男子柔道部 対 女子空手部 〜Defeat the phantom〜 Part 3
Added 2021-01-12 14:30:00 +0000 UTC白目を向いたままの風華の身体は道場の端っこに放置され、そのまま第二試合が始まろうとしていた。 「次は私が行こう」 いきり立つように立ち上がった佳奈は、肩をいからせながら場内に進み出ようとした。先ほどパワーで圧倒される形になった試合を目の当たりにし、彼女は居ても立ってもいられなくなったみたいだ。 しかし、気合十分で躍り出んとした彼女を、低血圧気味の冷めた声が抑えた。 「あたし、早く終わらせたいんで、先に行っていいですか?」 ツンとした態度で二つ上の先輩を制したのは、水羅だった。彼女はさきほどから、一試合目の惨劇を目の当たりにしても、どこか無関心にそれを眺めているばかりだった。 「ミラ、待て!お前さっき見ただろ⁉風華が成す術も無くやられたところを!柔道というものは侮れん!まずは私が行って対処法を探り出す!」 引き留めようとする佳奈を、水羅は顔も向けずにあしらった。 「要するに捕まらなければ良いんでしょ?風華先輩は油断して醜態を晒した――ただそれだけのことですよ」 「……ッな⁉キサマッ⁉」 あまりに無神経な物言いに、佳奈は激昂する。しかし当のミラはそんな佳奈相手にもどこ吹く風といった様子だ。 「心配しなくてもあたしはそんなバカなミスはしませんから。早くアタシの番終わらせて携帯いじりたいんですよ」 「キサマッ!風華の仇を討とうとは思わないのか⁉」 「足引っ張る人が悪いんでしょ?」 「キサマッ!許さん!」 佳奈は堪忍袋の緒が切れた様に、ミラに飛び掛かろうとした。 「待って!佳奈!」 止めたのは麗菜だ。 「麗菜っ⁉し、しかし……」 「落ち着いて、佳奈。ここはあの子に任せましょう」 驚く佳奈に、麗菜は続けた。 「彼女の堅実な戦いぶりは皆が認める所よ。彼女なら確実に勝てるはず。まあ、あの子はああ言ってたけどさ……別にいいじゃない。どっちにしたって卑劣な男子をコテンパンにしてくれるはずよ」 「……はあ、ホンットお前はミラの事を気に入っているんだな。こんな生意気な奴のどこが良いんだか。分かったよ。アンタに免じて今回の所は引き下がってやるよ」 麗菜の説得に、佳奈は呆れながらもしぶしぶ了承した。 一方の水羅の方はというと、二人のやり取りを見届ける前にもうすでに場内に歩み出ていた。中央にたどり着くと、彼女はさらさらのロングの髪を勢いよく掻き上げる。美しい金色がキラキラと輝いて、まるで金粉でも散っているかのように思えた。 「ミラちゃんって……ホントカッコいい」 「クールだよねぇ……憧れるわぁ……」 彼女は試合場の中央で、ただ“独り”輝いていた。眩いばかりの美貌を持ちながら、周りを寄せ付けないそのオーラは、周りの女子たちに様々な感情を抱かせた。憧れ、羨望、ジェラシー。 一般の女子生徒たちから、実にいろいろな視線を浴びせられながらも、水羅は凛として気に掛ける素振りも無かった。 そんな彼女を見て、麗菜は佳奈に囁きかける。 「これはアタシの予想なんだけど……あの子がいつも生意気な態度で大きな口を叩くのには理由があると思うのよ」 「理由……?あのビッグマウスがか?」 「ええ。ミラはきっと、ああやって自分自身を追い込んでいるのよ。あの子は結果を出し続けるからこそ、あの態度も、あの金髪も、あのビッグマウスもすべてが許される。彼女はそうする事で、どんなときでも常に自分の“仕事”を果たすことが出来る」 麗菜のその言葉に、佳奈はいかにも半信半疑そうな目で、再び試合場に向き直ったのだった。 「よっしゃあ……俺が行くぜぇ」 一方、男子チームから出てきたのは、不良少年、雄二だった。 「おいアンタ!見たところアンタだけは他の奴らとは雰囲気がちげぇな!どっちかってぇと俺と同じ匂いがすんぜ」 どちらも髪を染めているあたり、たしかに似た者同士のようにも見える。しかしミラは心外そうに眉を寄せると、目も合わせずに雄二をあしらった。 「悪いけど、あたしはアンタみたいに“臭わない”から」 「お高く止まりやがってよォ……その涼しげなツラ、泣きべそかかせてやんぜ!」 サバサバした水羅の対応に、ますます雄二はいきり立つ。立ち会う二人の様子は、対極的だ。激しく闘志を燃やす雄二、水の様に冷静な水羅。 そうして二人の試合――次鋒戦が始まった。 「おらおらおらおらぁ!」 開始と同時に、雄二が真正面からズンズンと歩いていく。その歩みはどう見ても柔道家としての歩法ではなかった……ただの不良が肩を怒らせて街を歩くときの恰好だった。スキだらけの彼に対し、水羅は半身の姿勢で両手を腰元で低く構えていた。まったく動じる様子はない。まったくいつもの無愛想な顔も変わりは無かった。 その光景に、麗菜はほくそ笑む。 「あの子は的確な一撃を放つことにかけては定評があるわ。相手が組もうと接近したところを、一撃を放って敵の勢いを止める――そして距離を取る。このヒットアンドアウェーの戦法は“接近する必要がある”組み技系の格闘技が相手である時こそ効果を発揮するのよ」 はたして麗菜の思っていた通りだった。水羅は、雄二が近づいてくるその前に無駄の無い動きで前蹴りを放つ。彼女の鋭い蹴りが、雄二の腹部に突き刺さった―― 「……ウッ⁉」 短いうめき声と共に、吹き飛ばされたのは―― ――なんと、水羅のほうだった。 激しく尻餅を付いた水羅は痛みよりも、驚愕に目を見開いた。言葉を失ったままの彼女が見た先には、片足をべったりと前に上げた雄二の姿だった。彼は素人丸出しのケンカキックで水羅を蹴り飛ばしたのだった…… 「へっ、早く立てよ。これで終わりじゃねえだろ?」 雄二の顔が不気味な笑みに歪む。 「なっ⁉おい、そんなのありなのか⁉」 佳奈が審判に向け抗議する。柳が冷静にそれに対処した。 「いや、今回のルールは特別ルールですよね?空手ルールと柔道ルールを合わせたものですから、別に反則では無いでしょう」 「た、たしかにそうだが!貴様らは柔道家だろ!」 まさか柔道部が蹴りを出すなんて夢にも思わなかったらしい。それは佳奈のみならず、その場に居る全員が同じ考えだった。 雄二はなんら悪びれる様子も無く吐き付ける様に言った。 「ハッ!俺は柔道なんて始めてまだ数か月だからな。どっちかってぇと中学ん時に路上と体育館裏で鍛え上げた“コッチ”の方がまだ得意なんだ。安心しろ!俺の得意技、『頭突き』は封印してやるよ!あくまでルールの範囲内で“めいいっぱい”やってやるよ!」 彼のそんな横暴な言い草に、周りで観戦する女子陣からは一斉にブーイングが湧き上がる。 「ケンカなんてサイテー!不良よ不良!」 「ミラ!あんなヤンキーやっつけちゃって!」 それは、解りやすい構図だった。一方は女子で、さらに空手家。対するもう一方は、粗暴な男子で、さらに武道家の端くれにも置けないヤンキーだ。 普段は冷たく、生意気な水羅が、今は正真正銘のベビーフェイスとなった。みな、水羅がヒールである雄二を打ちのめすことを望んだ。 「なによ!『路上と体育館裏で鍛え上げた』って、マジださい!」 「ほんとそれ!同じ殴り合いだったら毎日稽古を積んでる空手部の方が強いに決まってんじゃん、何考えてんの⁉」 中には雄二を嘲るものまでいた。 「うるっっせぇな……さっきの幸太郎の時みてぇに顔面グチャグチャにしてやんぞ」 「「ヒイッ……」」 雄二が外野に向けて睨みを利かすと、女子たちはたちまち黙り込んだ。しかし彼女たちの強気な態度は変わらなかった。みな、水羅に期待を寄せ、必死で応援した。 みんなの声援に応えるように、水羅は再び立ち上がる。しかし、彼女にとって別にそんなことはどうでもいい。彼女はただ、目の前の相手にどうやって打ち勝とうかという事だけを思案した。 そしてまた、水羅は構える。 「へっ、相変わらず澄ました顔しやがって……ボコボコにしてやんぜ」 雄二から見れば、彼女の表情は平然としたものに見えたが、しかし水羅のこめかみには一筋の汗が密かに流れていた。 そして再度二人は向き合う。今度は、水羅の方から動いた。 「……ッ」 掛け声も上げず、まるで静かなるスナイパーの様に、頭めがけて上段蹴りを放つ水羅。 それは――雄二の顔面を的確にとらえた。 「ぐはっ……」 相手が怯んだと同時に、距離を取る。毎度の彼女の必勝パターンだった。しかし―― 「おるぁあッ!」 たしかに顔面を打ち抜いたはず――にもかかわらず、水羅が距離を取る前にすぐに雄二の反撃が飛んできた。 「……ッ⁉」 しかし、水羅はかろうじて雄二のパンチを両腕で防いだ。 「あいつッ!なんで怯まないんだ⁉」 佳奈が驚愕する。雄二はツツ―と垂れ出た鼻血をペロリと舐め取ると、不気味に笑った。 「あんなにまともに入ったんだからダメージが無いはずは無い。おそらく、あの男は相当“痛み”になれているんだわ」 麗菜は彼のタフネスさ加減に舌を巻く。 「でもさすがはミラといったところね。上段蹴りは放った後のスキが多いから、並みの人間じゃあガードなんて追いつかないはずよ。彼女の鉄壁の防御の秘訣はあの並外れた反射神経にあるのよ」 水羅の運動神経に感心していたのは、麗菜だけではなかった。いまの水羅の攻防は、素人目から見てもかなりすさまじいものに見えたらしい。 「キャー!すごい!今、シュバシュバって、超すごかった!」 「ミラやっぱりカッコいい!超強い!あんなヤンキーなんか全然相手にならないよ!」 実際に攻撃を当てたのは水羅である。雄二の方は出血もしている。さらに彼の反撃は水羅の人間離れした動きによってしっかりと防御されたのだ。どう見ても彼女の方が優勢に見えた。事実、水羅の表情はいつもと変わらない、あの涼しげな顔だ。 「中坊ん時に金属バットで殴られたのに比べたら、んなもん痒くもねぇぜ。ほら、どんどん行くぞ!」 雄二はまたもやスキだらけの姿勢で距離を詰めていく。水羅は軽やかなステップで彼の周りをまわり、絶えず間合いを取り続けた。 「ミラ!その調子よ!動きまわって相手を翻弄するのよ!」 麗菜が水羅に声を掛ける。 「ほらぁ!ちょこまかすんじゃねェ!」 雄二が蹴りを放った。彼のデタラメな蹴りは、避けるまでもなくそもそも水羅に届きもしなかった。 「今よ!」 蹴り終わりの雄二を見た瞬間、麗菜がまた叫んだ。それを聞いてか聞かずか、水羅はスキだらけの彼のみぞおちに、鋭い中段突きを叩き込んだ。 「……うぐっ!」 思わずうずくまってしまいたくなるような激痛が彼を襲った。しかし雄二の動きは止まらない。水羅が突きを入れ込んで接近したちょうどそのタイミングで、彼は彼女の襟を捕まえた。 そしてお返しとばかりに、彼女の鳩尾にボディーブローを放った。 「……ッ!」 しかし、またもや水羅はそれを防いだ。観戦している女子たちから歓喜の声が上がる。 「すごーい!また防いだ!」 「やっぱ余裕じゃんっ!」 水羅は両腕で雄二のパンチを受けつつ後退すると、いったん構えを解いてピョンピョンと軽く跳ねた。筋肉をほぐしているのか、しきりに両腕をプラプラと振っている。 と、また雄二が彼女に接近した。そして彼はテレビでやっている格闘技を見よう見まねで覚えたような後ろ回し蹴りを繰り出す。思わず周りの女子たちが失笑してしまうくらいにヘタクソな蹴りだった。 当然、水羅には当たらなかった。軽くバックステップを踏んだだけで避けられてしまった。 「よしっ!」 麗菜がグッと拳を握りしめる。攻撃を仕掛けるチャンスである。しかし―― 「……あれ?」 麗菜は眉をひそめた。どういうわけか、水羅は攻撃を仕掛けないまま、雄二の横に回り込み、そのままさらに後退してしまったのだ。 「逃げ足の速ぇオンナだ!」 雄二は構わず水羅を追いかける。そして飛び込みざまに拳を叩きつけた。しかし冷静な表情でそれを見極めた水羅は、スッと横に身体を逸らして躱し、彼の後ろに回り込んだ。 ――今が絶好のチャンス! 麗菜が心の中でそう念じる―― 「クソがっ!逃げんじゃねえ!」 しかし、水羅は彼の背後を取ったにも関わらず、さらに彼との距離を開ける。麗菜は訝しんだ。 その後も何度もそのような事が続いた。まるでイノシシのように突っ込んでいく雄二に対し、華麗にひらひらと蝶の様に舞う水羅はさながら闘牛士だ。その姿は、見ている者を魅了した。 「ミラがヤンキーを手玉に取ってるよ!」 「あのヤンキーほんとダサいね!攻撃全然当たんないじゃん!」 ――おかしい…… 沸き立つ周りの女子たちを尻目に、麗菜だけはその光景にどこか違和感を感じていた。 「彩乃……アンタはどう思う?」 「……え?ええ。今の試合運びのことですね?」 急に声を掛けられた彩乃はビクリとつい不自然な反応をしてしまう。さっきの風華の事を気にしているのか、彼女はさきほどからずっと沈黙を守っていた。無論、麗菜はいま試合に夢中でそんな事は微塵も気に掛けてはいなかった。 「たしかに、おかしいですわね。たしかにミラさんはもともと距離を置いて闘うアウトファイターではありましたが、それにしても仕掛けなさすぎです」 彼女の分析に、麗菜も同意する。しかし絶えず、慎重な面持ちで動き回る水羅を見ていた時、麗菜はふと何かを予感した。 「あるいは……何かを狙っているのかしら?」 「狙っている?……何を?」 彩乃はつい聞き返したが、麗菜が言ったのはあくまで予感である。 「分からないわ。でも、あの子の、あの冷静な顔を見てると思うのよ。あの子はただ逃げ回ってるんじゃない。何かを待っている。……そうに違いないわ」 場内では、雄二が痺れを切らした様に拳を振り回した。 「おらおらおらおらッ!逃げてばっかじゃ勝てねぇぜ!」 水羅はその猛攻を後ろに下がりながらヒラリヒラリと躱していく。たちまち彼女はコーナーに追い詰められた。水羅はすばやく横に身を逸らした。しかし―― 「オルァアアッ!」 雄二がデタラメに放った回し蹴り。彼のキックは、ちょうど水羅が移動しようとした先に、出会い頭にぶつかった。 「……ゥ!」 これも寸での所で、クロスさせた両腕でガードする。しかしほとんどカウンター気味に、正面衝突の様に蹴りを食らったため、サイドにステップしていた彼女の身体はとつぜん急停止した様に勢いを失った。これにはさすがの水羅もユラリと一瞬ぐらつき、動きが止まった。 「もらったぁッ!」 押し付ける様な雄二の前蹴りは、ガードした彼女をお構いなしに弾き飛ばした。 「きゃッ!」 けたたましい衝撃音と共に、激しく壁に打ち付けられた水羅。常にクールで、サバサバした彼女の顔が、初めて歪んだ。 「へっ、強がってても可愛らしい声出すんじゃねえか」 彼女は壁伝いにズルズルと崩れ落ち、まるで悪い夢にうなされる少女の様に苦しげな表情を晒した。曲げた両ひざは、か弱い少女の様に内股に閉じていた。その姿は、普段の高飛車で気高いクールビューティーなイメージからは、掛け離れたものだった。 「場外!」 空手ルール担当の女子部員が声を上げる。雄二は水羅を置き去りに、悠々と中央に戻っていく。彼女もぐずぐずとしながら、やがてフラフラと立ち上がった。 周りの女子は呆気に取られていた。さっきまで彼女が優勢に見えていたにもかかわらず、いつの間にか試合の流れが変わっていたからだ。それでもみんなの声援は止まらない。 「ミラ!頑張って!」 「ファイト!ミラ!ファイト!」 『始め!』という掛け声と共に、また二人が動き出した。しかし雄二が前に出ていく前から、水羅はすでに後ろに下がっていた。 そこからは、まるで鬼ごっこだった。雄二の攻撃は、絶えず後ろに逃げ続ける水羅を捕える事は無かった。そのため水羅はダメージこそ受けなかったが、その闘いぶりは消極的そのものだった。勇敢さの欠片も無い。 ときどき雄二が彼女の道着を掴んだ。そして彼はそのまま彼女の身体を引き寄せ、殴りかかろうとする。すると水羅は、今まで誰にも見せた事の無いような鬼の形相を顔面に浮かべ、なりふり構わず掴まれた裾を振り払った。引きちぎるように雄二の拘束から脱出すると、彼女はその勢いのまま敵に背中を見せ、つまづきそうになりながらも必死の形相で走って逃げた。 これにはさすがに場が騒然とした。女子たちは混乱した。あれほど有利に立ち回っていた水羅がなぜかああやって情けなく逃げ回っている。その、あまりに非現実的な光景に彼女たちは全員さまざまな思案を巡らせた。 やがて、麗菜のみならず、一般の女子生徒たちも“ある考え”に達した。いや、それがいったいどういった“作戦”なのかは分からない。具体的な事は一切分からない。しかし、素人の彼女たちでもこれだけは分かった。 ――水羅は何かを狙っている。 彼女らしからぬ焦燥。彼女らしからぬ醜態。そして、あまりに突然すぎる劣勢。全てが不自然だった。――何かある。女子たちはわずかにこみ上げる期待を胸に抱いた。 そして、不幸な事に女子生徒たちのその様子は、男子側にも伝わってきた。信彦は敏感にその微妙な雰囲気を察知し、言いようも無い不安を感じ取った。彼は思わず叫んでいた。 「雄二!気を付けろ!そいつ、何か企んでるぞ!」 突如湧き出したその声に、麗菜は歯噛みする。 「クッ……頭の悪い男子のくせに……勘だけは良いのねッ!ミラ!奴ら、アンタの作戦に勘付いたわよ!早く決めてしまいなさい!」 こうなってはもう黙っていても仕方がない。一般女子生徒たちも皆一斉に声を上げ始めた。 「ミラ!早くやっちゃって!」 「空手部の期待のルーキーの力、見せつけてやってよ!」 さすがは一年にしてレギュラーを務める水羅である。彼女の力は全くの未知数であり、その実力は麗菜にも計り知れない。これからいったい何が飛び出すのか――皆が彼女に期待した。そして―― 「……ッ⁉」 彼女の体がグイッと引き寄せられる。 雄二がついに、水羅を捕まえたのだ。彼は水羅の細い両手首を掴み上げ、お互いの顔が、目と鼻の先にまで接近した。麗菜は目を見開く――おそらく、彼女が何かを仕掛けるならば、今がそのタイミングだ、と。 「いいのか?みんなアンタに期待してんぜ?」 ニヤリと笑う雄二が、水羅に言った。彼女の顔が険しくなる。掴み上げられた水羅の両腕……道着の裾がずり落ち、ほっそりと美しい生肌が露出した。 「みんなが期待してる“作戦”とやら……早くやっちまったほうがいいんじゃねえのか?」 彼は意地悪く囁いた。彼女は何も言い返さない。無言でただ、両腕に力を込め、抵抗を続けていた。 そして――彼はまた、今度はさらに声を潜めて、誰にも聞こえないように、そっと水羅に囁きかけた…… 「アンタ本当は…………とっくの前に戦意喪失してんだろ?」 彼女の両腕には――生々しい青あざがくっきりと浮かび上がっていた。 「ぐ……くッ……」 彼女の瞳はうるんでいた。 「ただ俺の攻撃が思ったよりも痛かったから、ビビって逃げ回ってただけなんだろ?ホント……笑っちまうよな。周りの女子たちはおろか、男子たちまでアンタに“期待”しだしたんだからな。『この子がこんなに弱いはずがない』『このスーパー一年生は必ず何かを狙っているはずだ』……てな。……本当はアイツらが言っている“作戦”なんてものは何もねぇってのによ」 なにやら様子がおかしいこの二人に、場内にヒソヒソとざわめきが起こる。 「麗菜……アイツ、いったい何を話しているんだ?」 佳奈の問いかけに、麗菜はただ呆然としながら首を横に振った。雄二が何を話しているのか、それはただ水羅のみだけが聞こえていた。 一方、雄二は尚もしゃべり続ける。 「武道なんてもんはな、しょせんこんなモンだ。これがもし点数制の空手の試合ならアンタはつえーんだろうが、実戦なら使えねえ。モノホンのケンカは血ぃ流そうが、骨折られようが立っていられる“根性”がモノを言うんだよ。お行儀よく正拳突きとかガードとかしてるやつには解んねえ領域だろうがな」 あまりにも悔しかったのか、水羅は何とか彼を引き剥がそうと必死にもがく。しかしやはり男子の力には勝てないのか、両腕はピクリとも動かない。首だけがブンブンと横に振れた。彼女の綺麗な金髪が煌めきながらも、乱れなびいた。 ふと、彼女の目に、周りで観戦する女子たちの呆気に取られた表情が飛び込んだ。まるで幼い子供が言語も理解できないままにテレビをボーっと見呆ける――そんな表情だった。 「ほら、お前に期待してるやつらにそんな顔見せても良いのか?」 からかうように言った雄二。水羅はいま、半分泣きべそをかきながら屈辱にあえぐように下唇を噛んでいた。彼の言葉に過剰に反応する様に、水羅は顔を隠した。彼女は雄二の胸元にその顔を埋めた。 「ミラ……」 「あの人……いったいどうしたんだろ……?」 もはや心配するような声が水羅の身体を包み込む。今この二人の状況は、まるで彼氏の胸で泣きむせぶ、いたいけな少女のような絵にとてもよく似ていた。 「自分がまさかこんな状況になるなんて思いもしなかったんだろうな。日頃から澄ましてるオンナほどこうなると脆いもんだ」 さらに煽る雄二。 すると水羅は最後の意地か、おもむろにガバッと顔を跳ね上げると、勢い付けて自らの額を雄二の顔面に叩きつけた―― 「ブッ……!」 身長の差から、彼女の頭突きはちょうど相手の口元に直撃した。雄二は一瞬怯んだ。水羅の手首を握っていた両手が、ふと緩んだ。 「……フッ!」 その隙にすぐさま相手を押し返し、水羅は渾身の正拳突きを放つ―― 「……フンッ!」 返す刀で今度は逆側の拳で正拳突き――彼女のラッシュが始まった。 正拳突き、上段蹴り、水月蹴り、とにかく彼女は相手を乱れ打ち、徐々に雄二を中央へ中央へと押し戻した。 「あの~、審判さん」 そんな風景をよそに、柳はもう一人の審判――空手ルールを担当する女子部員に呼びかける。 女子部員は彼を無視する様に、ただ苦々しげな面持ちのまま目の前の光景を見守った。 今から何を言われるのかを、知っている風であった。 「おれ、空手のルールあんま知らないんですけど……頭突きってどう考えても反則ですよね?」 「……」 彼女は何も答えない。ただ険しげな表情で、口を堅く結んでいた。 「あ~あ……“公平な判定”を期待していたんですがねぇ~」 今度は、柳は嫌みったらしくそう言った。それは試合が始まる前、彩乃が男子たちに向けて発した言葉だった。 それに対し、ついに女子部員は苦し紛れに答えた。 「あれは……こ、故意によるものではないわ……じ、事故よ。私たち伝統ある空手部が、卑劣な男子たちに反則なんてするわけない!」 「はぁ~、日頃から男子は卑劣~とか言ってるくせに、自分たちはオッケーなんですね。全ては『正義だから』『女子だから』『可愛いから』、だから何をやってもオッケーなんですね」 チクチク針を刺すような彼の言葉に、女子部員は何も言い返そうとはしない。彼は続けた。 「言っときますけどねえ……世の中には、生まれながらの善人も、生まれながらの悪人も居ないんですよ。極悪人でも善いことすれば褒められるし、仏様でも悪いことすれば怒られるんです。だからね、可愛い女の子だからって、悪事が認められていい訳じゃないんです。これは、別に今回の事だけを言っているわけじゃないんですよ」 相も変わらず黙殺する女子部員。つい、柳はため息を吐いてしまった。 場内に目を移すと、水羅はなおも雄二を打ちのめしていた。 「いって~……」 彼は切れた唇を押さえながら呟く。それは水羅のラッシュを受けて出た言葉では無い。さきほどの不意打ちによる頭突きを食らって出た言葉だった。 「……ッ!……ッ!……ッ!……ッ!」 水羅は一生懸命、拳を打ち込む。一発一発、力を込めて、打ち込んだ。 「見て……あれ」 周りの女子たちが不審に思う。 「あのヤンキー、本当に効いてるの?」 水羅の猛攻むなしく、雄二は微動だにしていないようだった。 「イケメンが台無しッ……じゃねえか、この野郎!」 彼がそう言っている最中、雄二の顔面にまともに上段蹴りが入った。しかし怯んだ様子は微塵もなく、彼は水羅の襟を捕まえた。そして彼女の身体を引き寄せざま、水羅のくびれた腹部に強烈な膝蹴りを刺し込む。……ガードされた。 「……いッ⁉」 しかしただでさえボロボロな彼女の腕は激痛に軋む。彼はなんども膝蹴りを放った。それは形式張った技なんてものは欠片も無い、素人同士のケンカでよく見る膝蹴りだった。 「……アッ⁉……キャッ⁉」 彼女の守りの上手さが裏目に出た。何度も何度も腕を痛めつけられ、彼女は短い悲鳴を上げた。とうとう彼女は、亀のように、敵に背中を向けてしまった。 「おいッ……こっち向け!」 柳はイライラしたように、彼女の尻を蹴り飛ばす。 「……んァッ!」 ビクンッ――と一瞬身体を仰け反らすも、尚も彼女は背中を丸めた。柳は何度も、水羅の小さなお尻を蹴りつけた。そのたびに上がる嬌声。まるでSMプレイだ。 身体を丸め、俯き、顔をシワクチャにさせた水羅の真ん前には、壁際に座って観戦する女子たち。彼女たちは至近距離から、水羅の情けない泣き顔を目の当たりにしていた。 「だからこっち向けっつってんだろ!」 ついに声を荒げた柳は、真上に足を蹴りあげる。彼の足はちょうど、俯いた水羅の顔面に直撃した。 「ぶぉっ……!」 鼻血を撒き散らしながら踊り狂う水羅。前後不覚になった彼女は片手で顔を覆い隠す様に押さえながら、どちらに雄二が居るかも分からぬまま手を前に突き出した。 「なんだその手?『もうやめてください』……ってか?」 挑発した雄二だったが、彼女の今の姿は誰がどう見てもそのようにしか見えなかった。 「そういえば……誰かが言ってたよな?」 彼は今こそトドメを刺さんと、水羅に近づいた。彼女はいまだ抑えた手の隙間から鼻血をボタボタと滴らせながら、顔を下に向けている。当然、彼の姿など視えていないようだ。 そして彼が、顔面を抑えている水羅の手を無理矢理引き剥がすと、もう今は美人かどうかすらも分からない、血まみれになった彼女の顔が現れた。彼はもう片方の手で彼女の襟首を掴み上げる。そして言った。 「“反則していいのは、反則される覚悟のある人間だけ”ってな」 思いっきり彼女の顔面を引き寄せた。と、同時に、彼は自らの額を叩き込んだ―― ――果実が砕ける音がした。 「『頭突き』は俺の得意技なんだよ。テメーが真似するなんざ百万年早ぇ……」 真っ赤な噴水が上がった。 真っ赤な雨の中、水羅は踊った。 いずれ彼女はバランスを崩した様に、転がり、うずくまった。 「あれは故意によるものじゃないですよ?……事故です」 柳が隣に向けて呟いた。しかし審判を務める女子部員は、激情した様子で彼を睨む。今にも抗議始めそうな様子だった。そんな彼女を、柳はたった一言で押さえつける。 「……プライド、無いんですか?」 彼女は場内に目を戻す。そこには尻を突き出す様にうずくまっている水羅と、彼女の頭をゲシゲシと踏みつける雄二。水羅は突っ伏しながらも顔面を両手で押さえていたが、雄二の踏み付けが痛かったのか、やがては両手で頭を抱え込むように守った。まだ意識はあるのだろう。その姿は、まるで苛められっこみたいだった。 「お~い、早くジャッジしてくれよ。ちなみに今コイツを蹴ってんのは反則じゃねえからな。一応寝技での打撃って事になんだろ?」 踏みつけながら、審判に向かってそう言ってきた雄二。女子部員は逡巡した。しかし、顔の周りに血の池を作る水羅は、どう見てもこれ以上戦える状態では無かった。 「一本!男子側の勝利!」 その宣言と共に、やれやれと言った様子で男子側陣営へと戻っていく雄二。一方水羅はというと、しばらくそのままうずくまっており、自ら立ち上がる様子は無かった。綺麗な金髪が、ひしゃげた毛筆の様だった。 麗菜が目配せをすると女子部員数名が水羅のもとへと駆け寄っていく。明らかに息のある彼女に何度か声を掛けるも、彼女が動く様子は無い。女子部員たちは渋々といった様子で彼女を無理矢理立ち上がらせ、両側から腕を回して歩かせた。水羅は支えられながら何とかよろよろと歩いていた。しかし、顔は両手で全て覆い尽くしていた。鼻血を止めるため――というよりかは、顔を見られたくないような、そんな風にも見えた。 まるで慰められるように支えられながら、水羅が道場の端っこへ引っ込んでいく間――麗菜をはじめ、一般の女生徒たちも、男子たちも、誰一人例外なく、みなただただ困惑を隠しきれなかった…… ――水羅は結局なにがしたかったのか? 結局のところ、雄二以外の人間からは水羅は特に不調な様子は無いように見えていた。いつも通り、ツンとした態度で、不遜な言動で、余裕ぶった表情で、涼しげな様子だった。だからこそ急に逃げ回ったのが不自然だった。そしてみんな推測した――何か秘策があるのだと。 そして結局、何もないまま終わった。実力未知数の大物一年生、水羅から何ら秘密兵器が飛び出すことが無いまま、彼女はただボコボコにされたのだ。 麗菜は拍子抜けした気分だった。ゴージャスな装飾が施された大げさな宝箱――中を開けてみると、空っぽ……そんな気分だった。