界を抜けることは不可能なはずだ。

考えられるのはゴブリンを偽装した別の…。

そいつを視認しようとゆっくりと首を回していくリーダーは、ついにその姿にも、疑問の答えにも辿り着くことはなかった。

彼の振り向く動作に合わせて軽いスナップで放たれたゴブリンの拳が、リーダーの首を逆向きに捻転させた。

「…脆ぇ…。あぁ、まったく人間ってやつぁ」

糸の切れた操り人形のように地に崩れ落ちた男を見降ろし、ゴブリンは侮蔑交じりに呟く。

司令塔であり、チーム最強だったリーダーを失った彼らは早々に瓦解する。

ゴブリンと軽んじたそいつこそ、ただの低級妖魔から〝百鬼衆”の一角へと成り上がったネームド、〝鬼腕(おにかいな)”だったのだ。


退魔師の死体を積み上げ、その上で不遜に胡坐をかく鬼腕の元に、白濁した不定形の身と、10メートル近い巨躯の人型の身をそれぞれ持つ妖魔が現れた。

「ウジュルルル…ナンダ、退魔師ガイタノカ…?」

「ヴォォォォッ!独り占め、ずるイ。オデ達にもよこセ!」

「…野郎だけだったんだ。別にいいだろ」

さらにその三体に追従するように、低級妖魔の群れがぞろぞろと行軍してくる。

オークが六割以上を占め、ゴブリン、トロルが次いで多く見受けられ、わずかにワーム型と不定形型が混ざっていた。

〝魔人”と同種の個体はこの群れの中には見えず、また、ゴブリンの中に黒いものもいなかった。

「繁殖力トイウ一点ニオイテ、豚鬼ノ右二出ル種ハイナイナ。…ヤハリ、我々程ノ高位種ノ仔ヲ孕マセルノハ容易デハナイナ。特ニ、オ前ノ場合ハナ」

白い塊は巨体の同胞を笑うが、当人は首を傾げるだけで理解してないようだった。

「時二、鬼腕。オ主ハナゼ、人間ヲ壊スバカリデ自ラノモノデハ犯サナイ?」

「…弱ェ人間なんざにこの俺のガキが産める訳わけねぇだろーが!」

「ソレハ一理アルガ…ン?」


不定形の妖魔が意識を向けた先で、異常が起きていた。

ゴブリンやオークが無様な鳴き声と共に次々と宙へと舞う

鬼腕は〝同族”の脆弱さに、「貧弱どもが…」と露骨に舌を打つ。

低級妖魔を容赦なく跳ねていった〝物”、それは頑丈な車体の4WD。

群れの三体を標的に捉えると、復讐者は躊躇なくアクセルを限界まで踏み込んだ。


最も手前にいた白濁の塊が車体から正面にぶち当たり、派手に飛び散った。

ほぼ減速しない砲弾の如きそれを、鬼腕は水平方向への跳躍で回避。

そして緩慢な動作で振り抜かれた〝魔人”の足が、4WDを蹴り返してスクラップにした。

乗車した者もまた無事では済まなかっただろう。…そう、そんな者がいれば、だ。

飛散した身を集合させた白濁が、魔人の手前、鬼腕の隣へと並び。

三体は、あの速度の中で脱出し、土煙を立てて此方と同様に並び立つ四人の人間を睨む。

全員が女だ。そのうちの一人が、武器を突きつけた。


「何だぁ…!?」

「わたしは不動遼子。お前ら妖魔を滅ぼす者だ!」


「人間の名前なんざ興味ねぇ」

「…わたしを、覚えてもいないのか!あの夜を覚えていないのか!!」

空気を震わすほどの遼子の剣幕に、遠巻きに眺める低級妖魔のみならず、アンまでも身を竦ませる。


「お前の拳が鷹山を壊し!!」


遼子の視線が隣の白濁へと移る。


「お前が那須を骸に変え!!」


さらに背後の巨妖へと移る。


「お前が藤崎を犯し殺した!!」


一拍開けて遼子は大きく息を吸う。


「幾年月があの夜を過去に押し流そうと、わたしは絶対に忘れるものか!!」


「遼子…」

「ハァ…ッ…ハァ…ッ…心配いらないわ。言っておきたかっただけさ、ブチ殺す前に」

「不動さん」「ん?」

眼前の敵への警戒を維持しつつ、クレオが問いかける。

「一度アレらと戦ったあなたに尋ねたいのですが、戦略をどう組み立てるべきだと思いますか?」

「…敵は三体。わたしたちが四人。わたしとシスティナが一体ずつ。団長さんはその子と残る一体を。担当は…」


遼子が言い終わらないうちに、動きが来た。

戦隊ヒーローの悪役のように、戦う準備の時間を妖魔がくれる道理もない。

鬼腕は最もスキのあったアンを標的と定め、一瞬で距離を詰め、柔そうな腹部へと突きを放ち…。


ギィンッ!

その拳を遼子の刀が弾いた。

「あ?」半分が苛立ち、半分が不可解。そんな鬼腕の形相。

「…わたしがこいつを殺る!システィナはスライムを!二人はデカブツを頼んだ!」

「わかりましたわ!」「えぇ」「は、はい!」

散開するシスティナたち。


アンを尚、追撃しようとした鬼腕を、遼子が立ちはだかって制す。

「何なんだァ、お前。まぐれとはいえ、この俺のパンチを弾きやがって。…ククク、久しぶりに壊し甲斐がありそうじゃねぇか」

「…フン」

興味が湧いてきたらしい鬼腕とは対称的に、遼子はもう何も喋る気はなかった。

あるのは純然たる殺意のみ。

復讐者は静かに刀を構えた。


「アノ退魔師ハ鬼腕ノ方ヘ行ッタカ。我ナラ精液袋ニシテヤッタノダガ。部下ト同ジヨウニ」

「!…遼子の過去を知ってますの?」

「アァ、数年前ニ…ナ」

相対するシスティナは少し驚いた。

〝百鬼衆”などの上級妖魔ともなると人間への考えがかなり個々で異なること、知ってはいたがこの原始生物のような塊が、どうやらこの場の妖魔の中では最も高い知性を持つらしい。

「ダガ、ソノ事ニ大シタ意味ハアルマイ。サテ、始メヨウカネ?楽シマセテクレヨ?抵抗ガアル程、後ノ陵辱ニ泣キ叫ブ声ガ甘美ナモノトナルノダカラ」

「…理解しましたわ。人の言葉を語ってはいても、中身はその辺の低級妖魔と同じ。汚らわしき者よ、滅びなさい!」

システィナの双剣が、仄かに光を帯び始める。


「ヴォォオッ!お、女ァ!オデの方に二匹モォォッ!犯ス犯ス犯スゥゥッ!!」

巨妖の愚劣な咆哮に、クレオとアンは嫌悪に顔を歪ませる。

「!ッッうぅ…汚い」

「目を背けてはなりませんよ、シスター・アン。ここは戦場なのですから」

これから戦うという時に、目の前の妖魔の肉棒は猛り、彼女たちの視界を大いに汚していた。

「は、はいぃ…」

「ふぅ…困ったことですわね。この戦いが終わったら、また一から教えましょう。わたくしがマンツーマンで指導してさしあげます」

「ひぃぃ!死亡フラグやめてください、団長ぉ!!」

「ヴォッ?お前ら楽しそうダ。オデを除け者にしテ、ずるいゾ!」

「あ!!」「アン!回避を!」

巨妖が無造作に振り降ろした手を二人が避け、代わりにアスファルトが砕け散った。


その轟音を合図に、三局面の死闘が始まる。


ゴングの音とばかりに、破壊欲求に身を任せ、鬼腕が先刻見せた跳躍で遼子の前に迫る。

強く握り込まない軽いスナップの、しかし脆弱な人間が喰らえば致命の左ジャブ。

遼子の頬を掠め、艶やかな髪がわずかに切れる。

やり過ごした左手による掴み、もしくは腹への蹴りへの繋ぎを予想して左後方へバックステップを踏んだ遼子の警戒を嘲笑うように、鬼腕は運足で追いすがる。


同じ挙動で放たれようとする左拳を見た。

軌道上に刀身を滑り込ませて相手の力そのもので斬る動きで応じた身体を、途中で強引に反らせ、直後に右フックが空を切った。

コンビネーションブロー。

信じ難いことだが、妖魔である黒いゴブリンの戦術は人間のボクシングに限りなく近いものだった。

再び距離をとった遼子を鬼腕は追撃せず、ニィィ…と笑った。

活きのいい〝獲物”だ、とでも思っているのか。

実際、そうだろう。

一見五分に渡り合っているようで、遼子は防戦一方。

こちらから攻撃を仕掛ければ、即座にやられかねない。


…元々使うことは織り込み済みだったが、『アレ』を出し惜しみしてる場合じゃないな。

遼子もまた笑った。人間味を感じさせない、硬質な笑みで。


〝魔人”の起こした衝撃で、ビルの壁面が剥離し、真下にいた白濁の塊に直撃した。

激突音は響かず、石材は泡のように溶けて消える。

「先ニ言ッテオク。我ニ単純ナ物理攻撃ハ意味ヲ成サン」

「…そのようですわね」

双剣を構えるシスターに恐怖や困惑の色は見えない。

対策がある、ということだろう。

その予想を裏付けるように、システィナは明確な意思を感じさせる、淀みない接近を見せる。


「………」無為無策に…?いや、違うだろう。

自らの眷属との戦闘を経験していれば、当然弱点である「火」を纏う術なりを用いてくるはず。

だが残念。種族の頂点に立つ自分には「火」への完全なる耐性があり、貴様の企ては無に帰すのだ。

絶望の表情を浮かべた瞬間に、呑み込み捕えてくれよう!


不定形の妖魔は疑似の両腕を形成し、王者の如く挑戦者を懐に迎え…

そして斬られた。聖なる力で。

「!?ッッグァアアッッ!!ナ…何故ダァァッッ!?」

「?」システィナもまた、異形の叫んだそれと同じ言葉を思った。

彼女の持つ剣は破魔の効果を内包した純銀製。

錦上添花。聖なる力を纏った清廉なるシスターの振るうそれは、〝剥き身”の妖魔にこの上ない劇物であった。


ドパァァンッ 不定形の妖魔が破裂した。

しかし倒したわけではないことは、周囲に立ち込める邪気が物語っている。

「ヨクモ…コノ我ニ痛ミヲ!許サヌ!」

霧状に姿を変えた妖魔が怨嗟の声をあげる。

システィナの身をあらゆる方位からじわじわと包囲していく。


圧倒的な体格差のある魔人を前に、しかしクレオは臆してはいない。

「アン。数秒でよいので、〝壁”を作り、わたくしのガードをするのです!任せますわ」

「はい、団長!」

長文の詠唱を始めたクレオ。彼女を狙って、巨大な手が降ってくる。

「させません!聖術〝チャスティ・ウォール”!」

その前に立つアンが術を発動させ、魔人の侵攻を弾き返した。

「ヴァ!?何だコレ…邪魔ダ」

それは先の退魔師の一団が駆使していた低級妖魔を祓う破魔の結界と酷似するもの。

ただし彼女の場合、ドーム状に全方位を覆うのではなく正面に盾として出現させることに特化していた。

その為、数で押されて回り込まれれば無意味だが、頑強さはドーム状のものとは比較にならない。


それでも強大な力で二度、三度と大質量を叩きつけられ、ついに半透明の壁は砕けた。

「わぁあッ!団長ォッ!」

「充分ですわ!おいでくださいませ!」

クレオの掲げた先に天より光が注ぐと、羽を生やし白金の鎧をまとった異形の騎士が降臨した。

これこそ修道騎士団長クレオの切り札、〝天使召喚”。

〝魔”と対を成す存在を一時の間、行使できるのだ。

クレオが命じると、天使は魔人を討つべく飛翔した。



奥歯で〝薬”を噛み砕きながら、遼子は数日前を思い出していた。

ある研究ラボを訪れた遼子が会ったのは、素肌に白衣を羽織った少女…のような妙齢の女性。

「修士、わたしだ」

「おぉー、不動ではないか。久しいな、体ぁ休めとるか?風の噂じゃあ、退魔師の傍ら、学び舎で小僧どもの相手もしとるらしいな」

「…アレは、まぁ思う所があってのことさ。体の心配はいらない。妖魔どもを滅ぼすまで、わたしは倒れるつもりはない。それより、例の薬の改良版はできてるか?」

〝修士”の称号を持つこの女は、政府…というより退魔特捜部が秘密裏に支援している機関の主で、あまり大っぴらにできない研究ばかり手がけている。

その一つが、かつて遼子に渡された「人間の運動能力を極限まで引き出す」という効用の凶薬の開発だ。

旧来のものは、〝臨床実験”を遼子自身があの夜に行い、代償に見合わない持続時間という観点から失敗作という結論に達した。

「何じゃ、せっかちじゃのう。たまにはゆっくりしていけ。おーい、環希。アレ持ってこんかぁ」

「はぁい!」


修士に呼ばれ、体が実に重そうなお団子頭の助手が、いくつかのカプセルの入った容器を持ってきた。

トロトロとしたその仕草に、戦場なら真っ先に妖魔に狙われるだろうな、などと思う。

「これか。効用と…リスクは?」

「強化されるのは今度は運動能力ではなく、知覚速度。試作品とはいえ、一時間は持つぞい。代償は…寿命が減る」

「問題ない。どうせ負ければ終わりだ。すぐ動けなくなった前のやつよりだいぶマシだ。もらってくよ」


そして現在、遼子は緩やかな時の中にいた。

何十倍にも加速された知覚で見る世界とはそういうものだ。

跳ねた汗が宙に浮かぶ丸い粒となってすら見える。

尋常でない黒ゴブリンの動きが追える。

「てェェ~めェェ~~…」

何か叫んでる声が低く冗長的になり、些か間抜けに感じる。

一つ注意するべきは、決して知覚に比較した身体能力が備わったわけではないので、自分の身体の動きも遅い。

つまり彼我の速度差は変わってはいない。

変わってはいないが、全てをゆっくりと落ち着いて見て判断できる遼子には、挙動の効率化が極限まで可能となったのが大きなアドバンテージだ。


これでやっと対等以上に戦える!

遼子は果敢に攻勢に打って出た。

刀が僅かながらも鬼腕に届きはじめ、小さな傷を増やしていく。

激昂する異形を、遼子は押されているように装いながら、ある場所へと誘導していく…。


システィナを包み込もうとする白濁の霧。

成す術がなかった。ただし…それは妖魔にとっての話。

双剣を中心に纏っていた加護の力を、システィナは全身にあまねく行き渡らせた。

攻撃のみならず防御にも自在に転用する力の汎用性の高さ。

持って生まれた素養に慢心せず、一方面に偏らせずに術を修得していったのはシスティナの生真面目さゆえのこと。


白濁の妖魔にとって相性は最悪と言わざるを得なかった。

何しろ攻撃ができないのだ。

システィナに触れようとすれば、厚い表皮など持たないその身は直に浄化の力の猛威に晒され、即座に削り取られてしまう。

硬化した部分でダメージ覚悟で仕掛けても、今度は銀の双剣による迎撃を受ける。


天敵。彼女の存在はまさにそれだった。


「ク…グヌヌ…ッッ!」

歩を進めてくるシスターに対し白濁の取った行動は、分体をデコイとして射出し、時間を稼ぐという当人にとっては屈辱的なものだ。

ジリ貧であり、体積が少しづつ減っていく。


鈍重な巨妖と、クレオの遣わす天使の戦いは、膠着状態といえた。

軽快に、鳥のように優雅に宙を舞う天使を魔人は捉えきれず。

また、幾度ともなく刻まれる天使の剣撃も、魔人に何の痛痒も与えてはいないようだった。

だが単に痛みに鈍感なだけで、ダメージ自体は詰み重なり浸透している可能性もある。

クレオはそう考え、粘り強く攻め続け、アンも彼女のサポートに徹している。


三つの局面の楔となり得るのは、遼子と鬼腕の戦いだ。

そして時は来る。


誘いに呼び込まれた鬼腕が放った右ストレートを、遼子は最短の動作で躱す。

その背後にあったのは、魔人に蹴り転がされスクラップとなっていた4WD。

漏れ出ていた燃料へと着火したライターを投げ込み、遼子がわずかに赦された時間で距離を取った瞬間、爆炎が生じた。



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魔群胎動編もクライマックス!

遼子さんと百鬼衆の因縁の戦いも次回決着です!

黑ゴブリンがんばえ~(邪笑)


ところで、遼子さんと回想で絡んでいたマッドサイエンティストと助手ですが…あえて明言はしませんが、Pixivの方で見ていただいていた方には伝わるかもしれません。あの子らです(^-^;


相変わらず体のあちこちが痛いですが、もう少し暖かくなれば治るかな(´ω`)

“東凶魔京”「魔群胎動」③ “東凶魔京”「魔群胎動」③

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