世界最大の戦いから、半世紀が過ぎました。
いまでも自動車業界をけん引する、フォード社――
(↑2017 GT / Ford)(↓2013 LA FERRARI / Ferrari)
――そして、フェラーリ社のお話です。
(このお話は実在のフォードとフェラーリのお話を元にしていますが、部分的に脚色が含まれております。ご了承ください。)
むかしむかし、あるところにヘンリー・フォード二世というおじさんがおりました。
祖父から受け継いだ老舗自動車会社「フォード・モーター・カンパニー」を経営していた彼ですが、さらなる業績拡大のため試行錯誤している際、あることを思いつきます。
「自動車を作っているなら、モータースポーツ業界に参入して我々の技術力を見せつけるべきではないか」
これが1963年。
そこでフォードはモータースポーツ界最大にして最も過酷なレースに目を付けました。
「ル・マン24時間耐久レース」
ここで無敵の存在となっていたのがフェラーリです。
1960年から1962年まで3連勝中だったフェラーリ。
フォードは手っ取り早い方法として、フェラーリに買収を持ちかけました。
会社が不景気だったフェラーリはそれを快諾、1600万円ですぐに契約に移りました。
1963年5月21日、フォード経営陣の一団はフェラーリ本社のあるマラネッロまでやってきました。
それに対しフェラーリ側はエンツォと地元の弁護士だけ。
エンツォは契約書を読み進めるうち、とある条項にNOを叩きつけます。
フェラーリが一番続けたかったモータースポーツの部門を、フォードが仕切ると記されていたからです。
エンツォは悪態をつき、部屋をあとにします。
交渉は決裂です。
ヘンリー・フォード二世は激怒した。必ず、かの邪知暴虐の王者を表彰台から除かなければならぬと決意した。
フォードにはモータースポーツがわからぬ。フォードは大衆車のメーカーである。
ヘンリーは役員を集めてこう命じました。
「ル・マンでフェラーリに勝てる車を作れ」
フォードのレースカーづくりが始まりました。
しかし彼らは時速320キロで走る車など作ったことがありません。
24時間を耐え、約4,800kmを全速力で走る必要があります。
しかも残された期間はたったの10ヶ月でした。
そして生まれたのがこちらの「フォードGT」
高さが1メートル(40インチ)しかないことに驚いた記者が「GT40」と呼びはじめ、以降GT40という呼び名が定着しました。
4.2リッターV8エンジンで時速320キロは達成できそうでした。
しかしレーシングカーはサーキットに出るまでは単なる夢と希望の塊です。
フォードは初めてル・マンでテストを行うとそのことを思い知りました。
姿を現したGT40は確かに速かったのですが、恐ろしく不安定で直線でタイヤが空転しました。
しかも発進時ではなく、高速走行時です。
問題は空力性能かサスペンションですが、その日にクラッシュしたため特定できませんでした。
スペアの車はありましたが、それも翌日にクラッシュ。本番までわずか二ヶ月です。
総力を挙げ1964年のレース本番に間に合わせます。
急ごしらえで迎えたル・マン24時間耐久レース。
なんとか3台のフォードGTを完成させ出場しますが、3台全てが故障と炎上。
結局フェラーリが表彰台を独占する結果となりました。
フォードにとっては惨めな結果で終わってしまった初のル・マンですが、そのことがヘンリー・フォード二世を更に熱くさせます。リベンジです。
続く…