男子柔道部 対 女子空手部 〜Defeat the phantom〜 Part6
Added 2021-01-29 14:06:57 +0000 UTCポツン――と、一人ぼっちでたたずむ少女がそこに居た。彼女はもう、裸の王様だ。プライドが高く、気かキツそうに吊り上った顔も、今はどこか不安げで……まるで借りてきた猫の様に大人しかった。 「残るはアンタだけだぜ」 そんな麗菜に、雄二が言った。その言葉を受けた彼女は、活力を取り戻した様にキッと男子たちを睨み付けた。 「アタシたちは負けないわ……たとえ最後の一人になっても、アタシは絶対に諦めないッ……」 意地を張り通そうとする彼女に、柳は呆れたように呟いた。 「いや、負けないも何も……もうここまで負けこんでるんだからアンタらの負けは決まってるも同然なんだが……」 麗菜はその呟きに過剰に反応して叫んだ。 「もうこれは練習場所うんぬんの話じゃない!これは……アタシの誇りを掛けた闘いよ!」 彼女のその言葉を借りるようにして、真也は隣にたたずむ信彦に告げた。 「……だってよ。あれはあれであの子の言う通りかもしれないな。これはもう練習場所うんぬんの話じゃない。これは……俺達をここまで引っ張ってきたお前の……誇りを掛けた勝負なんだ」 「…………」 信彦も、彼もまた彼女と同じだった。彼もまた、どこか不安げで、借りてきた猫の様に大人しかった。真也は続けた。 「お前の過去に何があったのかは知らねえ。だがな、お前はいったい何の為に柔道を始めたんだ?」 その問いかけに、信彦は一瞬ハッとなると、ますますその表情を曇らせた。 「いくら柔道が強くなっても……お前がその“過去”を乗り越えねえ限りは、いつまでたってもお前は“弱っちい”まんまだ」 『弱っちい』――その言葉を聞いたとき、信彦の顔から血の気が引いた。その言葉は、何か思い出したくない彼の記憶を抉りだしたかのようだった。 しばらく黙り込んだ後――彼はひとりでに、誰に言う事も無く、語りだした。 「俺――」 真也は黙って耳を傾けた。 「小学生のころ、女子に負けたことがあったんだよ」 「負けた?」 「……空手でな。腹に強烈な蹴りをもらったよ。そしてその子に言われた。『男のくせになんでこんなに弱っちいんだ?』ってな」 「……」 「不平等だって……思ったよ。男が勝っても当たり前、それなのに、男が負けたら、それ以上の仕打ちが待っている。男としての尊厳をズタズタにされて……周囲からは笑われて……」 真也は黙っていた。 「真也……本当はさ。柔道がやりたいって言ったのは、ただの“代替案”だったんだ。本当は空手をやりたいクセに、過去のトラウマが邪魔して俺に空手を選ばせなかった。俺さ、本当は空手の方が好きだったんだ。柔道よりも……空手の方が好きだったんだよ」 信彦は、半ば自棄的になっていた。 「ははっ……殴ってくれよ。こんな俺が柔道をする資格なんてねえだろ?真也、柔道経験者のお前なら腹立つだろうな。こんな柔道を愚弄してる柔道部主将なんざ……笑い話にも出来やしねえ」 普段からニコニコしている真也の顔が、このときばかりは真剣なものになった。 「信彦……」 彼は、ただ一言そう言って―― その手を振り上げる。 信彦は、ギュッとその目を閉じた。 「…………ッ」 信彦に触れたもの、それは、痛みでは無く―― そっと肩に乗せられた暖かい手。 真也は、彼の肩を優しく包んでいたのだった。 「信彦、それでもお前は――だれよりも柔道に打ち込んでいた」 「……へ?」 「たしかにお前にとっちゃ、ただ消去法で柔道を選んだだけかもしれねえ。でもお前は、過去の幻想に打ち勝とうと、必死で努力したんだよ。たとえそこが逃げ道だったとしても、そこから這い上がるためにな」 真也の言葉は優しかった。だからこそ、信彦の心を打った。 また、別の方からも声が掛けられた。 柳の声だ。 「柔道の創始者、嘉納治五郎は、もともとは柔術家だったんだ。彼は柔術で、ある先輩にどうしても勝てなかった。だから彼は努力した。人体の仕組みについて学んだ。そして彼はついに、のちに『肩車』と言われる技でその先輩を倒したんだ」 「あ!それおれがきょう一試合目にやったやつだ!ボディースラムだろ⁉」 「肩車だ何度も言わせるな。お前アレ出来ないと一生白帯のままだからな」 いきなり割り込んできた幸太郎にすかさずツッコむ柳。それはそうとして、彼は続けた。 「そして柔術家だった彼は、それをもとにして柔道を創った。柔術家から、柔道家へと転向したんだ。お前はかつて負けた空手に勝つために、柔道を始めたんだよ」 今度は真也が引き継いだ。 「俺達柔道家が、空手に勝つところ、もう何度も見ただろ?」 「俺の二試合目も見てただろ⁉鮮やかな柔道技で相手をぶちのめしたじゃねえか!」 横から雄二が割り込んできた。 「いや、お前のはただのケンカだったじゃねえか……」 真也がすかさず遮る。そして―― 信彦はそんな彼らを見渡した後、やっと口を開くと…… 「いまでも俺は、柔道部の主将であっていいのかな?」 彼のその様子は、先ほどの不安げなものとは違って見えた。 一瞬、マジマジと信彦の顔を見つめていた4人は、口を揃えて言った。 「「もちろん!」」 ――ありがとう 小さく、そう呟くと、彼は覚悟を決めて前に向き直る――目の前に立ちはだかる、自らのその“幻想”に対して。 「アタシは男子なんて怖くないわ!」 麗菜は突き刺す様に叫んだ。 そして信彦に対し、続けて言った。 その言葉は、彼女にとってはあくまで“意気込み”のつもりだった。 しかし、その一言に、信彦はピタリと反応を示した―― 「得意の中段蹴りで、アンタなんか一発で仕留めてやる!」 『得意の中段蹴り』 なぜかその言葉を聞いたとき、信彦自身の中で、彼の記憶のピースが全てつながったような、そんな感覚を覚えた。 「中段……蹴り……?」 「……?」 突如、マジマジと麗菜を見つめだした信彦。麗菜は怪訝な様子で彼を見返した。 「きみさ……」 信彦は、おもむろに彼女に問いかける。 「この街の近くの、空手道場に……通ってたことある?」 要領を得ない、彼の急な質問。 一瞬、彼女は訝しむ。しかし少し記憶を巡らせたあと、思い出した様に彼女は言った。 「え?……え、ええ。そういえばそうね。小学生の時、下町のあの空手道場で空手を習い始めたわね」 それを聞いた信彦は、すべてのパズルがハマった時の様に、その顔を緩ませる。 「……レイナ?……そうか……そうだったんだ……まるで別人だったから……今まで気が付かなかった……」 目をギラギラさせてただ一人で呟く信彦。麗菜はますます不審に思った。 そして信彦は尚も尋ねた。 「キミはその時……乱取り中に、一人の男子を……その、中段蹴りで倒さなかったかい?」 麗菜はしばし思案してみるも、すぐに諦めたように鼻を鳴らす。 そして何でもない事のように、軽々しい口調で言ってのけた。 「覚えてないわよ、そんな事。ただアタシはそのころから誰にも負けなかったわ。もちろん、アンタらの様な男子にもね」 全てをはねつける様な彼女の視線。信彦はどこか虚しそうな笑みで、それを受け止めた。 「……そうか。僕は勝手に、自分を“過去”に縛りつけていただけだったんだな。……なんて馬鹿馬鹿しい」 自嘲する信彦。麗菜には彼のその様子を理解する素振りは一切ない。 「ハァ?ワケ分かんない!バッカじゃないの⁉早く始めるわよ!一分で決めてやるわ!」 彼女はすでに試合場中央で息巻いていた。 信彦もそれに応じて前に進み出ようとした時、柳が背後から声を掛ける。 「信彦。お前、空手はどれくらいやってた?」 「小学校1年から、4年生まで。新しく入ったばかりの女の子に負けるまでだよ……」 彼の声には、すでに先ほどの様な暗さは見受けられなかった。 「じゃあ四年間か?」 「いや、実はそのあとも、道場を辞めた後も諦めきれなくて……自分ひとりでこっそり空手の稽古はしてたんだ」 彼の答えに、柳はわずかに顔をにやつかせた。 「そうか。だったらお前も十分空手が出来るな」 信彦は訝しむ。 「……どういうことだ?相手は空手家として相当な実力者だぞ?いくら俺が空手を練習していたところで彼女に勝てるわけがない」 すると柳は、さらに声を沈めて言った。まるで麗菜には聞かれまいとするように…… 「信彦、よく聞け。別に空手で勝てなくてもいい。“渡り合え”さえすればそれでいいんだ」 「渡り……合う……?」 「すでに知っている通り、グラップラー(組み技系の格闘家)の最大の弱点は、打撃だ。俺や真也、あと一応幸太郎みたいに、“掴めば即、投げられる”ような、絶対的自信があれば話は別だが、並みのグラップラーなら、掴む前に距離を取られながらボコボコに殴られるってパターンも珍しくない。しかも完全に投げ技を警戒している相手を投げるのは意外に難しいもんだ、掴んでもがむしゃらに逃げられるからな」 「だからって空手で勝負するのは……」 困惑気に言った信彦を、柳は遮った。 「“勝負”じゃない。ちょっと“付き合ってあげる”だけでいいんだ」 「空手に、付き合う?」 「そう、ただ付き合うだけだ。要するに、こちらも空手技を繰り出して相手を牽制する。あくまで牽制だ、倒すためではない。そうすれば少なくとも、相手はお前の事を、“ただ無防備に歩いてくるサンドバッグ”だとは見ないはずだ」 「なるほど……だが、結局はどうする?いつかは距離を詰めなければならない」 信彦の問いかけに、柳は核心を付くように言った。 「信彦、俺は柔道しかやってこなかったけど……立ち技ってものには、“呼吸”というものがある」 「呼吸?」 「例えば柔道でも長くやってると……『相手が何を仕掛けてくるか』、またはその『タイミング』、そして時には相手のその呼吸を読み取る事で返し技を狙う……まあボクシングとかでいえば『カウンター』って言うのか?」 信彦は遠い、昔の記憶を呼び起こした。毎日毎日、向かい合う相手と殴り合った小学校時代…… 「……わかる……なんとなく……わかるよ……あれは……呼吸だったんだ」 信彦の瞳は、徐々に澄んでいった。 「分かるか?きっと打撃戦においても呼吸というものはあるはずなんだ」 柳がそこまで言うと、信彦はもう合点がいったようだ。 「……返し技……カウンター!」 「そうだッ……攻撃を避けつつ接近しろ……そして組み付け!お前は俺達と違って動体視力が鍛えられているはずだ。打撃の呼吸が分かるはずだ。お前は相手の打撃を察知できる……ともすれば目で捉える事も出来るはずだ!」 信彦は、目を真ん丸くさせて呟いた。 「俺だから……できる?」 「そうだ!お前だからできるんだ!空手をやっていたお前だからこそ、できるんだ!」 その時、信彦の心に、沸々と湧き上がる感情があった。 なんだか分からない。今までの“過去”が、全て洗い流されていくような……暗かったモノクロの“過去”に、彩りが射した様な…… そして、なんだか分からないその感情の正体は、つぎの柳の一言ですべて明らかになった―― 「お前の“過去”は…………間違ってなかったんだッ」 真ん丸くさせた信彦の目から、涙が零れ落ちた―― 泣いている、自覚も無い。ただ勝手に、涙が零れ落ちた。 「小学校の時に通ってた道場は……?」 「呼吸というのは相手と向き合う事で徐々に身についていく……決して間違ってなかった」 毎日道場に通っていた記憶に、色が差した。 「あの時……新しく入って来たばかりの女の子に、負けたことは……?」 「挫折を知ったお前はさらに努力する事を覚えた。同時に空手を諦めた結果、今は柔道をしている。複数の格闘技を収める事はトータルファイターとして絶対的な事だ……だから、あれで良かったんだ」 目の前に立つ少女。“あの時”よりもずいぶんと小さく感じる少女が、今はそんなに恐ろしく感じなかった。 「俺……でも、道場辞めてからも、ずっと中途半端に空手を続けてきた。練習相手もいないまま、筋力トレーニングばかりして……」 「成長期に筋力トレーニングをすることは基本中の基本だ。身長が大きければリーチも違う。フィジカルが強ければ攻撃の重さも違う……決して、無駄な事では無かった」 体操服に身を包み、一人で、公園で稽古を続けた日々。『男のくせに女子に負けた』と、友人たちから笑われながらも稽古を続けたあの白黒の記憶に―― ――綺麗に彩られた。 「なあ柳」 そして信彦は最後に尋ねた。 「俺が柔道を始めたのって……正しかったのかな?」 背後から、自信たっぷりの声が、彼の背中を押した。 「ぜったい……正しかったッ」 「よしッ……」 小さく笑った信彦。彼は試合場の中央へと進み出た。 そして麗菜の前に、堂々と立った。 「覚悟は出来たかしら……」 「ああ」 落ち着いて答える信彦。その様子に、麗菜は先ほどまでとは明らかに彼の雰囲気が違う事を感じ取った。 「たしかにアンタの仲間は、みんな何かしらの“強み”を持ってたみたいね。アタシたちも油断していたとはいえ、不覚を取ったわ……」 しかし彼女はあくまでも強気の姿勢を崩さなかった。 「でもアンタは違うようね。アンタからはなにも目立った“強み”は感じられない。ハッキリ言って……負ける気がしないわ!」 侮蔑した目を向ける麗菜。しかし信彦は動じない。それどころか自分より小さなこの少女を、澄んだ目で眺めていた。 「やっぱり、女の子って……小さくなるんだな。前見た時はあんなにも、俺よりも身体が大きかったのに……」 あくまで独り言のつもりで言った信彦の言葉に、麗菜の眉がヒクヒクと震えた。 「女だからって甘く見てたら痛い目見るわよ……さっき小耳に挟んだんだけど、アンタ空手やってたんだってね」 「ああ。女子に負けてからは恥ずかしくて道場に行けなくなったな……それからも未練がましく一人で練習してたよ」 「一人で⁉」 彼女は噴き出した。そんな麗菜の態度にも、信彦は腹を立てる様子もなかった。 「ああ。公園でな。だけど……高校に入ってからはそんな自分に嫌気が差して、柔道を始めたんだ。ハッキリ言って空手から逃げるためだ」 「そんな中途半端な生き方をしてる奴が、このアタシに勝てると思ってんの?」 鼻で笑う麗菜に、信彦はうっすらと笑みを湛えて言った。 「ああ……今なら、勝てそうだ」 もう相手にするのもバカらしくなったのか、それっきり彼女は何も言わなくなった。 そして最終試合――大将戦が始まる。 「それより、いまから第五試合を開始する」 両者は静かに構えた。信彦は、空手の構えを取った。 「始めッ!」 女子部員、審判の合図とともに――試合は静かに始まった。 「……」 「……」 二人は動かない。皆が固唾を呑んで見守った。 「……」 今は審判に回った柳。彼は今だけは、公平な審判という立場に身を置いている。 しばらくして、じりじりと二人は間合いを詰める。 「……」 信彦は、ふいに“あの時”の事を思い出した。 “あの時”の少女、彼女の“呼吸”が、鮮明に脳裏によみがえってきた。 「……」 そして―― 彼女の体が、ピクリと動いた――ように感じ取った。 信彦は走馬灯のように蘇る記憶の中、冷えた頭で感じていた。 ――ああ、やっぱりだ。 ――やっぱり“あの時”のように、中段蹴りが来た。 ――付き合ってあげよう……付き合ってあげよう…… そして信彦は、彼女の動きに呼応する様に、同じように中段蹴りを放つ。 両者、何気なく、打ち込んだ中段蹴り。信彦の脳内では、この後の試合展開――打撃戦にて、スキを見つけ次第に組み付く算段を、すでに立てていたのだった。 「……ッ⁉」 二人の蹴りが交差した。 麗菜の放った中段蹴りは浅かった。 一方、信彦の放った中段蹴りは、深く、彼女の脇腹に突き刺さった。 男女の身長差からくる、リーチの差がそこに表れていた。 「……ッ」 まずは先手を取られた麗菜。すぐに反撃を企てる。 「……?」 しかしその時だった。 「……ッ!」 突如、麗菜の顔に苦悶が満ちた。 彼女の肝臓から、想像を絶する苦しみが、後から遅れてやってきた。 「~~~~ッ‼」 まるでスローモーションのように脇腹を押さえ、崩れ落ちる麗菜。 彼女は悶絶した。 男女の体格差からくる、“力”の差が歴然とそこに表れていた。 「…………」 信彦は構えたまま、ポカンと口を開ける。 ただ目の前で起きた事態が呑み込めないままに、ただ脇腹を押さえながらゴロゴロと転がりまわる彼女をボーっと眺めていた。 「~~~ッッ!」 麗菜は声も上げない代わりに、ただその苦しみを、顔面と身体全身を駆使して、全力で表現していた。 「……」 信彦はゆっくりと構えを解く。 ただ今の状況に困惑して、ゆっくりと、審判の方を見た。 「……」 視線を向けられた柳。彼もただ黙っており、判断を求めるように、隣にいるもう一人の審判――女子部員に目をやった。 「ァ……ァ……」 審判であるはずの女子部員は、ただ口をパクパクとさせていた。 一本勝ちの判定を下す余裕など無く、ただ自分たちの大将がこんなにも呆気なくヤラれてしまった事に、ただただ絶句していた。 柳は諦めたように、もう一度信彦の方へと目をやった。そして首を傾けて彼に目配せした。 ――続けろ。 ……と、いう事らしい。審判が判定しない以上、試合は続行だ。 「……」 信彦は目の前で転がる、この哀れな少女を見下ろした。ただ、突っ立っていた。 なぜなら、どうしていいのかが分からなかったから。信彦の頭の中ではいろいろな事が飛び交って、ごちゃごちゃになっていた。 彼は“あの時”から、ひそかに“この時”の事を考え続けていた。無論、実際彼は“あの時”の少女の顔など忘れてしまっていたし、まさかこういう形でリベンジマッチが実現するなど思いもしなかったのだ。 しかし彼はずっと“この時”の事をイメージし続けていた。なぜならそれが、彼のモチベーションだったから。 実現するかどうかは問題では無い。ただ病的にその事を意識し続けることで、正気を保っていた。努力を、続けていたのだ。 いろんな練習をした。“彼女”の不意を衝くため、胴回し回転蹴りの練習も重ねた。もっと強い蹴りを繰り出す為に、後ろ蹴りの練習も重ねた。それこそ“彼女”の得意技、中段蹴りを防ぐ対処法もいくつも編み出した。高校に入ってからは柔道も始めた。――もし今“あの時”の女子が現れたら……なんて妄想をしながら、柔道技で対抗する手段を模索した。実に……いろんなことをした。 しかし―― 「ぅ~~~ッ‼」 そのほとんどが無意味だった。 いくら“あの時”から、男子と女子の力の差が開いたからと言って―― たった一発で終わってしまった。それも、彼女の得意技であるはずの、中段蹴りで。もちろん、試合前に柳に授けられたアドバイスなど、実践する余地も無かった。 彼の身体中は、何とも言えぬ脱力感に見舞われた。 「…………」 要するに――虚しさだけが残ったのだ。 正直、復讐心に身を任せ、追い打ちをかける気にはなれなかった。もうこのまま“一本勝ち”の判定を待とうとも思った。 「…………」 しかし、この静かな時間は、彼の考えを何度も何度も改めさせた。優柔不断そのものだった。 そして彼は考え直した。 ――やっぱり……少しくらいは、追い打ちをかけておくか……と。 「……」 黙って、彼女の前へと歩き出す。 転がりまわっていた彼女は、今は死んだ虫のように四肢を丸め、仰向けでひっくり返っていた。 彼女の顔を上から覗き込む。 彼女の顔は陣痛に苦しむ妊婦のように汗まみれで、可愛らしい顔をこれでもかというくらいにしかめていた。彼女の綺麗で小さな歯は、むき出しになっていた。 彼は―― 「……」 半ば無理矢理に、過去の記憶を思い返した。さきほど彩られたあの“過去”を、無理矢理また、白黒に塗り替えた。 なぜなら、そうしないと、“やる気”が起こらないから。 彼はもはや“復讐心”というよりは、“損得勘定”で動いていた。たった一発で終わらすには勿体ない。こんな呆気ない幕切れ、今までの血のにじむような努力には見合わないと思った。 信彦が静かに足を振り上げた時―― 麗菜と目があった。 「~~~ッ‼」 彼女は悶絶しながらも、自分を見下ろす信彦を睨み付けていた。鈍痛に苦しみながらも、その目は闘志を失っていなかった。 そして―― クシャ 信彦は足を踏み下ろした。軽く、踏み下ろした。 「……ッ!」 彼女の頭は地面にたたきつけられた。 足をどかせてみると、彼女の鼻からは、しずかに血が溢れ出た。 もう一度、踏んづけてみた。さっきよりももう少しだけ、強く。 クシャ 「ぶっ……!」 真っ赤な血を見ていると、なんだか体中が熱くたぎってくるような感覚に見舞われる。 その感覚に身を任せ、もう一度踏んづける。 もう一度踏んづける。 もう一度踏んづける。 「……ンッ!……ンッ!……ンッ!」 気づけば信彦の口からは、声が漏れていた。踏んづけるたびに、声が漏れた。 そして―― 気づけば彼女の体は、ぐったりと沈み込んでいた。 動かなくなっていた。 しかし―― それでも彼は踏みつけた。 何度も、何度も、何度も…… 「おおおおおおおおおおおおおおッ‼」 気づけば彼の心は、“復讐心”に満たされていた―― 「……このアマッ!……このアマッ!」 彼は踏みつけながら、ひとりでに叫んでいた。 「苛めやがって……ッ!散々俺達の事を……ッ!苛めやがって……ッ!」 彼の声など、もう麗菜には届いてはいない。 「お前のせいで……ッ!俺は……ッ!女性恐怖症に……ッ!なっちまったんだぞ……ッ!あの時から……ッ!散々女子に……ッ!苛められて……ッ!こんな悩み……ッ!恥ずかしくて……ッ!相談すらできねえんだ……ッ!」 彼はもうなりふり構わず、自らの心の奥底に眠る泥を、吐き出した。それはずっと彼が抱えていた、コンプレックスだった。 「何とか……ッ!克服しようと……ッ!女子に慣れようと……ッ!この学園に入学したのに……ッ!ここでも俺達の事を苛めやがって……ッ!このアマ……ッ!このアマ……ッ!」 柳が静かに、彼に向かって歩み出した。 「俺は……ッ!本当は……ッ!空手がしたかった……ッ!でも……ッ!お前らが……ッ!怖かった……ッ!何だよ……ッ!お前ら……ッ!本当はこんなに……ッ!本当はこんなに……ッ!」 そして柳は、彼をヒシと抱きしめた…… 「もういい……信彦」 信彦は、泣きじゃくっていた。情けない泣き顔を隠しもしないままに、天を仰いでいた。 そして彼は、しゃくりあげながら、吐き出す様に呟いた。 「本当に……何なんだよ……こいつら……本当はこんなに…………“弱っちい”んじゃねえかッ……」 踏みしめられた麗菜の顔面から、信彦の足がズルリと滑り落ちた。 彼女は半開きの目で虚空を見つめ、失神していた。 「ううッ……ううっ……」 泣きじゃくり、呻く信彦を抱きしめながら―― 柳は優しい声で呟いた。 「一本、それまで。勝者、信彦……お前の勝ちだ」 男子柔道部 対 女子空手部――練習場を賭けたこの特殊な男女混合戦は―― 男子側の全勝で幕を閉じたのだった……