彼女は夜遅く、家族でもある動物たちが寝静まったのを確かめるとこっそりと屋敷を抜け出した。こうして外出するのは何度目だろうか。はじめは軽やかだった足取りもいつしか体に蓄えられた脂肪のため重く感じるようになっていた。
「でも、止められないのよね…」と独り言ちると、目当てである旧都の街へ足を進めた。
旧都の雑踏は夜でも多くの妖怪に溢れ、行き交う相手が誰であるかなど気にするものはいない。地霊殿の主、古明地さとりが紛れ込んでいたとしても誰一人気が付かなかった。もっともそれは伝え聞く古明地さとりの姿と今の彼女の容姿がかけ離れているせいもあるかもしない。
地霊殿の怨霊も恐れ怯む少女、古明地さとりは薄い桜色の髪に病身のように痩せさらばえた体躯。恐るべきサードアイで相手の心の底まで暴き出す…。一方、今のさとりの姿は健康的を通り過ぎた丸々とした肥満体で髪の色こそ同じものの伝聞の姿と違いすぎる。
(んふぅ、はぁ、ちょっとは痩せないといけないんだけどね…)
丸く恰幅の良い体で雑踏を歩くのはなかなかに難儀だ。人混みでは厚みのある体をねじ込むようにして歩を進めていく。
雑踏の先にベンチを見つけると重たい体をどっかりと下ろす。
でっぷりとせり出したお腹が腿の上に乗り、ただでさえキツイスカートがさらに引き延ばされる。
「ぶはぁー」
大きくため息をついて一休み。雑踏に行き交う人々を眺めながら体の熱が引くのを待った。
事のはじめは、ちょっとしたストレス解消のつもりだった。夜、寝静まったころにこっそり地霊殿を抜け出して、旧都で買い食いを楽しむ。普段は地霊殿に籠りきりなさとりにとっては、それがとても刺激的に感じたし、家を抜け出すときのちょっとしたスリルもたまらなかった。ただ、それが月に1度が週に1度になり、今では毎日のように夜抜け出しては買い食いに走っている。当然、体は風船に空気が入れられるようにむくむと大きく成長し、今では立派な肥満体だ。
かつては病的に痩せていた彼女の体は、今や身長に不釣り合いなほどの贅肉が蓄えられ、以前の容貌は残滓以上のものは残っていない。特にお腹周りはでっぷりとお腹がせり出し、キツ目のスカートが辛うじて押しとどめているような状態だ。もともと限界が近かったのもあるが、ブラウスの下のボタンはちぎれかけていて、そこから彼女のやわらかなお腹がちらりと覗いている。
ふと、声をかけられて顔を上げるとエプロンをかけた店員が伝票を片手に笑みを向けていた。どうやらここは雑踏の休憩ベンチではなく、店の軒先だったようだ。
「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」
「あ、えっと、何が人気なんです?」
戸惑いながら答えると、店員はつるつるとメニューについての説明を始めた。聞けば和菓子メインの甘味処らしい。
「えっと、それじゃ、このお団子10本いただこうかしら」
「じゅっ、え、いや失礼しました。お団子10本ですね。お待ちくださーい」
ぱたぱたを踵を返して店内に戻る店員を見送ってため息をひとつ。
「あの子、私が10本食べてもおかしくないって思ってたわね…」
ぼよんとせり出したお腹に目を向けると、思わずため息が漏れた。
やがて、お団子が運ばれてくると蒸したての餅米の香りがさとりの鼻をくすぐった。一つ手にとって口の中に運ぶとモチモチとした触感とともに中の餡子の甘味が彼女の舌にとろけていった。一つまた一つと口に入れるうちにさとりの席には空き皿が重ねられていった。
さとりが夢見心地で団子を味わう中、雑踏の中から不意に彼女を呼ぶ声が響いた。
「こんなところにいたー!」
驚いて目を向けるとお燐が彼女に向かって指をさしていた。
「あ、えっと?お燐?」
「あー!さとり様、こんなにいっぱい食べちゃダメじゃないですか!」
「いや、その違うのよ!っていうか名前呼ばないでっ!」
慌てて制止しても彼女の名前は雑踏の中に響き渡っており視線と思考パルスが一斉にさとりに向かう。
(え、あの子がさとり?)
(ええ?ガリガリの美少女って聞いてたけど)
(デブすぎでしょ…)
遠慮のない思考が彼女に流れ込み思わず顔が赤くなる。
「もー、そんなんだから最近ブクブク太っちゃったんですね。アタイたち心配で心配で…」
「その、なんで、外にいるってわかったのよ…?みんなが寝てるの確認してから出ていたのに」
「そりゃぁ、みんな気が付いてましたよ。何せさとり様が歩くと床がギイギシメリメリ悲鳴を上げるもんだから、熟睡してたって目が覚めちゃいますからね」
思わず(そんな言い方じゃなくてもいいじゃない)と思わずにいられないさとりに向かってお燐は畳みかける。
「アタイたちもさとり様が黙っているんだから知らないふりをするのがいいと最初は思ってました。けど、さとり様ったら日に日にデブっていくし最近じゃ体も重そうだし心配で心配で。そんで今日はこっそり後をつけてたってわけです。まぁ途中の人混みで見失っちゃいましたが」
そこで、慌てて街中を探し回ったところ、とある店の前で団子をぱくつく丸いシルエットを見つけた、という所までお燐は一気にまくし立てた。
「そんじゃ、さとり様帰りますよ」
「い、いや、最後の1本食べてからでも…」
「ダメです。これ以上太ったら地霊殿の床が抜けます!」
お燐に手をぐいっと引っ張られるとさとりは観念して家路についたのだった。
「…てなことがあったわけ」
「へぇ~」
妹のこいしは相変わらず聞いているんだか聞いていないんだかよくわからない。
手元のドーナツを口に放り込むとふわりとした甘さが口の中に広がっていく。
「おかげで、私は引きこもりのデブって噂が広がるし最悪よ」
「でも、お姉ちゃん実際にデブだし」
「ゔっ」
さとりの体型はあの日から相変わらず変わっていない。むしろ貫禄が増した感さえある。
「でも、お姉ちゃん私いいダイエット方法知ってるの!始めたその日から-20kgも夢じゃない!」
「えっ!?本当に?」
「うん、まずはこの包丁でお腹の余分なお肉を切り落として…」
こいしは袖口から包丁をぬるりと取り出す。
「え、ちょっと!?こいし!」
「あと、お姉ちゃんはおしりも大きすぎるから丁度いい大きさまでカットするね!」
「え!ダメ!やめなさい、こいし!!」
さとりは全速力で部屋を飛び出し廊下を疾駆する。
「……もー、ほんの冗談なのになぁ」
どうやら屋敷のどこかですっころんだらしく
盛大な物音とさとりの悲鳴が遠くからこいしの耳朶を打った。